デフォルトでは「神庭(かんば)実里(みのり)」になります。
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「ただいま…」
トントン、と足音だけが冷ややかな床に響く。一人しかいない家に声をかけたって虚しくなるだけでも、それでもここは私の家だった。コツン、とローファーを揃えて、すぐに部屋へ入る。手早く制服を着替えて宿題と予習へ手をつけたがいつもより少なかったおかげですぐに終わった。今夜は頂いた鮭と野菜を使って何か作るとして、食料を補充しないといけない。もうすぐ奨学金の更新もしなければ。今月はあといくらだっただろうか。
立ち上がり、サンダルに足をつっかける。本日のお賽銭の回収だ。
私は物心ついた時からこの小さな神社の管理者だった。小さい頃の記憶はあまりない。親がいたことは覚えているが、それまでの過程は曖昧だ。気がつけば地元の公立高校に通っていて、今の生活をしていた。けれど、そこまで気にしてはいない。そもそも覚えていないのだから、そこまで執着心もあるはずもない。
カチリ、とお賽銭箱の錠を開ける。いつもよりまだ早いけれど、中身はないことがほとんどだから少しくらい早くても大丈夫だろう。
…と、そう思ったのだが。
「…え、ど、泥棒…!?」
その声にパッと顔を上げると、特徴的な髪型の少年が立っていた。逆光で顔はよく見えず、光が眩しくて目を細めた。…このシルエットは、どこかで見覚えがあるような気がする。
「泥棒じゃありません、ここの管理人です。勘違いさせてしまって申し訳ないです…参拝客の方ですか?」
錠をかけ直して鍵をポケットへ滑り込ませた。よく見えなかった彼を、彼が近くに来たことでようやく認識することができた。でも、どこで見たんだっけ。
「えっ、君ってお昼の…!」
少年はひどく驚いた顔でそう言う。お昼…さて、お昼に何かあっただろうか。
「やっぱりそうだ、君、お昼にぶつかっちゃった子でしょ? あの時はごめん、ちょっと友達に呼ばれて急いでて…」
「…ああ、あの取り締まれそうな髪型の!」
ぽん、と手を叩く。うんうんと頭を捻って、やっと思い出した。私の言葉を聞いてか、彼はゲェ、と声を漏らす。
「…あの、君ってもしかして風紀委員?」
「そうだよ、ところであなたは一年生?」
私、二年なんだけど。私がそう言うと、彼はますます青ざめていく。それもそのはず、先輩の風紀委員にタメ口で、校則違反と注意されたら誰だってこんな顔をするだろう。
「そ、そうだったんですか!お昼は失礼しました!僕ったらてっきり同学年の子かと…本当に、すみませんでした!」
ほぼ直角に頭を下げる彼に、大丈夫だよ、と頭を上げるよう頼む。そこそこ低い身長だから間違えるのも無理はない。しかし、彼もまたかなり背丈が低い。ちゃんと食べているのだろうか。首にかかった重そうな四角錐のネックレスが存在を示すように揺れ、夕焼けに反射して光った。
「私は神庭実里。君はなんて言うの?」
「僕は武藤遊戯!…あ、です! …敬語はちょっと苦手で…」
ぱあっと笑顔になった彼は、すぐに苦そうな顔をした。表情がころころ変わる彼に見とれて思わず素で見つめていると、彼は段々赤くなっていく。
「あ、あの…僕の顔に何か…?」
「え、あ、いや、ごめん。つい癖が出ちゃって」
そうですか、と彼は返す。いけないいけない。つい人を見ているのが癖で、いつも千紗ちゃんに注意されているのに。それにしてもなんだか気まずいのは何故だろう。
…本当に、何故ここまで気まずいんだろう。
何か話題を、と悩んで、冗談のつもりで口にする。
「もしかして、いつも一週間に一度五十円のお賽銭をくれるのは武藤君?」
彼は私の声にびくりとはねて、次は目を丸くさせて驚愕した。
「ど、どうしてそれを知ってるの!?」
「そりゃあまあ、ずっと見てれば規則的なお賽銭くらい…え、本当に武藤君だったの!?」
そうして訪れた少しの沈黙がおかしてく、思わず二人して吹き出してしまった。まさか本当に彼だったとは。
