傘下のひとりごと

全体性と無限 上/エマニュエル・レヴィナス

2024/11/30 17:05
存在との対立にさいして〈私〉が避難所をもとめるものは存在にほかならないのである。自殺が悲劇であるのは、生まれてきたことで生じる問題のいっさいが死によって解決されることはなく、地上のさまざまな価値をおとしめる力が、死にはそなわっていないからである。ここから、死をまえにしたマクベスの最期の叫びが生じる。マクベスが死に打ち負かされるのは、マクベスの生のおわりと同時に宇宙が崩壊することなどないからである。苦しみが生じるのは、存在に釘づけにされていることに絶望するとともに、苦しみがそこに打ちつけられている存在を愛していればこそなのだ。生からはなれることは不可能なのである。なんという悲劇であり、なんという喜劇であろうか。生の倦怠は、その倦怠が拒む生への愛に浸されていることになるのだから。絶望によってすら、喜びという理想と手を切ることができない。

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