翌日
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肌寒い空気がふわりと撫でていった。薄く目を開ければ途端に明るさが意識を覚醒させていく。体勢を変えようとしたら、滑らかな肌触りのシーツとベッドに自分は挟まれているのだと気付いた。しかし昨日はホテルに行ったのではないような気がするし、シーツもホテルのようなざらつきはあまりない。全ては起き上がればわかることなのだが、眠気が全力で妨害しにきていてなかなか行動に移せなかった。
そんな中聞こえたのは、ガチャン、という陶磁器が落ちたような音だった。反射的に身体をゆったり起こせば、目に入った景色とともに記憶などの情報が寝起きの頭に雪崩れ込んでくる。そうだ、あの女の家に来たのだ。周囲を見渡すと、隣には二つの本棚があった。簡素な木目調の本棚と、黒く塗装されたシンプルな本棚。黒いほうは書籍が一冊も入っておらず、きっとそこにあったであろう本が三箱のダンボールに詰められていた。昨日は風呂を借りた後すぐに寝てしまったから特に何も気付かなかったが、あの女が言うようにここに"父"がいるにしては、ある物は皆残骸と言うようなものばかりだった。
「…何してるの」
「ああ、おはようございます。食器を割ってしまって…」
そう言いながらカチャカチャと破片をかたす彼女はどこか急いて見えた。何を割ったのだと聞けば、父のお茶碗を割ってしまって、だから朝食のご飯茶碗は別なもので勘弁してくれと申し訳なさそうに言った。彼女は破片をひとしきり集めて掃除機をかけ終わると、すぐできますから座っていてくださいと促した。言われるままに座れば、目の前にコトンコトンと料理が並べられていった。
「アレルギーとか、大丈夫ですか?卵も牛乳も使っていますから…」
「ああ、問題ない。ところでこれは?」
「それはぜんまいですね。今は時期じゃないんですけと、最近になって冷凍したものが出てきたから。美味しいですよ」
「へぇ。じゃあこれは?」
「それは食用の菊の和え物です。この前作る機会があって持っていったんですけど余っちゃって」
「ふーん、菊ね……」
「冷めちゃいますから、早めに召し上がってくださいね。お先にいただきます」
「…いただきます」
出されたもののほとんどが知らないようなものばかりで、意図せず質問責めになった。知っているものといえば肉じゃがと味噌汁、白米、海苔の佃煮だけだった。
「これは、どんな味?」
「ああ、それはひじきとチーズのマリネです。少し酸っぱいものなんですけど、それが苦手じゃなければ美味いと思います」
「じゃあ、これは?」
「ぬか漬けです。それも酸っぱいんですけど口当たりは滑らかなお漬物ですから、きっと美味しいと思いますよ。今日はきゅうりと人参がうまく漬けられたのでおすすめです」
ひとつひとつ聞けばすらすらと答える姿をもっと見たくて、手当たり次第に聞いていった。嫌な顔ひとつせず全てに丁寧に答える彼女はどことなく嬉しそうに話していて、それがまた愉快だった。
「あんた、これ全部自分で作ったの」
「はい、自炊の方が安く済みますから…もしかして、お口に合わなかったでしょうか」
「いや、気になっただけだ。美味いね、これ」
そう言えば彼女は柔らかく笑って、ありがとうございます、祖母直伝の自慢のレシピなんですと照れ隠しのように答えた。美味いという一言をかけただけだというのに、彼女は本当に嬉しいようだった。昨晩は互いにお茶しか口にしなかったせいで腹が空いていて、少し多いとも見えた料理はすっかり綺麗になくなった。ごちそうさまでした、と彼女が手を合わせたので、とりあえず真似をしてごちそうさまでしたと言った。彼女は満足そうにして、お茶は飲むか、お茶菓子は食べるかと聞いて、出してくれるのならと答えた。しばらくして、目の前に今度は緑茶と一口大に切られた二切れの羊羹が出された。丁寧に添えてある楊枝で一切れを刺し、口に放り込んだ。途端に甘さが広がっていく。彼女に視線をやれば、彼女ははにかみながらお茶はもうちょっと待ってください、せっかちですねと言った。そう時間もたたずに出てきた緑茶は昨日飲んだものよりも幾分か美味く感じた。
