初恋と返礼
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誰かに呼ばれた気がして、ふっと鍵盤から意識を離す。
椅子に掛けたまま上体だけずらして確かめると、扉のところにお兄ちゃんが立っていた。
「あっ、おかえりなさい」
家の中だと言うのにコートを着たまま、難しい顔で立ち尽くす姿。
明らかにいつもとちがう様子に、胸がざわめく。
「お兄ちゃん……ねぇ、どうか、したの?」
慌てて駆け寄るつもりが、体の動きがいやに鈍い。それでもどうにか側へ辿りついた私の両肩に、お兄ちゃんはそっと手を置いた。
「……ゆいか。落ち着いて聞くんだよ」
ちいさな子供を宥めるような、いっそ白々しいくらい優しい声が耳朶を打つ。
これ以上ないくらいに膨れ上がった不安のなかで浮かぶのは、ひと月前から家を空けている両親の顔だった。
まさか、ふたりに何かあったんじゃ──
「いま、玄関にいっくんが来ている」
「────えっ?」
「今日、ホワイトデーだからだろ? わざわざ口実つくって、一緒にここまで来たんだよ。相変わらず律儀だよな~、いっくん」
「……えっと……? え……? 私、お兄ちゃんが深刻そうにするから、ひょっとしてお父さんたちに何かあったんじゃないかって、すっごくドキドキしたんだけど……」
「父さんなら、今日も元気にヴァイオリン弾いてるんじゃないかな」
「──もう、馬鹿馬鹿! まぎらわしい切り出し方しないでっ、私、ほんとに……!」
「ごめんごめん、ちょっとした悪戯心で……☆」
ちっとも悪いと思ってなさそうな相手のコートの両側を掴んで、がっくんがっくん揺さぶる。そのあたりで、ようやく脳が正常動作に戻ったんだと思う。
『いっくんが来ている』という思いもよらない情報が、時間差でドカンと襲いかかってきた。
いっくんが来ている。ホワイトデーだから? でも、昨日も今日も、そんなこと何にも言ってなかったのに──!?
「ど、どうしよう、ぜんぜんおしゃれとかしてない……! けど、もうすでにいっくんを待たせてるわけで、そんなことしてる時間もなくて……!?」
「そんなにじたばたしなくても。べつに、人前に出られないような酷い格好してるわけじゃなし」
「いっくんと会うのに、こんなのじゃ駄目だもん!」
「……こうしてる間にも、そのいっくんと一緒に居られるはずの時間が刻一刻と減っているわけで」
「う、う~っ、あぁ、もう、いいや、私の見栄よりもいっくんのほうが大事!!」
ゆるく編んでいた髪と眼鏡だけ外して、フローリングを駆ける。
事前に言ってくれていたら、お気に入りの服を選んで、メイクも、ヘアセットもいつもより念入りにして待ってたのに!
いまの私といえば、楽ちん重視のワンピースにパーカーを重ねただけ、曲作りで部屋にこもっているつもりだったのでごく簡単に済ませたメイク、おまけに足元は「うさぎさんのふわもこルームシューズ」ときている。
こうなればもう、お母さんからもらった抜群に綺麗な顔がすべて解決してくれることを願うしかない。
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