デフォルトでは「神庭(かんば)実里(みのり)」になります。
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眩しい。
開眼一番にそう思った。ひやりとした早朝特有の空気が頬から伝わる。何回か眼を瞬かせ、ぼんやりと壁にかかった時計を見た。その針はもうすぐ7時を指す頃ーー。
「…っ遅刻!」
ばっと飛び起きて素早く制服に着替える。厳密に言えば学校の遅刻にはならないが風紀の仕事には遅刻だ。持ち物は昨日用意してあったが食料はそこまで残っていない。今日は千紗との担当だったのにこんな日に限って…!
冷蔵庫の中を見て、牛乳だけ取ってすぐに扉を閉じた。勿体無いが今日はお昼は買っていくしかない。早く行かなければ。
「千紗ちゃん、おはよう! ごめんね遅くなっちゃって」
「びっくりしたよ、実里ちゃんが遅れるなんて珍しいから。鞄置いてきなよ、まだ人もそこまで多くないし」
「ごめん、ありがとう。あと、髪、似合ってるよ」
彼女はそれを聞くと照れ臭そうに笑った。頭の真ん中程の高さでひとまとめにされた髪は、思った以上に彼女の可愛さを強めている。今までもなかなか人気だったが、これからきっともっとモテるだろうなぁ。思わず頬が緩む。さて、彼女が先輩を振り向かせる日もそう遠くないだろう。
*
目の前に一台のワゴン車が停まった。スモークガラスによって中に誰が入っているかは見えないが、風紀委員として見逃すわけにはいかない。コンコン、と助手席側のガラスをノックすると、ガラスは段々と下がっていった。
「風紀委員です、学校のほうに許可は取って頂けていますでしょうか?」
「ああはい、許可証だよ。今日はこの学校の取材をさせてもらうことになってね…君と、そのポニーテールの子もこの学校の風紀委員?」
三十代後半程の男性は千紗を指した。肯定の返事をすれば彼は不気味に笑って、取材の趣旨を話し始めた。
「実は今日、学校の風紀についてを取材に来たんだよ。仕事中悪いんだけど、ちょっと質問してもいいよね? あ、一応全国放送だから」
彼は名刺を見せて渡してきた。某有名テレビ局のディレクターと書いてある。その割には、あまり礼儀のなっていない人のようだけれど。
「申し訳ないのですが仰る通り仕事中ですので、対応のほうが放課後になってしまってもよろしいでしょうか?」
「大丈夫だよ、ほら校長先生にも許可は取ってあるから。それより君達美人さんだね~、さあさあ二人で並んで、カメラ早く回せ!」
無理矢理並べさせられて、千紗は私の袖を掴む。
「…ねえ実里ちゃん、大丈夫かなぁ…」
「…校長先生の許可証は本物だったし…でも、どうしようか」
とりあえず成り行きに任せてみてもいいけれど…。
「すみません、テレビ局の方ですよね?」
その時だった。いつの間にか背後には山本先輩が立っていた。彼は雰囲気の変わった千紗に驚くこともなくスタスタとこちらに来ると、彼は男性とスタッフ達と話すから、と彼らを連れて行った。
「…山本先輩…」
彼女はそう小さく呟いて、少しだけ顔を俯かせる。
「……千紗ちゃん…」
昨日はああだったけれど、やはり落ち込んでいるのだろうか。しかし彼女はそんな懸念とは裏腹に、むしろ憤っているようだった。そんな彼女の強さにふっと頬が緩む。
「山本先輩ったら、フった女がここまで頑張って変わったのに気にしないなんて…! もうこうなったら意地だよ実里ちゃん、必ず先輩を振り向かせてやるんだから!」
「…っははは! なんか安心したよ、てっきり落ち込んでるものかと」
「いつまでも落ち込んでいられないもん! 私、メンタルの弱さを切り替えの早さで補ってきたんだよ」
千紗ちゃん、それを世間一般ではメンタルの強い子と言うんじゃないかな。心の中の突っ込みも彼女に届くことなく、彼女は尚更張り切って取り締まりをしている。強いなぁ、と彼女に舌を巻くばかりだ。
千紗の怒涛の変わりっぷりから、私の恋に対する興味が少し変わってきていた。だがそれと同時に、自分には縁がないことだということもわかっていた。
少し前、二年生になってすぐの時に、中学校の時に同じ部活だったという一年の男子から告白された。しかし、私は彼に見覚えがなかった。もし本当に同じ部活だったとしても、そのこと自体をすっぽり忘れてしまっていた。
私が私自身に疑問を抱き始めたのは、その時からだった。親はどんな顔だっけ。兄弟はいたっけ。そもそも、なんで私はここにいるんだっけ。考えれば考えるほど、私は曖昧だった。記憶がないということは、他の人に忘れられさえすれば私の存在は消えてしまうのと同じなのに。私の何もかも全てがぼかされて見えないような、そんな状態だった。
