4 SL同好会殺人事件
SL同好会殺人事件 4
小五郎は未だにソファに座ったままだった。うんうんと唸って事件の整理をしているらしい。
江戸川コナンは腕時計を構え、寸分の狂いなく毛利小五郎の首筋に小さな針を命中させた。奇妙な声を上げて毛利小五郎が深く俯いたのを見て、刑事たちは「おお」と感嘆の声を上げていた。
「眠りの小五郎……ということは、毛利さん、事件の真相が分かったんですね!」
高木刑事の言葉に、瞬時に物陰に隠れたコナンのいる方向から「ええ、そうです」と小五郎の声がした。
「ご説明しましょう。安田久さんが、どうやって殺害されたのかを」
毛利探偵の声に、回りがどよめく。
「警部殿、私は言いましたよね? 遺書が偽造の可能性があると」
「ああ、確かに毛利くんは言っていた」
目暮警部が同意の声を上げる。確かに、毛利小五郎はそう言っていた。コナンはしっかりと見ていた。
コナンは少しずつ、物陰に隠れながら眠りの小五郎に近づいていった。「そう、本当に偽造されたものなんですよ」と告げながら。
皆の視線は小五郎に集まっていた。
テスカの視線以外は。
褐色の少年は、こそこそと動き回る江戸川コナンをじっと興味深そうに見つめ、胸元の蝶ネクタイで何かをしている彼を観察しているのだった。
「偽造……では、誰が偽造したというのかね、毛利くん」
目暮警部が訊ねる。
それに、まあ、慌てないでください、と眠りの小五郎は答えた。
「野根さん、あなたは言いましたね……ドアに鍵がかかっていると」
眠りの小五郎に問われ、野根は恐る恐る頷いた。
「開けようと思っても開かなかったんだ。だからドアを叩いて、安田の名前を呼んだ」
「もし、それが嘘だとしたら、どうでしょう」
周囲の者がざわめく。野根が「嘘だと?」と青筋を立てた。
「野根さん、あなた、様子がおかしかったのを自覚していないんですな」
眠りの小五郎が俯いたまま告げる。様子がおかしかった。その言葉に、言い返したのは沢田だった。
「様子なんておかしくなるわよ! 安田くんに何かあったらって思ったら、心配でいても立ってもいられなくなるじゃない!」
「ええ、そうでしょうな。野根さんは言いました。安田さんに電話をかけたら、寝室から着信音が聞こえたと。そして、ドアには鍵がかかっていた……何かあったに違いないと考えても不思議ではありません」
「だったら……」
尚も言い返そうとする沢田に、眠りの小五郎は「ですが」と続けた。
「何度も何度も、激しくドアを叩き続け、寝室の中にいるであろう安田さんの声が聞こえないくらい大声で彼を呼び続けていたのは、不自然ではありませんか?」
何かがあったと思うなら、安田の返事が聞こえる程度の音にとどめる筈ではないのか。しかし野根は、安田の返事が聞こえないくらいの激しさでドアを叩き続けていた。
何かが「あった」と「知っていた」から、確認の必要がなかったのではないか。
そう指摘した探偵に、言いがかりだ、と野根が主張した。
「あのとき、俺はパニックになっていたんだ! だからあんなに大きな音を……冷静じゃなかった!」
「そうだよ、野根さんは確かに冷静とは言えなかった」
国谷が擁護する。
「だって、ドアの鍵を開ける時、何度もガチャガチャさせていて、一目見て慌ててるなって分かったんだから!」
それに対して「しかしだね」と返したのは、小学2年生の褐色の少年だった。小五郎ではない。
「あのとき、確かに慌てていたとしても、あり得ない音が鳴ったのを君たちも聞いただろう」
推理を遮られたコナンは、物陰でテスカの言葉に耳を傾けていた。何かに気づいているなら、その情報を提供してもらいたいのだろう。情報提供は、いつからだって遅くない。
「ガチャンガチャンと、開錠の音がした」
テスカはそう証言した。
大人たちは脱力した。それはするだろう。開錠したのだから。
しかし、コナンは違った。目を見開き、それから口角を上げる。そうか、それならば納得がいく、と心で呟き、口を開いた。
蝶ネクタイから、毛利小五郎の声がした。
「その少年の証言で、私も確信が持てましたよ。いいですか、皆さん。ガチャンガチャンと、2回、開錠の音が響くなんて、あり得ないんですよ」
「どういうことだね、毛利くん」
目暮警部の反応。それに「ええ」と答えて眠りの小五郎は俯いたまま推理を披露する。
