2 青信号

青信号 2

「なんでケツァルがここに?」
 明が問いかける。
 ケツァルはため息を一つ。引ったくりを向こう側から追っていたのだと返してきた。
 引ったくり犯にとっては不運な話だ。前門の虎、後門の狼ならぬ、前門のテスカ、後門のケツァルだったのだから。
 ケツァルコアトルは明の両肩を掴んだ。

「なんて、危ない真似をしたんだ」

 その言葉に、明はポカンとした。


「バイクに乗った二人組を蹴倒すって、お前、事故が起きてもおかしくなかったんだぞ」
 仁王立ちするケツァルの前に並ぶのは、明とテスカの2名。テスカは涙目で頭を押さえて立っている。ケツァルに拳骨を落とされたのだ。
 それはそうだろう。即席のアトラトルで犯人の脇腹を貫いたのだ。アトラトルの殺傷力を考えれば、拳骨の2、3発は仕方ない。
「事故は起きなかったよ」
 明が返すと、
「結果としてな? 可能性はゼロじゃなかったろ? その事故にお前たちが巻き込まれて、大怪我をしないとも限らなかった」
 ケツァルコアトルが即座に返した。
 なら見捨てろというのか、と明は訊ねた。目の前にいる人物との縁を大切にするしかない明にとって、困り果てて助けを求める相手をスルーするというのは苦行に等しい。
 そうじゃないさ、とケツァルは答えた。ただ、危ない真似はしてくれるな。と言って、明の頭にそっと触れる。高校生──未成年の子供である明を、心から案じているようだった。
「けど、ケツァルだって犯人を追ってたじゃないか」
「俺は追いかけるだけの力があるから」
「ケツァルが追うなら私も追うさ。私は君たちの器だったんだから、同じことをするだろうさ」
 明は迷いなく、ケツァルコアトルに向かって言った。竜蛇譲りの行動力と体力がある。ならやることも同じだろう、と。
 ケツァルは少し黙り、そして、口を開いた。
「俺たちの真似をしなくていい」
 説教に不満を抱いたらしい。テスカトリポカがケツァルコアトルの脛をゲシゲシと蹴っている。拳骨を食らった分を返しているのかも知れない。
 ケツァルコアトルは何も言わず、テスカトリポカにもう一度拳骨を落とした。ふぎゃん! と悲鳴が上がった。
「とりあえず、家に帰ろう。そこの……明の友達か? お嬢さんと少年も連れておいで。落ち着いて話がしたい」


 米花町のとある広めの一軒家。
 そこに通された蘭とコナンは、瞬きを数回繰り返した。白髪をハーフアップのようにしている老人、褐色肌で短髪の高身長男性、そしてケツァル、テスカ、明。
 この5人が暮らしている光景が、心底不思議なようである。
「似てないか? これでもきょうだいなんだが」
 小さく笑ってケツァルが問う。イツァムナーもショロトルも、ケツァルやテスカと外見は似ていないのだ。
 江戸川少年は首を横に振って笑顔を作った。気を遣ってくれているらしい。
 見た目や種族が違えども、当たり前に家族として成立していた、そんな東京から来た明には、なぜ気遣う必要があるのか、分からなかったが。
「おかえりなさい、明様、お茶をお淹れしますね」
 褐色肌の高身長男性……こと、ショロトルが、にこやかに告げる。自身の家族に「様」をつけるのはおかしいのではないか? 江戸川少年は違和感に引っかかったが、横にいるテスカは当たり前のように受け入れていたので、あれ? となった。
 違和感はあるが、不自然ではないのだ。何かを取り繕う仕草もなければ、嘘をついている風でもなく……ごく自然に振る舞ってこうなっている。というのが、感じられた。
「さて」
 リビングのソファに腰掛けて、ケツァルが口を開く。
「引ったくり確保の件についてだがね」
「ケツァルよ、まだその話を引きずっているのかね? 明だってもう分かったと思うのだよ。それでこの話はおしま──」
「テスカは別途お説教だからな」
「ぬあ……私だって分かっているとも」
「人に向かってアトラトルをかました奴が何を言っているのだね? 何が分かってるって? 言ってみろよ」
「……えっとだね……あの」
 モゴモゴと口ごもってしまったテスカに、言ってみろ、何を分かってるんだ? ん? と青筋を立てたケツァルが迫る。うなだれてケツァルと視線を合わせないようにするテスカの頭を、掴んだ。
 そのままグイッと角度を変えて、自分の方を向かせるケツァルである。
「お茶が入りましたぁッ!!」
 剣呑な雰囲気を吹き飛ばすかのように、ショロトルが声を張り上げて割って入ってきたのは、直後だった。
「やだ……お父さんと声がそっくり」
 ポカンとした毛利蘭が呟く。
 コナンもコクコクと頷き、二人でショロトルを眺める。
 眺められているショロトルは、お茶を配りながら「え? え?」と戸惑っていたが。
「ボクですかぁ?」
「ほらぁ! やっぱりそっくり!」
 蘭の言葉に明は笑う。もはや説教をする雰囲気ではないし、何より、エルドラドのきょうだいたちを前に、蘭が萎縮しないでいてくれたのが、なんだか嬉しかった。

 ショロトルが淹れた茶を飲みながら、明はぼんやりと考えていた。
 ケツァルコアトルがすることならば、その器であった明もするだろう。それは自然なことだ。明は身近な存在の影響をもろに受けた言動を取りがちなのだから。
 しかしケツァルは「俺たちの真似をしなくていい」と言う。真似ではないが、言動が似通うことを、良しとしていないかのような物言いだ。
「影響を与えた者と言動が似ていても、無理はない話なんだけどな」
 なんとなく呟いた明に、ケツァルが視線を向けた。
「無意識に似るのは仕方ないよ。でも、意識して寄せようとしなくていいんだ。明はただの高校生なんだから」
 ただの高校生……。
 ケツァルのその言葉に、明が顔を上げる。
 戦力外通告にも聞こえるセリフだが、なぜだか安心を覚えていた。
 まるで、明という確固たる存在を、保証してくれるかのようで……。
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