温もり
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「なぁ、あの組の奴らがあんたのことをなんて例えていたか、聞いたかい」
電灯が頼りなく周囲を照らす家路の最中、からりとした声で彼はそう言った。先程までの勝負の熱はこの少しの間ですっかり消え去っていることに驚きながら、いいえ、と答えた。
「クク…あんたは、あんたを持つ奴にだけ甘い蜜になり、それ以外の奴らには猛毒なんだと。安直ではあるが、的は外れてない」
彼は愉快そうに喉で笑う。毒と蜜という相反する言葉は、今までの記憶を引きずり出した。ぞわりと毛が逆立ち、唾を飲み込む。それを忘れたいがためか、脳に浮上した言葉をそのまま口にした。
「…あの時、何故ーー」
そこまで言いかけたのを、彼は私の口を手で覆って止める。合わさった眼が考えていたよりもずっと人間らしく、目を逸らすことは許されないような気がした。
「…もう終わったんだ。悪かったね、巻き込んじまって」
もう終わった、という言葉の裏側はこれ以上蒸し返すなということなのだろう。聞こうとしたことも対局中のたいしたことではなかったため、それならばと口を噤む。彼は悪いね、とだけまた言った。
あの後、しばらくすると相手の組の取引先だった老人が押しかけ、その老人は意外なことに組ではなくこの赤木という男に味方した。その時点で勝負の意味がなくなったため対局は取りやめとなったが、老人は当然ながら自分を手に入れることを諦めていなかった。生かして帰す手形として自分をよこせとその老人は言い、彼は断った。そして、仕方がない、ならばお主の得意とする麻雀で決めようとその老人は持ちかけた。よほど麻雀に自身があったようで、実際老人は確かに組の代打ちより遥かに強いように見えたが、しかしそれも流れのある冒頭だけのことで、その後はすぐに彼の流れと圧に潰された。仲介にと呼ばれた組は当たり前のようにその老人の息がかかっていたが、老人が賭けていた5億円を手をつけずにそっくりそのまま渡すという取引で、無傷であの場を後にした。勝手に幾たびも賭けるブツにされていた当の自分には長すぎる暇 の時間だったが、彼の打つ華やかな手を見ているのはそれなりに愉快だった。しかしポジションは彼の膝上のまま不動で、不快感とはもっと別の何かしらの違和感が腹の奥底あたりへ、水たまりのように溜まっている。
麻雀とは本気でやるものはとても時間を使うゲームだったようで、昼食も食べぬままもう夜の8時、腹はこれでもかとすっからかんだった。きっとあれだけ頭脳を働かせていた彼も同じーーいや、自分以上だろう。冷蔵庫に何があったかと思考を巡らせながら、とん、とん、と彼の隣を歩く。彼は当然だが自分より歩が速く、彼の二歩が自分の三歩だった。それでもゆったり歩いてくれるから小走りになることはない。電灯の頼りない明かりがぽつぽつと浮かび上がる中、ふと自分達の足音、息遣いが高まって聞こえて、またぞわりと悪寒に襲われた。あの時と似ている、そう思うと同時に彼の手が触れた瞬間が蘇っては消えていった。ふるり、と再びやってくる震えに、肌寒いせいだろうかと肩をさすってみる。
「…寒いの」
不意に彼が言う。少し、と肯定を口にする前に、彼は自分の手を手繰りよせた。するすると肌を撫ぜながら、今朝のことを反芻するように、交互に指先を絡めていく。ぞくり、と何かが疼いた。
「……しかしあんた、本当に慣れていないんだな、こういうの」
彼はそう言い、若干苦々しく、だが嬉しそうにはにかんだ。その表情のこの上ない人間らしさは、自らの何かをぐらりと傾けたようだった。
「…慣れれば、何か変わるのでしょうか」
1人と1人の発する人工音しか響かない暗闇では、言葉を口にすることがとてもしてはいけないようなことに思えて、そう聞いてから言わなければよかったと密かに悔いた。彼もそれを感じていたのかもわからないが、返答に少しの間があったことは事実だった。
「……さてね。まぁでも…あんたは、慣れることはなさそうだ」
彼はおもむろにポケットから煙草とジッポを取り出せば、ぷかり、とふかして喉の奥を震わせる。くつくつと音なく笑い、目を細めてこちらを見る姿にまたぞくりと寒気だった。
