つかんだ虚空
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コンコン。
控えめなノックの音に、ユキは目を覚ました。
「ど…ぞ…?」
「悪ぃ、起こしちまったか?」
半開きにしたドアから顔をのぞかせたのはヤソップだ。
「ううん。大丈夫。どうしたの?」
「そろそろ包帯を替える時間だからな」
ヒラヒラと真っ白な包帯を見せる。
「え、別に替えなくても……」
「なーに言ってんだ! 清潔に保たなきゃ化膿すんぞ」
さすがに包帯はひとりでは巻くことができない。
「お頭のほうが良かったか?」
ぶんぶんと即座に首を振るユキ。
「お願い、します……」
「さっさと終わらせるからな」
宣言通り手際よく包帯を替えていくヤソップ。
最初は足から、次に腕だ。
「悪いけど、上脱いでくれるか?」
「ん」
治療のためだ。嫌々ばかり言ってられない。
素直に従ったほうが得策というものだ。
もそもそと脱いで顕になった背中を見て、ヤソップは息を呑んだ。
左の肩甲骨の辺りにある、何かをむしり取られたような丸い傷痕が、ヤソップの目を奪う。
遠目で見てもかなり痛々しいそれは……。
「ユキ……」
名前を呼んだものの、痕について訊ねるのははばかられた。
「何?」
「え、いや……、なんでもないよ」
「嘘はつかないで」
首だけ振り返ったユキの視線は鋭く、つい心の内を吐き出してしまった。
「……お前のその背中の傷は一体……?」
「ああ、これ」
ユキはゆっくりと目を閉じて言った。
「昔、ここには翼があったんだ。ハーフだから片方だけね」
「昔ってことは……」
「小さいころだからもう、あんまり覚えてないけど……、海賊に、切りとられたんだ。なんせ本物の竜の翼だからね」
努めて平静を装っているが、その腕は微かに震えているようにも感じる。
ヤソップは手を伸しかけて、止めた。
一体自分に何ができるというのか。
ユキの抱えるものは計り知れない。
この闇を払えるのはきっとただ一人だけ。
「悪かったな、聞いちまって。おれは忘れっぽいからな。きっと明日には忘れてるなァ」
ヤソップはぱぱっと包帯の交換を終わらせて、部屋を出ていった。
出ていくヤソップの背中を見つめてユキは、これは悪いことをしたなぁ、と後悔した。
ユキにとって、この背中の傷はもう過去のもの。
あの日の痛みは忘れることはできないだろうが、気にする必要はないのだ。
悔やむとすれば、どこぞの海賊の宝とされたことくらいか。
今では、片翼のほうがかえって不便だったのではないだろうか、とさえ思うほどだ。
「あたしのことなんて、気遣わなくてもいいのに」
ドサリと枕に頭を沈める。
先ほどまで寝ていたので、今は全く眠くない。
窓の外はほのかに赤く染まり始めているので、時間は夕方くらいか。
ひとりには慣れていたはずなのに、しばらくあの騒がしい彼らと生活を共にしていると、何だか寂しい気持ちになる。
紅の窓を眺めているうちに、ふと浮かんできた顔。
この空と同じ、赤い髪を持つ男。
「何で……」
ブンブンと頭を振っても脳内の彼は消えてくれない。
もう、認めるしかないのか。
ユキは視線をずらして、サイドテーブルの写真を見つめた。
以前は毎日何度も眺めていた写真だが、ここ最近は眺める機会が減っていた。
過去を切り取っただけの一枚は、答えなどくれない。
いつまでも変わらない笑顔を浮かべるだけだ。
「父さん、会いたいよ……」
ユキは無意識のうちに呟いていた。
その瞬間、脳が揺れるような奇妙な感覚に襲われた。
苦しくて、痛みに耐えるように目を閉じる。
再び目を開けたとき、ユキは真っ白な霧の中に立っていた。
靄の向こうで黒い影が動く。
「誰……?」