だから私はあれ以降、恋を含めた人との接触にどこか恐怖心を抱いているのかもしれない。親友の千紗でさえも私は忘れてしまうのではないかという恐怖が、ずっと私の頭の片隅にある。
*
「あっ、神庭さん!?」
急に呼ばれた自分の名前に、びくり、と反応する。その声に振り返ると、そこには昨日話した武藤君と友人らしき人が立っていた。
「おはよう武藤君、今日は私が登校チェック担当なの。ところで、その子は友達?」
「なんだよ遊戯ィ、こんな美人と知り合いだったんなら早く紹介しろよ~!あっ、俺城之内って言います! 」
金髪の彼はそう言って武藤の頭ををぐりぐりする。痛そうだなあと思いながら、持っているボードに名前を書いた。
「じゃあ二人とも、チェック付けといたから今日の放課後に一階の風紀委員室に来るように。サボりは禁止。いいね?」
「えっ、えええーっ!?!? そんな、見逃してくれよ! 俺も遊戯もこれ地毛なんだぜ!?」
「まさか、そんな小学生並みの言い訳が通用するとでも? 遅刻するよ、また放課後にね」
がっくりと項垂れる彼とは真逆に、何故か態度がぎこちないけれど少し嬉しそうな顔をする武藤。彼は昨日もそうだがなんとも不思議な顔をする。クラスに一人いるかいないかの、見ていて飽きない部類の人だ。彼と一瞬ぱちりと目が合って、すぐに逸らされた。なんだか昨日とは随分違ってとてもこそばゆくなる反応をするなぁ。彼はそれを紛らわすかのように、例のワゴン車を指差した。
「ねっ、ねえこの車、ど真ん中に止まってるけどどうしたの?」
「ああ、それテレビ局が取材に来たらしくて…」
「テレビ局ー!?すっげー!でもなんでこの学校に!?」
「さぁ…」
「もしかしてこの学校に有名人とか超人気アイドルが通ってたりして!!」
「おーっそいつは事件だせ遊戯!」
…
まだ青い夕日の差し込む委員室。太陽とは不思議だ。同じものなのにそれが見せる景色は決して二度目がない。雲も含めた空が昔から好きだった。
…昔から?
…ああ、そうだ。また一つ、思い出した。昔からずっと変わり続けるものを見るのが好きだった。私も、そんな人になりたくて。
たまにこうやって、昔のことをふと思い出す時がある。どうやって思い出すのかはわからないけれど、なんとなく、それは誰かの願いが叶った時のように思えた。誰かのお社に預けた願いが、お社から持ち主に還された時。でも思い出すのはちょっとでしかなくて、ああ、これか、と軽く受け止めている。
「…遅い!」
その声とガタッという音にはっとさせられる。隣に座っている同じクラスの山田さんが痺れを切らし、もうすぐ彼女の堪忍袋が弾けそうということだけはわかった。彼女は根はいい子なのだが、それ以前に気が強くて苦手だ。その彼女が私に話しかけてきた。
「ねぇ!実里のチェックした男子二人、いつまでバックレる気よ!まったくこっちは待ってやってるのに…」
「チェックしたのは私だし、皆はもう帰ってていいよ。私だけでも処理はできるし、まだ部活が終わってからそう時間たってないし。もうすぐしたら来ると思う」
「あんたバッカじゃないの!30分も待たされておいてまだ待つ気?呆れた…じゃ、お言葉に甘えさせてもらうわ。最近は物騒なんだから精々注意して帰ることね。さ、皆解散!」
書記を務める彼女がパンパン、と手を叩き、皆は一斉に部屋を出て行く。残ったのは私と、晴れて副委員長となった千紗と、委員長の山本先輩だった。
「千紗は…ああ、副委員長の仕事があるんだったね」
「うん、その…実里ちゃんに話したいことがあるから、帰ったら後で電話するね」
「わかった。…あー、ちょっと飲み物買ってくるね。二人でごゆっくりどうぞ」
「えっ…ちょっと実里ちゃん!?」
途端に慌て出す彼女を視界の端に捉えながら、委員室の扉をくぐる。こんなお節介しちゃってごめんね。頑張れ、千紗ちゃん。
*
いつもの帰り道をゆったりとした歩調で辿っていく。結局、武藤君も城之内君も来なかった。山本先輩と千紗が一緒に帰る機会を作ってれたのには感謝だが、風紀委員としてはなかなかに頭にくることだった。日は傾き、あの時の青さは何処へやら、すっかり赤くなっている。雲は影と光をなして、美しい空をますます彩っていた。
そんな時、ふと目の前を通り過ぎた見覚えのある姿影。
…武藤君だった。いつもと雰囲気が少し違うような気がするのは何故だろう。気弱そうで優しそうな彼ではなく、何もかもを上から見下ろし、それが許されている立場にあると認めさせられるような、威厳ある雰囲気。いつもの彼とは全く違う、恐ろしささえ感じさせるものだった。
