1 Who am I

Who am I 1

 ハクメンとショロトルに連れられて明と明の中にいた竜蛇たちが乗ったのは、大型のバスだった。どうやらハクメンが、明と通話をしている時にジョカに割り込まれたあのとき、明の他にも複数の人物が葛西臨海公園にいるらしいと見当をつけ、ショロトルに多人数が乗れる車の手配をさせたようなのだ。
 ハクメンが警察官二人に、ここに倒れていた全員に縁者や近親者が存在することを告げ、無事に送り届けることを約束している。突然現れた女性にそんなことを言われ、警察官たちは呆然としていたが、「事件性はメチャなくってよ」と言いきる彼女に押され、ついには連れていくことを了承する羽目になった。
 不思議な集団を見送る警察官たちに、明が軽く手を振った。

 ハクメンの仕事は早かった。
 ハクメン名義の豪邸に皆を案内したあと、所在が明らかになっている転光生たちの住所と電話番号を調べ上げ、そこに連絡を入れたのだ。まず出たのはオピオーン……と思われる男性だった。声がしっかりオピオーンなので、間違いはないと思われるが……こちらの世界では、なぜか皆が人間の姿となっているので、本当に彼なのかの自信は持てない明である。
「すぐに向かおう」
 オピオーンらしき声の人物はそれだけを言うと、ハクメンが居を構える豪邸の住所を聞き終わる前に通話を切った。
 そうして次から次へと連絡を入れていき、竜蛇本人の願いにより、縁者と会いたくない者を除いて、ほとんどの引き取り先が決まっていった。縁者と再会をしない竜蛇は、ハクメンが暮らすこの家に厄介になることが決まり、皆がまばたきをしている間にどんどんことが進んでいく。
 やがてリムジンがハクメン邸の前に停まった。
「おお! 妻よ!」
 金色の髪をオールバックにした、翼のない、しかしそれ以外はオピオーンであることが明白な男性が、感極まって歩いてくるのが見える。筋骨隆々。大変ダンディな男前である。
 彼は明を見るやきつく抱き締めた。そして、ふと視線を上げ、言葉を失った。それはそうだろう。エウリュノメーらしき女性が、そこに立っていたのだから。
「どういう、ことだ?」
 不思議そうに口を開くオピオーンに、明は答える。
「なぜかは知らないけど、それぞれ分裂したらしいんだ」
「妻が……二人? そうか、両手に花というやつだな。よかろう。このオピオーン、二人となった妻を愛し抜くと誓ってみせよう」
 オピオーンはブレなかった。
 愛する妻と明に分裂したならば、二人揃って自分が愛せばいい、と本気で言ってのけた。明は慌てて辞退し、夫婦水入らずで過ごしてくれ、と返したが。
 明の胸には人知れず、モヤモヤとした感情が渦巻いていた。
 それから、スサノオの保護者としてツクヨミが来た。久しぶりの再会に、ツクヨミはしみじみとしていた。髭をたくわえたスサノオは、ツクヨミが懐かしさのあまり現実を噛み締めていることなどお構い無しで、久しぶりだな! がはは! などと笑っていた。
 ルーの保護者としてやってきたのは、やはりというか、バロールである。バロールは戸惑っていた。今まで孫だ孫だと明を可愛がっていたのである。それが、本当の孫に出会ってしまった。ゆっくり明のほうへやって来たバロールは、身長こそ少し縮んだものの、やはり巨体で、外見もほとんど変わっていない。
「……貴様はもう、俺の孫ではないというか」
 バロールが、寂しそうに問いかける。
「……そうなんじゃないかな。ルーはあっちにいるんだし」
 答えた明の胸の中。またもモヤモヤした感情が生まれた。

 竜蛇はそれぞれ、縁者が迎えに来た。ダゴンはこちらの世界でも大学講師として働いているようで、眠ったままの彼を横抱きにして静かに去っていったし、ペルーンは力の限り走ってきたのか肩で息をしながらヴェーレスを穴が空くほど見つめ、許す! と、何を許したんだかは知らないが叫び、遅れてやってきた……おそらくヴォーロスだろう人間の男性と共にヴェーレスを連れて帰っていった。
 明はそれを、ただ見送っていた。
 ケツァルコアトルが問いかける。
「どうしたね、君。当惑した表情をして」
 それに返す明の表情は、困ったような笑みだった。
「いや……帰る場所があるっていいなと、そんな風に思った」
 明は、薄々感づいていた。
 竜蛇たちが全て外に現れた今、自分はどの竜蛇でもなく、また、寄る辺もどこにもないのだと。ただのしたなが明であると。誰の家族でも、縁者でもないのだと。
 ならば、自分はどこへ行けばいいというのだろうか……。