「そうだったんだ、いつもお賽銭ありがとう」
「そんな!そうだ、今日はお礼に来たんだ。…あ、来たんです。前にしたお願いが叶ったから」
すみません、と言う彼はどうやらかなり敬語が苦手らしい。
「話しにくいなら敬語使わなくていいよ。それより、前のお願いって?」
「ありがとう…ああ、これ!パズルなんだけどね、ずっと完成しなくてもうダメかと思ってたんだけど、ついに出来たんだ!」
彼は満面の笑みで胸元の大きすぎるアクセサリーを手にする。またきらりと輝くそれは、今まで夕焼けのせいで気付かなかったが黄金のように見えた。複雑なピースの繋ぎ目と、教科書で見たことのある眼が彫られている。彼はそれをくるくると手で回してみせて、またきらきらと反射する。その様は息をのむほど美しかった。
「…もしかして見惚れてる?」
「…あ、ごめん…すごく綺麗だったから」
「わかる、本当に綺麗だよね!ここの神様にお礼言わなきゃ!」
「ふふ、そうだね。…じゃあこれが、武藤君のお願い、だったんだ」
そう呟いたのは、心から嬉しそうにして笑っている彼には聞こえていない。あまりにもにこにこしている彼につられて頬が緩んだ。
「あ、そうだ忘れるところだった! 神様にこれ、供えておいて貰えない?」
そう言って彼は小さな紙袋を差し出した。これは確か、近所のドーナツ店のものではなかったか。
「何かお礼しようと思ってたら丁度半額セールやってて…その、ごめん…」
「ううん、きっと神様も喜んでくれると思う。ありがとう」
紙袋を受け取ってお礼を言うと、途端に彼は何故か恥じらいだして、「僕ちょっと予定があるから」と帰ってしまった。段々と日も傾いてきて、駆けていく彼の影をぼんやりと見ていた。
*
綺麗だと、彼女はそう言った。確かにこれは綺麗だ。神々しく荘厳に輝いている。
でも?
ありがとう、と彼女に言われた途端に、鼓動が加速していった。顔が熱を抱き始める。千年パズルを手にしている感触がおかしい。宝物を持っているのに、その時だけは鉛を持っているようだった。弧を描く唇、やわらいだ雰囲気の眼、少し下げられた眉、輝く黒髪。夕焼けで染まる彼女は宝物に劣らず、それ以上に美しかった。
慌ててお供え用に買ったものを押し付けてきてしまったけれど、ある意味あれを買ってよかったかもしれない。
(神庭さん、だったっけ…)
明日会えるかな、とまで考えて、いいやそんなことは無理だと否定する。会ったところで、まともな対応ができる気がしない。ああ、また顔が熱くなった。
何故だろう、なんだか調子がおかしい。
*
「お願い、ちゃんと叶ったよ。それにこんな素敵なお礼まで貰っちゃった」
お社に語りかけても返事はない。
「このドーナツ屋さんちょっと気になってたんだ。千紗ちゃんが美味しいって言ってたから」
また。そう、まただ。
もうこれで何度目だろう。
「…ねえ、なんで私はこんなことしてるんだろう。こんなこと、」
虚しくなるだけなのに。
*
私がやらなければいけないことは三つある。
一つ。お社の管理をすること。
二つ。毎日お社に語りかけること。
そして三つ。願いを全て聞き届けること。
今まで、ずっとこうして生きてきた。自分がどこで生まれたのか、親はどんな人だったか、家族はいたのか。幼い頃の記憶はほとんどなくなってしまっている。でもこの三つだけはいつも覚えている。脳髄に直接刻まれているかのようにこの記憶だけは常に鮮明で、しかし習慣的でもない。
ひとつ言えることは、曖昧だということ。私の存在が、私自身が、存在しているけれど存在していないような、そんな気がするのだ。いつもお社に語りかけて、皆の願いをただ聞き届ける。それの繰り返し。願いがなくなれば私は消えてしまうのではないか。願いに縋り、願いを纏っていなければ私は存在しているけれど存在していないのと同じなのではないか。そんな考えが脳の片隅でいつもくすぶっている。
…はぁ、と息を吐く。お社に向かって話しかける時はいつもこうだ。ドーナツは貰うからね、とお社を出ていく。どうしてこんな使命感に駆られるのかも何故やめられないのかもわからないけれど、私は生きている。