「鍵は、同じ方向に何度捻ったところで、ガチャン、と音が鳴るのは一度だけです。それはそうでしょうな。開いた鍵を再び開けることはできない。閉めた鍵を再び閉めることはできないのと、同じように」
つまり、ガチャンガチャン、という2回響いた開錠の音は、一度閉めて、再び開けたときの音……ということになる。
鍵は始めから閉まっていなかった。
「大慌てを装ってガチャガチャと音を立てていたのは、この不自然な2回の開錠音を、ごまかすためだとしたら?」
皆の視線が、野根に集まった。
「ドアの前に陣取っていたのも、他の誰かがドアを開けてしまうことを防ぐ目的だったとしたら、どうでしょう」
「そんなの言いがかりだ! 本当にドアは開かなかったんだ!」
声高に主張する野根。
沢田と国谷は、探偵と野根、どちらの言い分を信用すればいいか分からないようで、困ったように視線をさまよわせている。
眠りの小五郎は、続けて言った。
「沢田さん、あなた、コナンに言っていましたね。安田さんは、フリック入力が速かったと」
「え、ええ……確かに言ったわ。けど、それがどうしたの?」
沢田理花は困惑していた。突然自分に会話の矛先が向いたのだ。驚きもするだろう。
沢田の肯定に、探偵は「コナン」と一言告げた。
「はぁい」
物陰から堂々と江戸川少年が出てくる。その手には、鑑識から手渡された袋入りの日記帳がある。江戸川コナンはそれを目暮警部に手渡すと、「おじさんが読んでほしいって」と伝言のようなものをして、すぐに引っ込んでしまった。
「これは……なんだね、毛利くん」
「おそらく、安田さんの日記です。しかし、まぁ、心して読んでください。私にはなかなか難しい文面でしたよ」
白い手袋をしている目暮警部は、袋からノートを取り出すとページをめくり始めた。そして「何だこれは……」と困り果てた声を上げたのだった。
「フ目ZS目……?」
はぁ? と周囲が困惑の声を返す。ノートの一行目には、確かにそう書いてある。ミミズがのたくったような文字が、ぐちゃぐちゃとページ一面に書き綴られているのを見て、目暮警部は眉間にシワを寄せていた。
「毛利くん、これは……」
「お分かりの通り、安田さんは癖字だったんですよ。フ目ZS目ではなく、7月25日、と読むのが妥当でしょうな」
安田は、恐ろしく字が汚い。
その事実に、沢田は「あっ」と声を上げた。
「じゃあ、安田くんが機械に頼りっきりで連絡を取っていたのって」
「そうです、沢田さん。安田さんは、読み取れる字で連絡をしたかった。だからスマホを手放さなかったんです」
探偵の言葉に「じゃあ」と言葉を返したのは、国谷だ。
「床に書かれたSLっていう文字は……」
「そう、Sではなく、5、だったんです」
5L。
意味が通らない。
野根が鼻で笑おうとしたとき、
「なぜわざわざ床に書いたんですか?」
二 明の声が、不意に響いた。
「よく聞いてくれました。お答えしましょう」
探偵はその言葉に、こうです、と言ってからグッと小五郎の腕を持ち上げる。小五郎が緩く指差す先には、野根がいる。
「安田さんのスマホは、遺書を偽装するために、野根さんが持っていたんです。だから安田さんは、スマホを頼ることができなかった……床に書くしか、なかったんですよ」
「ちょっと舞ってくれ! 全部あんたの推測じゃないか! 俺がやったって証拠はどこにあるんだ」
「Sは、Sじゃなく、5でした」
探偵は小五郎の声で、しっかりと告げる。
何の話をしているのかと、皆が耳を傾ける。
眠りの小五郎は言った。
「Lも、Lではなかったんです」
眠りの小五郎いわく、それは、下向きの矢印と、右向きの矢印を組み合わせたもの。
「思い出してください、皆さん。安田さんはフリック入力が速かった……このメッセージも、フリック入力なんですよ」
スマホの5の位置にあるひらがなは「な」だ。その「な」をフリック入力で下向きに引っ張ると出てくるのは「の」。次に右向きに引っ張ると出てくるのが「ね」……。
「の、ね……野根さん、あなたのことを指していたんですよ」
その指摘に、野根は膝から崩れ落ちた。
休憩時間中、沢田が安田の家から出ていったのは、郵便受けを見に行っていたからだそうだ。脅迫状が来ていないか、見るために。
その脅迫状も、野根が出していたと知り、衝撃を受けていた。
野根は、吐き捨てるように言う。
「安田のやつ……俺より知性がないくせに、偉そうに説教なんてしてきて……俺は知識もある、歴史だって学んだ、誰より物を知っている自負がある! 安田とは違うんだ! なのに! あいつは「人を見下すな」なんて、俺に向かって意見して来やがって……!」