 一台の車がハクメン邸へやって来たのは、しばらくしてからだった。白っぽいワゴン車だ。運転席から出てきたのは、褐色肌で恰幅のいい男性。彼を玄関につけたモニター越しに見ていた明は、唖然とした。……トヴァシュトリである。
 ワゴン車の後部座席の扉がスライドして開いた。そこから出てきたのは、見知らぬ褐色の少年。トコトコと歩いて、チャイムを押した。キンコーン、と呼び出し音が鳴り響き、ショロトルが応対した。
「はいぃ、どちら様でしょうかぁ?」
「ケ! ツァ! ル! コ! ア! ト! ル! が! ここにいると聞いたのだがね!! 間違いはないかね!?」
 あ、テスカトリポカだ。
 明もケツァルコアトルと名乗る白髪の青年も、揃って納得した。
 声がでけえ。

 テスカトリポカっぽい少年……もなにも、テスカトリポカなのだろう、おそらく。濃いめの褐色の肌に、白く太い眉毛、瞳孔が赤みを帯びた緑色の瞳、顔にいくつか見られる傷跡、ソフトモヒカンのように立っている頭頂部の髪と、途中から真っ白に変色している長髪といった外見の少年は、ケツァルコアトルと思わしき青年をまじまじと見て、それからこう言った。
「本物のケツァルはもう少しアホ面だった気がするがね?」
「表に出ろお前」
「フハハ! その喧嘩っ早さ、変わっとらんね、君ィ!」
 向かって左目に眼帯をつけて、向かって左足が義足である少年が、快活に笑った。ケツァルコアトルは大きなため息をひとつ。身長130センチにも満たないだろうテスカトリポカの頭をワシワシと撫で回し、で? と疑問を口にした。
「なぜそう縮んでいるんだね、お前は?」
「うむ! こちらの世界は壁に閉ざされていないからね、年中閉鎖領域である義体に入っていなければならないことが分かったのだよ。トヴァシュトリくんに義体を作ってもらったはいいが、大人のほうは事故にあって修理中でね! やむ無く子供の姿で暮らすこととなったというわけだ! どうだね! かわいいだろう!」
「かわいいかどうかは分かりかねる」
「何だね!! かわいいと一言告げるだけのお仕事が! そんなに難しいかね、君ィ!!」
「難しいなぁ」
「きぃーっ!!」
 ケツァルコアトルとテスカトリポカが顔を合わせると喧嘩になるのは何なのだろう。遠い目で二人を眺めていた明は、外で待っているだろうトヴァシュトリを思い、口を開いた。
「待たせるのも悪いし、そろそろ行ったらどうだよ?」
「むっ。それもそうだね。それでは帰ろうか、ケツァル、明」
 あっさりと頷くテスカトリポカに、呆然としたのは明だ。今、この褐色の少年は何と言った? 帰ろうか、のあとだ。ケツァルの名を呼んだ。それは分かる。その次だ。
「……私も行くのか?」
「嫌かね?」
「嫌っていうか……お邪魔してもいいの?」
「お邪魔ぁ?」
 焼きそばぁ? のような声音で、テスカトリポカが明を見る。子供の声なので余計に高く聞こえた。テスカトリポカはテスカトリポカでポカンと明を見上げていて、何が何だか分かっていないような、そんな雰囲気だった。
「きょうだい、君は何を言っているのだね?」
「……私はケツァルコアトルじゃないけど」
「知っているよ、それくらい。あちらの東京でさんざん聞かされたし、目の当たりにしたもの」
 明の中のモヤモヤした感情が……くるりと渦を巻いて、薄れた。
「……私は、誰だと思う?」
 テスカトリポカに尋ねれば
「明だろう? 何をおかしなことを尋ねているのだね、君。それより、家に帰ろうではないか。イツァムナーとの二人暮らしだと家が広くてかなわんのだよ!」
 褐色の彼は、バッサリと斬って捨てた。
 竜蛇の誰でもないならば、明は明だ。
 付き合いの長いテスカトリポカだからこその回答に、ケツァルコアトルはおかしそうに笑っていた。
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