彼が通りを曲がって行くのを見て我に帰る。私の時間を無駄にしてまで行くのはどんなところなのだろう。怒りよりもそんな単純な好奇心が私の頭に広がっていった。無論それは私の両足にも反映される。気がついたら、彼を追っていた。
彼を追って20分程、彼と私はそれなりに遠いところに来ていた。着いた場所は、普通は来ないだろうテレビ局。まさか、今朝のことがあって、だからだろうか? 彼の推測していたアイドルのためにここまで来たとも思えない。少し考えているうちに彼は先に進んでしまっていて、急いでその後を追う。私もどうしてこんなストーカーじみたことをしているのだろうか。さっさと声をかければいいことはわかっているのだが、今の彼に声をかけてはいけないような気がした。
彼が向かったのは駐車場だった。コツン、カツン、と音を立てて、堂々と歩いていく。駐車場に響くのはその音だけではなく、誰かが話している声も複数聞こえた。そして片方が、お疲れ様と言って帰っていく。
「待ってたぜディレクターさん」
少しの静寂を破ったのは彼だった。ディレクターさん、と言われて見てみれば、確かにあれは今朝の悪そうな男だった。そういえば私と千紗は昼休みに質問攻めにされて酷い目にあったが、あれを本当に放送するつもりなのだろうか。もしかしたらもう放送してしまったかもしれないけれど、私はともかく千紗に迷惑を掛けてしまうのではということだけが心配だった。
男と武藤は何かを話しているが、彼らとは少し距離があり、かつ駐車場によって声がエコーするためよく聞こえない。何かをやろうとしていることはわかる。あれは…サイコロ?
「ゲームスタート」
そう言って彼はサイコロを頭より上の高さから落とした。彼はあの男とゲームをするためだけにこんなところに来たのだろうか。どうしても気になって、じり、と距離を詰める。
カーン、カツン、とサイコロは小さく回り、ゆっくりと出目を示した。
「6!」
男は途端に高笑いをして、どうやらゲームの勝ちを確信したらしい。それでも武藤君はサイコロを振らせるなんて、どんなゲームをしているのだろう。
すると、男が手にしたサイコロを武藤に向かって投げつけた。思わず危ない、と声を出してしまう。彼は少しだけ動いたが、こちらには気付いていないだろうか。サイコロはまたカツンと音を響かせて、ゲームの勝者を示す。
「! 1! ハハハハ、1だぞ1! オレの勝ち!」
勝ったのはあの男だったらしい。しかしここまできてゲームなんて、武藤はそんなにゲームがしたかったのだろうか。
「…いや、罰ゲームを受けてもらう」
罰ゲーム、と彼ははっきりと言った。負けた側に罰ゲームをさせる権限があるものかと思っていると、男は大層驚いてこう言う。
「サ…サイコロが割れて…7だとおおお!?」
「罰ゲーム!!モザイク幻想!!」
彼のその言葉の後に、男は目を押さえて悲鳴をあげていた。ひどく混乱した様子で、目が、目が!と叫んでいる。その様子から、ゲームオーバーの文字が脳内に浮かんだ。
武藤は男に何か言うと、くるりとこちらを向いた。私とピンポイントに目を合わせ、迷わずこちらに進んできた。彼の顔は先程とは全く違って清々しいといった雰囲気だが、それでもその気迫に思わず後ずさる。彼はそれを見て、ますます早歩きでこちらに向かってきた。そして、とうとう目の前にカツン、と立った。
「む、武藤君?私に何か用?」
彼は私の質問に答えるでもなくただ私をまじまじと見ている。私も誰かを見ている時はこんな感じなんだろうか。こんなのだったら千紗に注意されて当たり前だ。
「…いや、そうか、お前が…。…あの時は助かったぜ。ありがとう」
「…えっ?」
彼はよくわからない礼だけ言ってさっさと歩いて行った。しばらく呆然としていたが、ハッとして急いで彼の後を追う。しかし彼はもうどこにもいなくなっていた。
何故か、彼は武藤とは別人のような気がした。双子の兄かとも思ったが、彼の宝物だというパズルは胸にしっかりとかけられていたはずだ。けれど、彼が別人かもしれないという思いは膨らんでいく。彼はあれほど好戦的で、勝負強さがあっただろうか。あれほど声が低かっただろうか。あれほど…。
(彼は不思議だ…)
今朝とは全く違う雰囲気だった武藤。いったい彼は何者なんだろうか。
リリリリリ…と鞄の中で音がした。びくりと驚いたが、ただの電話の音だと安堵する。千紗からだ。きっと今日のことだろう。
「もしもし?」
『…実里ちゃん、その、今日はありがとう。…でも、でもね、もう二度とこんなことしないで欲しいの』
武藤遊戯がどんな存在なのかを後々知ることになるけれど、今の私はまだそれを知らない。