それは、逆恨みというやつだった。
悪い意味でプライドが高い野根の本性に、国谷が眉を潜める。
野根は「コレクションが見たい」と言って席を外したそのとき、安田の家のキッチンから包丁を盗み出し、寝室へ向かったのだと言う。そして安田を殺害……これで自分に説教する鬱陶しい者はいなくなったと、清々したしたそうだ。
野根は、キッチンから盗み出していたもう一つの包丁を服の裏側から取り出した。
「捕まる前に俺が死ねば、俺の勝ちだ! 死んだ者勝ちなんだよ、こういうのはな!」
警察が止めに入る前に、野根の腕が野根自身の腹に振り下ろされ、
「君が今死んだら、永遠の二番手として終わるが、それでいいのかね?」
褐色の少年の言葉に、ピタリと動きを止めた。
その隙をついて警察官たちが取り押さえる。
包丁を取り上げられ、床に組み伏せられた野根が、呆然とテスカを見上げていた。
「死んだ者勝ち……ほう、なるほどね? その理屈でいくと、野根翔、君より前に死んだ安田久のほうが、君より先に勝利を手にしたことになる」
「……それは……」
野根が歯を食い縛る。
テスカは、そうじゃないか、君が唱えた理屈だぞう? と返す。
「君が今死んでも、安田久の二番煎じ……到底、勝利にはほど遠かろうよ。まあ、君は生きているから、途中でルールをねじ曲げて「生きた者勝ち」ということにしてしまってもいいのではないかな? その場合、逮捕されることにはなるがね」
落ち着いた声で告げるテスカ。
警察も唖然としていた。
嫌に度胸が据わった子供である。
野根は力なく項垂れ、連行されていった。
「逆恨み……か」
安田の家を辞して帰る途中、明がポツリと呟いた。
「いつか、私もするんだろうか……もしくは、誰かにされるんだろうか」
ぼやくような声に、ンハハ、と笑って返すのはテスカだ。
「逆恨みは嫌だろうがね、きょうだい。正当に恨まれるほうが嫌だろう?」
「それはそうだ」
ため息をついて、明はテスカと自宅へ帰っていく。
用心棒として、なにもなせなかった。それが、胸の奥に渦巻いていた。
小五郎は未だにソファに座ったままだった。うんうんと唸って事件の整理をしているらしい。
江戸川コナンは腕時計を構え、寸分の狂いなく毛利小五郎の首筋に小さな針を命中させた。奇妙な声を上げて毛利小五郎が深く俯いたのを見て、刑事たちは「おお」と感嘆の声を上げていた。
「眠りの小五郎……ということは、毛利さん、事件の真相が分かったんですね!」
高木刑事の言葉に、瞬時に物陰に隠れたコナンのいる方向から「ええ、そうです」と小五郎の声がした。
「ご説明しましょう。安田久さんが、どうやって殺害されたのかを」
毛利探偵の声に、回りがどよめく。
「警部殿、私は言いましたよね? 遺書が偽造の可能性があると」
「ああ、確かに毛利くんは言っていた」
目暮警部が同意の声を上げる。確かに、毛利小五郎はそう言っていた。コナンはしっかりと見ていた。
コナンは少しずつ、物陰に隠れながら眠りの小五郎に近づいていった。「そう、本当に偽造されたものなんですよ」と告げながら。
皆の視線は小五郎に集まっていた。
テスカの視線以外は。
褐色の少年は、こそこそと動き回る江戸川コナンをじっと興味深そうに見つめ、胸元の蝶ネクタイで何かをしている彼を観察しているのだった。
「偽造……では、誰が偽造したというのかね、毛利くん」
目暮警部が訊ねる。
それに、まあ、慌てないでください、と眠りの小五郎は答えた。
「野根さん、あなたは言いましたね……ドアに鍵がかかっていると」
眠りの小五郎に問われ、野根は恐る恐る頷いた。
「開けようと思っても開かなかったんだ。だからドアを叩いて、安田の名前を呼んだ」
「もし、それが嘘だとしたら、どうでしょう」
周囲の者がざわめく。野根が「嘘だと?」と青筋を立てた。
「野根さん、あなた、様子がおかしかったのを自覚していないんですな」
眠りの小五郎が俯いたまま告げる。様子がおかしかった。その言葉に、言い返したのは沢田だった。
「様子なんておかしくなるわよ! 安田くんに何かあったらって思ったら、心配でいても立ってもいられなくなるじゃない!」
「ええ、そうでしょうな。野根さんは言いました。安田さんに電話をかけたら、寝室から着信音が聞こえたと。そして、ドアには鍵がかかっていた……何かあったに違いないと考えても不思議ではありません」
