0 プロローグ

プロローグ

 いくつもの転光ゲートが輝きそびえる、壁に囲まれた都市。
 東京では、小さな地震が頻発していた。

 震度は1から2。3秒ほど揺れて終わるものが大半で、はじめのうちは驚いていた人々も、だんだんと慣れてきて騒がなくなっていた。
 時々どこかの研究所が爆発を起こして地鳴りが響くが、そちらのほうが驚くというもので、地震のことなど特に話題に出さなくなって久しい。
 琵琶を持った転光生が、「地震だいじょうぶだった?」と毎回毎回自撮りをSNSにアップするくらいだ。ちなみにその自撮り投稿にリアクションはなく、皆にスルーされるのが落ちだった。反応が鈍いことに腹は立てつつも投稿はやめない少女は、一日に二度地震が来れば、律儀に二度自撮りをアップする。それを眺めて、タイを抱えた少年が苦笑していた。

 いつからか、東京でこんな噂が広がった。
「地震が来るたびに、転光生が消えていく」
 最初は誰もが鼻で笑っていた。あまりにも多い地震に、都市伝説のような尾ひれがくっついたのだと、そう解釈していた。ここ東京では曖昧な噂やホラ話も、信仰されれば実体を持つ。だからこそ、皆、一笑に伏した。その噂を信仰してしまえば、実際に起こりかねないから……。
 誰も信じない噂は、時間が立つにつれ消えていく。はずだったのに。その噂は消えてはくれなかった。
「俺のダチがいなくなったんだ」
 とあるウルフが心配そうに告げた。噂など信じていなかったのに、実際にそうなったと嘆息していた。
「5日前の地震から、アタシの好きピが登校して来ないんだよね」
 とあるヤシャが心細そうに呟いた。その言葉に、実は自分の知り合いも、実は私の友達も、と報告が相次いだ。
 電話も、メールも繋がらないのだという。
 そんな馬鹿なことがあってたまるものか。と声を荒らげる者たちもいたが、ならなぜ連絡が通じないのかという疑問には、誰も答えることができない。そのとき、小さな地震が起こった。
 皆が戦慄した。この地震で誰かが消えるかも知れない。そんな不安が、あたりを支配していた。誰かがSNSを起動して、情報を集め始める。地震に慣れきっている人々が、また地震だよ、いい加減にしろよ、と愚痴をこぼしているのが見える。知り合いがいなくなった、などという報告はSNSには上がっていない。
 安堵しかけたそのときだった。フェンサーが、あることに気づいた。
「なあ……琵琶持った女子高生、地震来たのに自撮りアップしてなくね?」
 一日に二度地震が来たら、律儀に二度自撮りを投稿していた彼女が、3日前の地震から、まったくアカウントを更新していなかったのだ。

「あれ……?」
 新宿学園に在籍するしたながあきらは、端末を手に不思議そうな声を出し、首をかしげる。何度試しても、今日、待ち合わせをする予定だった相手……ハクメンに繋がらないのだ。あんなにお茶会を楽しみにしてくれていたのに、ドタキャンなどするだろうか?
 いや、おかしいのはハクメンの不在だけではない。端末から、何も聞こえないのも不可思議だった。通常なら呼び出し音や「ただいま電話に出ることができません」といったアナウンスが流れるものなのだが、それが一切ない。無音だ。まるで真っ暗闇に電話をかけたかのような、「無」が受話器越しに広がっていた。
「……そうだ、ショロトルならハクメンちゃんの居場所がわかるかも」
 明が端末を操作する。ショロトルの番号を選んで、呼び出し音が鳴るのを待った。……いつまでたっても呼び出し音は鳴らず、無がその場に漂うだけだった。同じだ。ハクメンのときと、まったく同じだ。
 ピコン、とメッセージツールが着信を知らせる。クラフターズに在籍するギルドマスター、クロガネからだった。
「なんか最近、周りのみんなと連絡つかないんだ。後輩、そっちは大丈夫か?」
 どうやら明と同じ状況に置かれている者は一人や二人ではないらしい。その事に若干の安心を覚えつつも、明はメッセージを返そうと画面をタップし始め──ぐらり、と小さな地震に襲われた。やはり震度は1か2だ。
「こっちも連絡つかない人がいます。呼び出し音も鳴らなくて」
 クロガネあてに送信されたメッセージ。
 既読はつかなかった。