影に向かって一歩踏み出す。
と、ここで自分が普通に立って歩けていることに気づいた。
だからこそ、すんなりと腑に落ちた。
ああ、これは夢なんだ。
夢ならば、靄の向こうにいる人物はきっと……。
「父さん。父さんなんでしょ?」
影はなにも答えない。
それでも構わずユキは話し続けた。
「あたし今ね、海賊の船に乗ってるんだ。あんなに憎んでた海賊の船に。可笑しな話でしょ。でもね。そこのやつらみんな、いい人たちなの。竜の力も怖がらないでくれた──」
シャンクスの船に乗ってからの出来事が滝のように溢れてくる。
買い物をしたこと、騒がしい宴のこと、釣り対決をしたこと、竜の力をバラしたこと、敵と戦ったこと、傷つき倒れたこと、そしてシャンクスへの思い。
今まで話せなかった分がとめどなく言葉となって外へ出る。
「こんなに優しくされたのは初めてだから、あたし、どうしたらいいのか分かんないんだ。こんな気持ちも初めてだから……」
「ユキ」
影が初めて声を出した。
それは、紛れもなく大好きな父のものだ。
「ユキはもう、自由なんだ。僕との約束なんかに囚われないで、自分の気持ちに正直に生きていいんだよ」
なんてあたしに都合のいい言葉だろうか。
夢なのだから、父の本当の言葉ではないことは分かっている。
だが、ユキは救われたような気持ちになった。
「父さん、ありがと」
靄の向こうの影も笑ったような気がした。
「……」
ふと、ここではない、どこか遠くから声が響いているのに気づいた。
「……ユキ!」
こんどはもっとハッキリと聞こえた。
「ユキ!!」
そして、現実に戻された。
目の前には心配そうな顔のシャンクスがいた。
「……近い」
ユキはぺいっとシャンクスの顔を手で押し退けた。
「あぁ、悪い。だけどユキがあんまりにも起きないもんだから……ってお前今、腕動かせたのか!?」
「え? ……あ、ほんとだ。痛くない」
腕を持ち上げたり、振り回してみたり。
しかし、全く痛みはない。
昨日までは動かすことすらままならなかったというのに。
それは足も同様だ。
ユキはスルスルと腕の包帯を解いた。
弾痕は残っているものの、傷は完全に塞がっている。
「有り得ねぇ。これも、竜の力のおかげか……?」
「分かんない。こんなの……」
初めてだから。
そう、言いかけて思い出した。
背に残る、羽の痕。
この傷も相当酷かったはずだが、気がつけば治っていたのだ。
だが、シャンクスは背中の傷を知らない。
ヤソップの言葉を信じればの話だが。
知らないことをわざわざ知ってもらう必要はない。
ユキは言葉の続きを曖昧に誤魔化した。
「とにかく、快気祝いだ! 宴の準備するぞ!」
シャンクスはユキの手を取って部屋を飛び出した。
「おい、お前ら! 宴の準備だ!」
「お! じゃあどこかの島で食料調達だな!」
なんの疑いもなく宴の準備に取り掛かろうとするクルーたち。
わっせわっせと方向転換をするうちに、ようやくルウがユキの存在に気づいた。
「あれ、ユキ!? お前怪我はどうしたんだ!?」
ルウの大声に全クルーが動きを止めた。
「ユキ!?」
「もう回復したのか!?」
わらわらとクルーたちが集まってくる。
怒涛の質問攻めに、何から答えればいいのか分からなくなる。
「えっと、あの……、もう大丈夫だから。迷惑かけて、ごめん」
「なーに謝ってんだよ! ユキが元気になってくれておれたち嬉しいぜ!」
ヤソップがガシっとユキの肩を組んだ。
周りでは、そうだそうだとクルーたちが笑顔で頷く。
優しさに触れた時、ユキの胸はキュウっと締め付けられる。
だが、少しも苦しくはない。
それを素直に口に出すのは照れくさかった。
「……そう」
ユキの頬は少しだけウロコに変化した。