「だったら……」
尚も言い返そうとする沢田に、眠りの小五郎は「ですが」と続けた。
「何度も何度も、激しくドアを叩き続け、寝室の中にいるであろう安田さんの声が聞こえないくらい大声で彼を呼び続けていたのは、不自然ではありませんか?」
何かがあったと思うなら、安田の返事が聞こえる程度の音にとどめる筈ではないのか。しかし野根は、安田の返事が聞こえないくらいの激しさでドアを叩き続けていた。
何かが「あった」と「知っていた」から、確認の必要がなかったのではないか。
そう指摘した探偵に、言いがかりだ、と野根が主張した。
「あのとき、俺はパニックになっていたんだ! だからあんなに大きな音を……冷静じゃなかった!」
「そうだよ、野根さんは確かに冷静とは言えなかった」
国谷が擁護する。
「だって、ドアの鍵を開ける時、何度もガチャガチャさせていて、一目見て慌ててるなって分かったんだから!」
それに対して「しかしだね」と返したのは、小学2年生の褐色の少年だった。小五郎ではない。
「あのとき、確かに慌てていたとしても、あり得ない音が鳴ったのを君たちも聞いただろう」
推理を遮られたコナンは、物陰でテスカの言葉に耳を傾けていた。何かに気づいているなら、その情報を提供してもらいたいのだろう。情報提供は、いつからだって遅くない。
「ガチャンガチャンと、開錠の音がした」
テスカはそう証言した。
大人たちは脱力した。それはするだろう。開錠したのだから。
しかし、コナンは違った。目を見開き、それから口角を上げる。そうか、それならば納得がいく、と心で呟き、口を開いた。
蝶ネクタイから、毛利小五郎の声がした。
「その少年の証言で、私も確信が持てましたよ。いいですか、皆さん。ガチャンガチャンと、2回、開錠の音が響くなんて、あり得ないんですよ」
「どういうことだね、毛利くん」
目暮警部の反応。それに「ええ」と答えて眠りの小五郎は俯いたまま推理を披露する。
「鍵は、同じ方向に何度捻ったところで、ガチャン、と音が鳴るのは一度だけです。それはそうでしょうな。開いた鍵を再び開けることはできない。閉めた鍵を再び閉めることはできないのと、同じように」
つまり、ガチャンガチャン、という2回響いた開錠の音は、一度閉めて、再び開けたときの音……ということになる。
鍵は始めから閉まっていなかった。
「大慌てを装ってガチャガチャと音を立てていたのは、この不自然な2回の開錠音を、ごまかすためだとしたら?」
皆の視線が、野根に集まった。
「ドアの前に陣取っていたのも、他の誰かがドアを開けてしまうことを防ぐ目的だったとしたら、どうでしょう」
「そんなの言いがかりだ! 本当にドアは開かなかったんだ!」
声高に主張する野根。
沢田と国谷は、探偵と野根、どちらの言い分を信用すればいいか分からないようで、困ったように視線をさまよわせている。
眠りの小五郎は、続けて言った。
「沢田さん、あなた、コナンに言っていましたね。安田さんは、フリック入力が速かったと」
「え、ええ……確かに言ったわ。けど、それがどうしたの?」
沢田理花は困惑していた。突然自分に会話の矛先が向いたのだ。驚きもするだろう。
沢田の肯定に、探偵は「コナン」と一言告げた。
「はぁい」
物陰から堂々と江戸川少年が出てくる。その手には、鑑識から手渡された袋入りの日記帳がある。江戸川コナンはそれを目暮警部に手渡すと、「おじさんが読んでほしいって」と伝言のようなものをして、すぐに引っ込んでしまった。
「これは……なんだね、毛利くん」
「おそらく、安田さんの日記です。しかし、まぁ、心して読んでください。私にはなかなか難しい文面でしたよ」
白い手袋をしている目暮警部は、袋からノートを取り出すとページをめくり始めた。そして「何だこれは……」と困り果てた声を上げたのだった。
「フ目ZS目……?」
はぁ? と周囲が困惑の声を返す。ノートの一行目には、確かにそう書いてある。ミミズがのたくったような文字が、ぐちゃぐちゃとページ一面に書き綴られているのを見て、目暮警部は眉間にシワを寄せていた。
「毛利くん、これは……」
「お分かりの通り、安田さんは癖字だったんですよ。フ目ZS目ではなく、7月25日、と読むのが妥当でしょうな」
安田は、恐ろしく字が汚い。
その事実に、沢田は「あっ」と声を上げた。