目の前の菓子に集中して、お互いの茶をすする音と羊羹を食べる音だけが響く。彼女の伏し目がちな瞳は何故か悲しみをたたえているような気がして、それが無性に腹立たしく思えた。激しい怒りなどではないが、確実に奥底で沸々とうごめく怒りだった。そしてその怒りから、特に話すようなことでもなかったから話さなかったある話題を振ることにした。勿論、意図的に彼女を傷付けようとしていることは承知の上だった。
そんな中聞こえたのは、ガチャン、という陶磁器が落ちたような音だった。反射的に身体をゆったり起こせば、目に入った景色とともに記憶などの情報が寝起きの頭に雪崩れ込んでくる。そうだ、あの女の家に来たのだ。周囲を見渡すと、隣には二つの本棚があった。簡素な木目調の本棚と、黒く塗装されたシンプルな本棚。黒いほうは書籍が一冊も入っておらず、きっとそこにあったであろう本が三箱のダンボールに詰められていた。昨日は風呂を借りた後すぐに寝てしまったから特に何も気付かなかったが、あの女が言うようにここに"父"がいるにしては、ある物は皆残骸と言うようなものばかりだった。
「…何してるの」
「ああ、おはようございます。食器を割ってしまって…」
そう言いながらカチャカチャと破片をかたす彼女はどこか急いて見えた。何を割ったのだと聞けば、父のお茶碗を割ってしまって、だから朝食のご飯茶碗は別なもので勘弁してくれと申し訳なさそうに言った。彼女は破片をひとしきり集めて掃除機をかけ終わると、すぐできますから座っていてくださいと促した。言われるままに座れば、目の前にコトンコトンと料理が並べられていった。
「アレルギーとか、大丈夫ですか?卵も牛乳も使っていますから…」
「ああ、問題ない。ところでこれは?」
「それはぜんまいですね。今は時期じゃないんですけと、最近になって冷凍したものが出てきたから。美味しいですよ」
「へぇ。じゃあこれは?」
「それは食用の菊の和え物です。この前作る機会があって持っていったんですけど余っちゃって」
「ふーん、菊ね……」
「冷めちゃいますから、早めに召し上がってくださいね。お先にいただきます」
「…いただきます」
出されたもののほとんどが知らないようなものばかりで、意図せず質問責めになった。知っているものといえば肉じゃがと味噌汁、白米、海苔の佃煮だけだった。
「これは、どんな味?」
「ああ、それはひじきとチーズのマリネです。少し酸っぱいものなんですけど、それが苦手じゃなければ美味いと思います」
「じゃあ、これは?」
「ぬか漬けです。それも酸っぱいんですけど口当たりは滑らかなお漬物ですから、きっと美味しいと思いますよ。今日はきゅうりと人参がうまく漬けられたのでおすすめです」
ひとつひとつ聞けばすらすらと答える姿をもっと見たくて、手当たり次第に聞いていった。嫌な顔ひとつせず全てに丁寧に答える彼女はどことなく嬉しそうに話していて、それがまた愉快だった。
「あんた、これ全部自分で作ったの」
「はい、自炊の方が安く済みますから…もしかして、お口に合わなかったでしょうか」
「いや、気になっただけだ。美味いね、これ」
そう言えば彼女は柔らかく笑って、ありがとうございます、祖母直伝の自慢のレシピなんですと照れ隠しのように答えた。美味いという一言をかけただけだというのに、彼女は本当に嬉しいようだった。昨晩は互いにお茶しか口にしなかったせいで腹が空いていて、少し多いとも見えた料理はすっかり綺麗になくなった。ごちそうさまでした、と彼女が手を合わせたので、とりあえず真似をしてごちそうさまでしたと言った。彼女は満足そうにして、お茶は飲むか、お茶菓子は食べるかと聞いて、出してくれるのならと答えた。しばらくして、目の前に今度は緑茶と一口大に切られた二切れの羊羹が出された。丁寧に添えてある楊枝で一切れを刺し、口に放り込んだ。途端に甘さが広がっていく。彼女に視線をやれば、彼女ははにかみながらお茶はもうちょっと待ってください、せっかちですねと言った。そう時間もたたずに出てきた緑茶は昨日飲んだものよりも幾分か美味く感じた。
目の前の菓子に集中して、お互いの茶をすする音と羊羹を食べる音だけが響く。彼女の伏し目がちな瞳は何故か悲しみをたたえているような気がして、それが無性に腹立たしく思えた。激しい怒りなどではないが、確実に奥底で沸々とうごめく怒りだった。そしてその怒りから、特に話すようなことでもなかったから話さなかったある話題を振ることにした。勿論、意図的に彼女を傷付けようとしていることは承知の上だった。