そうしてしばらく、繋がれた手のひらから倒れこむようにして伝わる彼の温度を、無意識ながらに握りしめていた。彼は一瞬だけ視線をこちらにやって、すぐそれを戻したと思えば、手のひらへじんわり力が込められる。自分も彼もとても温かいとは言えない温度だったが、手のひらだけ繋ぎ合わせながら進むうちにほかほかと温くなった。その何とも言い難いこそばゆさは、腹の底に溜まった違和感と混ざって溶けた。
電灯が頼りなく周囲を照らす家路の最中、からりとした声で彼はそう言った。先程までの勝負の熱はこの少しの間ですっかり消え去っていることに驚きながら、いいえ、と答えた。
「クク…あんたは、あんたを持つ奴にだけ甘い蜜になり、それ以外の奴らには猛毒なんだと。安直ではあるが、的は外れてない」
彼は愉快そうに喉で笑う。毒と蜜という相反する言葉は、今までの記憶を引きずり出した。ぞわりと毛が逆立ち、唾を飲み込む。それを忘れたいがためか、脳に浮上した言葉をそのまま口にした。
「…あの時、何故ーー」
そこまで言いかけたのを、彼は私の口を手で覆って止める。合わさった眼が考えていたよりもずっと人間らしく、目を逸らすことは許されないような気がした。
「…もう終わったんだ。悪かったね、巻き込んじまって」
もう終わった、という言葉の裏側はこれ以上蒸し返すなということなのだろう。聞こうとしたことも対局中のたいしたことではなかったため、それならばと口を噤む。彼は悪いね、とだけまた言った。
あの後、しばらくすると相手の組の取引先だった老人が押しかけ、その老人は意外なことに組ではなくこの赤木という男に味方した。その時点で勝負の意味がなくなったため対局は取りやめとなったが、老人は当然ながら自分を手に入れることを諦めていなかった。生かして帰す手形として自分をよこせとその老人は言い、彼は断った。そして、仕方がない、ならばお主の得意とする麻雀で決めようとその老人は持ちかけた。よほど麻雀に自身があったようで、実際老人は確かに組の代打ちより遥かに強いように見えたが、しかしそれも流れのある冒頭だけのことで、その後はすぐに彼の流れと圧に潰された。仲介にと呼ばれた組は当たり前のようにその老人の息がかかっていたが、老人が賭けていた5億円を手をつけずにそっくりそのまま渡すという取引で、無傷であの場を後にした。勝手に幾たびも賭けるブツにされていた当の自分には長すぎる
麻雀とは本気でやるものはとても時間を使うゲームだったようで、昼食も食べぬままもう夜の8時、腹はこれでもかとすっからかんだった。きっとあれだけ頭脳を働かせていた彼も同じーーいや、自分以上だろう。冷蔵庫に何があったかと思考を巡らせながら、とん、とん、と彼の隣を歩く。彼は当然だが自分より歩が速く、彼の二歩が自分の三歩だった。それでもゆったり歩いてくれるから小走りになることはない。電灯の頼りない明かりがぽつぽつと浮かび上がる中、ふと自分達の足音、息遣いが高まって聞こえて、またぞわりと悪寒に襲われた。あの時と似ている、そう思うと同時に彼の手が触れた瞬間が蘇っては消えていった。ふるり、と再びやってくる震えに、肌寒いせいだろうかと肩をさすってみる。
「…寒いの」
不意に彼が言う。少し、と肯定を口にする前に、彼は自分の手を手繰りよせた。するすると肌を撫ぜながら、今朝のことを反芻するように、交互に指先を絡めていく。ぞくり、と何かが疼いた。
「……しかしあんた、本当に慣れていないんだな、こういうの」
彼はそう言い、若干苦々しく、だが嬉しそうにはにかんだ。その表情のこの上ない人間らしさは、自らの何かをぐらりと傾けたようだった。
「…慣れれば、何か変わるのでしょうか」
1人と1人の発する人工音しか響かない暗闇では、言葉を口にすることがとてもしてはいけないようなことに思えて、そう聞いてから言わなければよかったと密かに悔いた。彼もそれを感じていたのかもわからないが、返答に少しの間があったことは事実だった。
「……さてね。まぁでも…あんたは、慣れることはなさそうだ」
彼はおもむろにポケットから煙草とジッポを取り出せば、ぷかり、とふかして喉の奥を震わせる。くつくつと音なく笑い、目を細めてこちらを見る姿にまたぞくりと寒気だった。
そうしてしばらく、繋がれた手のひらから倒れこむようにして伝わる彼の温度を、無意識ながらに握りしめていた。彼は一瞬だけ視線をこちらにやって、すぐそれを戻したと思えば、手のひらへじんわり力が込められる。自分も彼もとても温かいとは言えない温度だったが、手のひらだけ繋ぎ合わせながら進むうちにほかほかと温くなった。その何とも言い難いこそばゆさは、腹の底に溜まった違和感と混ざって溶けた。