王子村岡の話
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「遅い!早く持ってくるざんす!」
「は、はい!」
名無氏は大慌てで村岡の座るデスクに書類を積み上げた。
――あれから数日、村岡に雇われてからというものの、名無氏は彼にこき使われる毎日を送っている。村岡から与えられる業務は日毎にどんどん増えていき、すっかりカジノの雑用係と化していた。今だってバケツと雑巾を片手に事務所の床掃除をしていたところを村岡から呼び出しがかかり、部屋の隅のダンボールの山から目当ての書類を持ってくるように言いつけられていたところだ。大急ぎで該当の書類を発掘した名無氏に村岡から辛辣な言葉が飛ぶ。
「まったく、たかが1枚の紙見つけるのにどれだけ時間がかかってるんだか……」
(うっ……。でもこれも衣食住のため……!)
村岡の冷たい視線に縮こまりつつも、名無氏は自分に言い聞かせた。ふと村岡のデスクを見るとマグカップの中が空っぽになっていた。
「何か飲まれますか?」
名無氏は村岡に話しかけるも返事はない。ちらりと村岡の顔を見るとデカデカと「当たり前だ」の5文字が張り付いてるような表情を浮かべている。
「す、すぐ入れますね!」
カップをひったくりバタバタと給湯室へ向かった名無氏はたどたどしい手つきで真っ黒な液体をカップに満たし、村岡の手元へ届ける。――以前、自分がコーヒーを飲む時の癖で、砂糖をたっぷりと盛ってカップを差し出したところ、こんなニチャニチャしたもの誰が飲むのか、と叱責をくらったのは記憶に新しい。
「お待たせしました」
村岡はしかめっ面のままそれを受け取って書類に目を落とした。もちろん感謝の言葉など飛んでこない。手持ち無沙汰の名無氏はその様子をもじもじと眺める他ない。
「……掃除の続き」
村岡の短い一言で名無氏はようやく我に返った。
「い、今すぐやります!」
名無氏は逃げるように磨きかけの床の隅っこのほうに行き、冷たい水が並々入ったバケツに雑巾もろとも両手を突っ込んだ。
――以上が最近の名無氏の労働の様子である。
(あの時、目先の仕事に飛びついたのがいけなかったんだ……)
ようやく仕事を終え帰宅した名無氏は、ヘトヘトの体を安っぽいマットレスに沈めながら自身の軽率な判断を悔やんだ。疲労が溜まった体の節々が名無氏にそうだそうだと責め立てるように痛む。
古びたアパートの薄い壁から漏れ聞こえる隣人の生活音に耳を澄ませながら、名無氏は天井をぼーっと見上げる。寝返りを打つとチャリ、と上着のポケットから硬貨の擦れる音がした。
決して多くはないが名無氏の労働の報酬が確かにそこに存在していた。ポケットに手を突っ込むと、ひんやりした硬貨の感触が指を伝う。チャリチャリと子気味のいい音を立てるそれを聞きながら名無氏は少し頬を緩めた。
しかし、それが本来の報酬よりかなり差っ引かれた額であることをすぐに思い出し名無氏はシュンと眉根を下げた。
(明日はあまり社長に怒られないように気をつけないと……)
#name#2は自身の雇い主を思い出し身震いした。
──村岡隆。名無氏の雇い主でありカジノのオーナーを務めるこの男は、名無氏が彼と初めて会った日に抱いた印象そのまま――傍若無人で手段を選ばない男だった。
日頃から自分の利益にしか興味が無いようで、カジノに訪れた裕福そうな客を見つけるや否やニコニコと人当たりの良い笑顔を浮かべてすり寄る。そして相手を持ち上げて気分が良くなったころを見図い、掌を返したように金を巻き上げようとするのだ。
それも相手が金を出し渋ったり機嫌を損ねたりしないように、じっくりと時間をかけて搾り取っていくのだからタチが悪い。そういうわけで金持ちの客に対してはペコペコとへりくだる一方だが、その手足となる従業員に対してはかなり手厳しい。ディーラーや給仕などを務める従業員の働きぶりを厳しくチェックし、ヘマを目敏く見つけては喝を入れその上であれもこれもと仕事を言いつける。村岡の不興を買ってしまった暁には給料の額がかなり寂しいものになってしまうこともしばしばだ、との従業員の愚痴を早々に耳にしてしまった名無氏は聞いているこちらが泣きそうな思いだった。
仕事をはじめたばかりでミスを連発する名無氏はその洗礼を早くも受けてしまったわけである。
ともあれ、他に行くあても無い名無氏はこの雇い主となんとか折り合いをつけて日々過ごしていかなくてはならない。
(明日はもっとキビキビ働かなくちゃ……)
翌日も仕事が控えている。
名無氏はあくび混じりにため息をつくと、ブランケットを自分の体に引き寄せてゆっくりと目を閉じた。
「は、はい!」
名無氏は大慌てで村岡の座るデスクに書類を積み上げた。
――あれから数日、村岡に雇われてからというものの、名無氏は彼にこき使われる毎日を送っている。村岡から与えられる業務は日毎にどんどん増えていき、すっかりカジノの雑用係と化していた。今だってバケツと雑巾を片手に事務所の床掃除をしていたところを村岡から呼び出しがかかり、部屋の隅のダンボールの山から目当ての書類を持ってくるように言いつけられていたところだ。大急ぎで該当の書類を発掘した名無氏に村岡から辛辣な言葉が飛ぶ。
「まったく、たかが1枚の紙見つけるのにどれだけ時間がかかってるんだか……」
(うっ……。でもこれも衣食住のため……!)