「じゃあ、安田くんが機械に頼りっきりで連絡を取っていたのって」
「そうです、沢田さん。安田さんは、読み取れる字で連絡をしたかった。だからスマホを手放さなかったんです」
探偵の言葉に「じゃあ」と言葉を返したのは、国谷だ。
「床に書かれたSLっていう文字は……」
「そう、Sではなく、5、だったんです」
5L。
意味が通らない。
野根が鼻で笑おうとしたとき、
「なぜわざわざ床に書いたんですか?」
「よく聞いてくれました。お答えしましょう」
探偵はその言葉に、こうです、と言ってからグッと小五郎の腕を持ち上げる。小五郎が緩く指差す先には、野根がいる。
「安田さんのスマホは、遺書を偽装するために、野根さんが持っていたんです。だから安田さんは、スマホを頼ることができなかった……床に書くしか、なかったんですよ」
「ちょっと舞ってくれ! 全部あんたの推測じゃないか! 俺がやったって証拠はどこにあるんだ」
「Sは、Sじゃなく、5でした」
探偵は小五郎の声で、しっかりと告げる。
何の話をしているのかと、皆が耳を傾ける。
眠りの小五郎は言った。
「Lも、Lではなかったんです」
眠りの小五郎いわく、それは、下向きの矢印と、右向きの矢印を組み合わせたもの。
「思い出してください、皆さん。安田さんはフリック入力が速かった……このメッセージも、フリック入力なんですよ」
スマホの5の位置にあるひらがなは「な」だ。その「な」をフリック入力で下向きに引っ張ると出てくるのは「の」。次に右向きに引っ張ると出てくるのが「ね」……。
「の、ね……野根さん、あなたのことを指していたんですよ」
その指摘に、野根は膝から崩れ落ちた。
休憩時間中、沢田が安田の家から出ていったのは、郵便受けを見に行っていたからだそうだ。脅迫状が来ていないか、見るために。
その脅迫状も、野根が出していたと知り、衝撃を受けていた。
野根は、吐き捨てるように言う。
「安田のやつ……俺より知性がないくせに、偉そうに説教なんてしてきて……俺は知識もある、歴史だって学んだ、誰より物を知っている自負がある! 安田とは違うんだ! なのに! あいつは「人を見下すな」なんて、俺に向かって意見して来やがって……!」
それは、逆恨みというやつだった。
悪い意味でプライドが高い野根の本性に、国谷が眉を潜める。
野根は「コレクションが見たい」と言って席を外したそのとき、安田の家のキッチンから包丁を盗み出し、寝室へ向かったのだと言う。そして安田を殺害……これで自分に説教する鬱陶しい者はいなくなったと、清々したしたそうだ。
野根は、キッチンから盗み出していたもう一つの包丁を服の裏側から取り出した。
「捕まる前に俺が死ねば、俺の勝ちだ! 死んだ者勝ちなんだよ、こういうのはな!」
警察が止めに入る前に、野根の腕が野根自身の腹に振り下ろされ、
「君が今死んだら、永遠の二番手として終わるが、それでいいのかね?」
褐色の少年の言葉に、ピタリと動きを止めた。
その隙をついて警察官たちが取り押さえる。
包丁を取り上げられ、床に組み伏せられた野根が、呆然とテスカを見上げていた。
「死んだ者勝ち……ほう、なるほどね? その理屈でいくと、野根翔、君より前に死んだ安田久のほうが、君より先に勝利を手にしたことになる」
「……それは……」
野根が歯を食い縛る。
テスカは、そうじゃないか、君が唱えた理屈だぞう? と返す。
「君が今死んでも、安田久の二番煎じ……到底、勝利にはほど遠かろうよ。まあ、君は生きているから、途中でルールをねじ曲げて「生きた者勝ち」ということにしてしまってもいいのではないかな? その場合、逮捕されることにはなるがね」
落ち着いた声で告げるテスカ。
警察も唖然としていた。
嫌に度胸が据わった子供である。
野根は力なく項垂れ、連行されていった。
「逆恨み……か」
安田の家を辞して帰る途中、明がポツリと呟いた。
「いつか、私もするんだろうか……もしくは、誰かにされるんだろうか」
ぼやくような声に、ンハハ、と笑って返すのはテスカだ。
「逆恨みは嫌だろうがね、きょうだい。正当に恨まれるほうが嫌だろう?」
「それはそうだ」
ため息をついて、明はテスカと自宅へ帰っていく。
用心棒として、なにもなせなかった。それが、胸の奥に渦巻いていた。
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