きっと、これからもずっと。
トントン、と足音だけが冷ややかな床に響く。一人しかいない家に声をかけたって虚しくなるだけでも、それでもここは私の家だった。コツン、とローファーを揃えて、すぐに部屋へ入る。手早く制服を着替えて宿題と予習へ手をつけたがいつもより少なかったおかげですぐに終わった。今夜は頂いた鮭と野菜を使って何か作るとして、食料を補充しないといけない。もうすぐ奨学金の更新もしなければ。今月はあといくらだっただろうか。
立ち上がり、サンダルに足をつっかける。本日のお賽銭の回収だ。
私は物心ついた時からこの小さな神社の管理者だった。小さい頃の記憶はあまりない。親がいたことは覚えているが、それまでの過程は曖昧だ。気がつけば地元の公立高校に通っていて、今の生活をしていた。けれど、そこまで気にしてはいない。そもそも覚えていないのだから、そこまで執着心もあるはずもない。
カチリ、とお賽銭箱の錠を開ける。いつもよりまだ早いけれど、中身はないことがほとんどだから少しくらい早くても大丈夫だろう。
…と、そう思ったのだが。
「…え、ど、泥棒…!?」
その声にパッと顔を上げると、特徴的な髪型の少年が立っていた。逆光で顔はよく見えず、光が眩しくて目を細めた。…このシルエットは、どこかで見覚えがあるような気がする。
「泥棒じゃありません、ここの管理人です。勘違いさせてしまって申し訳ないです…参拝客の方ですか?」
錠をかけ直して鍵をポケットへ滑り込ませた。よく見えなかった彼を、彼が近くに来たことでようやく認識することができた。でも、どこで見たんだっけ。
「えっ、君ってお昼の…!」
少年はひどく驚いた顔でそう言う。お昼…さて、お昼に何かあっただろうか。
「やっぱりそうだ、君、お昼にぶつかっちゃった子でしょ? あの時はごめん、ちょっと友達に呼ばれて急いでて…」
「…ああ、あの取り締まれそうな髪型の!」
ぽん、と手を叩く。うんうんと頭を捻って、やっと思い出した。私の言葉を聞いてか、彼はゲェ、と声を漏らす。
「…あの、君ってもしかして風紀委員?」
「そうだよ、ところであなたは一年生?」
私、二年なんだけど。私がそう言うと、彼はますます青ざめていく。それもそのはず、先輩の風紀委員にタメ口で、校則違反と注意されたら誰だってこんな顔をするだろう。
「そ、そうだったんですか!お昼は失礼しました!僕ったらてっきり同学年の子かと…本当に、すみませんでした!」
ほぼ直角に頭を下げる彼に、大丈夫だよ、と頭を上げるよう頼む。そこそこ低い身長だから間違えるのも無理はない。しかし、彼もまたかなり背丈が低い。ちゃんと食べているのだろうか。首にかかった重そうな四角錐のネックレスが存在を示すように揺れ、夕焼けに反射して光った。
「私は神庭実里。君はなんて言うの?」
「僕は武藤遊戯!…あ、です! …敬語はちょっと苦手で…」
ぱあっと笑顔になった彼は、すぐに苦そうな顔をした。表情がころころ変わる彼に見とれて思わず素で見つめていると、彼は段々赤くなっていく。
「あ、あの…僕の顔に何か…?」
「え、あ、いや、ごめん。つい癖が出ちゃって」
そうですか、と彼は返す。いけないいけない。つい人を見ているのが癖で、いつも千紗ちゃんに注意されているのに。それにしてもなんだか気まずいのは何故だろう。
…本当に、何故ここまで気まずいんだろう。
何か話題を、と悩んで、冗談のつもりで口にする。
「もしかして、いつも一週間に一度五十円のお賽銭をくれるのは武藤君?」
彼は私の声にびくりとはねて、次は目を丸くさせて驚愕した。
「ど、どうしてそれを知ってるの!?」
「そりゃあまあ、ずっと見てれば規則的なお賽銭くらい…え、本当に武藤君だったの!?」
そうして訪れた少しの沈黙がおかしてく、思わず二人して吹き出してしまった。まさか本当に彼だったとは。
「そうだったんだ、いつもお賽銭ありがとう」
「そんな!そうだ、今日はお礼に来たんだ。…あ、来たんです。前にしたお願いが叶ったから」