村岡の冷たい視線に縮こまりつつも、名無氏は自分に言い聞かせた。ふと村岡のデスクを見るとマグカップの中が空っぽになっていた。
「何か飲まれますか?」
名無氏は村岡に話しかけるも返事はない。ちらりと村岡の顔を見るとデカデカと「当たり前だ」の5文字が張り付いてるような表情を浮かべている。
「す、すぐ入れますね!」
カップをひったくりバタバタと給湯室へ向かった名無氏はたどたどしい手つきで真っ黒な液体をカップに満たし、村岡の手元へ届ける。――以前、自分がコーヒーを飲む時の癖で、砂糖をたっぷりと盛ってカップを差し出したところ、こんなニチャニチャしたもの誰が飲むのか、と叱責をくらったのは記憶に新しい。
「お待たせしました」
村岡はしかめっ面のままそれを受け取って書類に目を落とした。もちろん感謝の言葉など飛んでこない。手持ち無沙汰の名無氏はその様子をもじもじと眺める他ない。
「……掃除の続き」
村岡の短い一言で名無氏はようやく我に返った。
「い、今すぐやります!」
名無氏は逃げるように磨きかけの床の隅っこのほうに行き、冷たい水が並々入ったバケツに雑巾もろとも両手を突っ込んだ。
――以上が最近の名無氏の労働の様子である。
(あの時、目先の仕事に飛びついたのがいけなかったんだ……)
ようやく仕事を終え帰宅した名無氏は、ヘトヘトの体を安っぽいマットレスに沈めながら自身の軽率な判断を悔やんだ。疲労が溜まった体の節々が名無氏にそうだそうだと責め立てるように痛む。
古びたアパートの薄い壁から漏れ聞こえる隣人の生活音に耳を澄ませながら、名無氏は天井をぼーっと見上げる。寝返りを打つとチャリ、と上着のポケットから硬貨の擦れる音がした。
決して多くはないが名無氏の労働の報酬が確かにそこに存在していた。ポケットに手を突っ込むと、ひんやりした硬貨の感触が指を伝う。チャリチャリと子気味のいい音を立てるそれを聞きながら名無氏は少し頬を緩めた。
しかし、それが本来の報酬よりかなり差っ引かれた額であることをすぐに思い出し名無氏はシュンと眉根を下げた。
(明日はあまり社長に怒られないように気をつけないと……)
#name#2は自身の雇い主を思い出し身震いした。
──村岡隆。名無氏の雇い主でありカジノのオーナーを務めるこの男は、名無氏が彼と初めて会った日に抱いた印象そのまま――傍若無人で手段を選ばない男だった。
日頃から自分の利益にしか興味が無いようで、カジノに訪れた裕福そうな客を見つけるや否やニコニコと人当たりの良い笑顔を浮かべてすり寄る。そして相手を持ち上げて気分が良くなったころを見図い、掌を返したように金を巻き上げようとするのだ。
それも相手が金を出し渋ったり機嫌を損ねたりしないように、じっくりと時間をかけて搾り取っていくのだからタチが悪い。そういうわけで金持ちの客に対してはペコペコとへりくだる一方だが、その手足となる従業員に対してはかなり手厳しい。ディーラーや給仕などを務める従業員の働きぶりを厳しくチェックし、ヘマを目敏く見つけては喝を入れその上であれもこれもと仕事を言いつける。村岡の不興を買ってしまった暁には給料の額がかなり寂しいものになってしまうこともしばしばだ、との従業員の愚痴を早々に耳にしてしまった名無氏は聞いているこちらが泣きそうな思いだった。
仕事をはじめたばかりでミスを連発する名無氏はその洗礼を早くも受けてしまったわけである。
ともあれ、他に行くあても無い名無氏はこの雇い主となんとか折り合いをつけて日々過ごしていかなくてはならない。
(明日はもっとキビキビ働かなくちゃ……)
翌日も仕事が控えている。
名無氏はあくび混じりにため息をつくと、ブランケットを自分の体に引き寄せてゆっくりと目を閉じた。
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