 それから一週間も立たないうちに、地震はやって来た。今度の地震は震度2じゃ済まなかった。いや……ここに来て、東京の人々は初めて、これが地震ではないことに気づいたかも知れない。地面というよりは空気の……空気というよりは空間の震えといったほうが近かった。東京全体が、空も、海も、大地も関係なく、大きく振動していたのだった。
 したなが明は、端末を握りしめてその振動を受けていた。新宿のギルド、サモナーズの面々に連絡を取ろうとしても繋がらない。無が仲間たちと自分を引き裂いているように思えて、明は歯噛みする。
 もしやこれは、世界代行者たちから聞かされていた「時の大逆流さかしま」ではないか。圧倒的な力が東京を震わせるのを前に、そんなことまで考える。……いや、大逆流さかしまというのは本来、トロフィーである明が死んだ際に起こるもの。生きている今起こっているこれは、大逆流さかしまとは呼べないだろう。
 ならば、これは何だ。
 明は困惑する。
 大きな大きな振動が東京中を包み込み、その震えで意識が途切れ途切れになっていく。視界が真っ白に染め上げられていく。自分が立っているのか飛んでいるのかすら分からなくなり……何も聞こえなくなった。
 明の意識は、そこでぷっつりと途切れたのだった。


 その日、東京はとある騒動の話で持ちきりだった。道行く学生も、テレビのニュースでも、新聞でも、大々的に話題になるのはその話で、まるで一大ムーブメントかのような扱いだった。
 大地震が起こった直後のことだ。
 葛西臨海公園に、24人・・・もの人々が倒れているのが見つかった。人種も年齢も性別も様々な彼らはすぐに意識を取り戻したが、妙なことを口にしていたというのだ。
「なぜ我々は人の姿をしているのか」
 発見者である散歩に来ていた中年男性と、彼の通報によって駆けつけた警察官は、覚醒した彼らが口々に「人であるはずがないのに、なぜ」と主張するのを、呆然と聞いていた。
 彼らの共通点は、それだけではなかった。名前を尋ねると、皆、大真面目な顔で神話の登場人物の名を口にしたのだ。ふざけてはいけない、と警察官にたしなめられた際、彼らのうちの何人かは激昂し、ふざけているように見えるか! と声を荒らげた。
 どう考えても偽名としか思えない名を名乗る彼らは、当然ながらどこの誰であるか確認することはできない。困惑している23人・・・と、当惑している警察官。事態は行き詰まったように思えた……。
 そのときだ。
「シタナガ、アキラは無事なのか?」
 誰かが、そんなことを言った。誰が言ったのかは、警察官には区別がつかなかった。ただ、何とも眠そうな声で、寝言のように呟いていたのは確かだ。
 シタナガ、アキラ。
 その単語に23人すべてが反応した。
「あの子はどこへ?」
「あの子の意識は戻ったのか?」
「あいつを助けてやらないと」
 皆、口々にそんなことを言い出すのに、警察官が目を瞬かせる。未だに目を覚まさない女子高生らしき人物は、もう一人の警察官が見守っていた。

「……う」

 女子高生が、うめく。そうして、ゆっくりと瞼を開く。
「大丈夫かい? 名前は言えるかな?」
 もう一人の警察官が優しく問いかけるのに、向かって右の頬に2本の傷を持つ女子高生は、静かに答えた。
したながあきらです」

 23人の視線が一斉に女子高生を捉えた。
「間違いない、明だ」
 誰かがそう言った。皆が頷いた。
 その、あまりに異様な光景に、警察官二人は肌が粟立ったという。
 身元不明の謎の集団が、保護された瞬間だった。
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