すみません、と言う彼はどうやらかなり敬語が苦手らしい。
「話しにくいなら敬語使わなくていいよ。それより、前のお願いって?」
「ありがとう…ああ、これ!パズルなんだけどね、ずっと完成しなくてもうダメかと思ってたんだけど、ついに出来たんだ!」
彼は満面の笑みで胸元の大きすぎるアクセサリーを手にする。またきらりと輝くそれは、今まで夕焼けのせいで気付かなかったが黄金のように見えた。複雑なピースの繋ぎ目と、教科書で見たことのある眼が彫られている。彼はそれをくるくると手で回してみせて、またきらきらと反射する。その様は息をのむほど美しかった。
「…もしかして見惚れてる?」
「…あ、ごめん…すごく綺麗だったから」
「わかる、本当に綺麗だよね!ここの神様にお礼言わなきゃ!」
「ふふ、そうだね。…じゃあこれが、武藤君のお願い、だったんだ」
そう呟いたのは、心から嬉しそうにして笑っている彼には聞こえていない。あまりにもにこにこしている彼につられて頬が緩んだ。
「あ、そうだ忘れるところだった! 神様にこれ、供えておいて貰えない?」
そう言って彼は小さな紙袋を差し出した。これは確か、近所のドーナツ店のものではなかったか。
「何かお礼しようと思ってたら丁度半額セールやってて…その、ごめん…」
「ううん、きっと神様も喜んでくれると思う。ありがとう」
紙袋を受け取ってお礼を言うと、途端に彼は何故か恥じらいだして、「僕ちょっと予定があるから」と帰ってしまった。段々と日も傾いてきて、駆けていく彼の影をぼんやりと見ていた。
*
綺麗だと、彼女はそう言った。確かにこれは綺麗だ。神々しく荘厳に輝いている。
でも?
ありがとう、と彼女に言われた途端に、鼓動が加速していった。顔が熱を抱き始める。千年パズルを手にしている感触がおかしい。宝物を持っているのに、その時だけは鉛を持っているようだった。弧を描く唇、やわらいだ雰囲気の眼、少し下げられた眉、輝く黒髪。夕焼けで染まる彼女は宝物に劣らず、それ以上に美しかった。
慌ててお供え用に買ったものを押し付けてきてしまったけれど、ある意味あれを買ってよかったかもしれない。
(神庭さん、だったっけ…)
明日会えるかな、とまで考えて、いいやそんなことは無理だと否定する。会ったところで、まともな対応ができる気がしない。ああ、また顔が熱くなった。
何故だろう、なんだか調子がおかしい。
*
「お願い、ちゃんと叶ったよ。それにこんな素敵なお礼まで貰っちゃった」
お社に語りかけても返事はない。
「このドーナツ屋さんちょっと気になってたんだ。千紗ちゃんが美味しいって言ってたから」
また。そう、まただ。
もうこれで何度目だろう。
「…ねえ、なんで私はこんなことしてるんだろう。こんなこと、」
虚しくなるだけなのに。
*
私がやらなければいけないことは三つある。
一つ。お社の管理をすること。
二つ。毎日お社に語りかけること。
そして三つ。願いを全て聞き届けること。
今まで、ずっとこうして生きてきた。自分がどこで生まれたのか、親はどんな人だったか、家族はいたのか。幼い頃の記憶はほとんどなくなってしまっている。でもこの三つだけはいつも覚えている。脳髄に直接刻まれているかのようにこの記憶だけは常に鮮明で、しかし習慣的でもない。
ひとつ言えることは、曖昧だということ。私の存在が、私自身が、存在しているけれど存在していないような、そんな気がするのだ。いつもお社に語りかけて、皆の願いをただ聞き届ける。それの繰り返し。願いがなくなれば私は消えてしまうのではないか。願いに縋り、願いを纏っていなければ私は存在しているけれど存在していないのと同じなのではないか。そんな考えが脳の片隅でいつもくすぶっている。
…はぁ、と息を吐く。お社に向かって話しかける時はいつもこうだ。ドーナツは貰うからね、とお社を出ていく。どうしてこんな使命感に駆られるのかも何故やめられないのかもわからないけれど、私は生きている。
きっと、これからもずっと。