こもれび
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10年前のあの日、齢9歳の私はたった一晩で全てを失くした。
大切な家族も、思い出の詰まった家も。
全てが灰の中に消えた。
どれだけ時が流れようとも、耳の奥にこびりついた叫び声。
瞼に焼き付けられた炎の息吹。
迫り来る業火に焼き尽くされようとした時、
「……い、おい! 起きろよ寝坊助!!」
子犬のようなキャンキャンとした声で、現実に引き戻された。
「う……?」
うっすらと目を開くと、同じ顔に同じ髪型、同じ着物を着た双子がこちらをのぞきこんでいる。
「早くしねぇとテメェの朝飯全部食っちまうぞ!!!」
「ヒカヒナ……。朝から元気だねぇ」
モゾモゾと布団の中に潜り込む。
朝はもっと寝かせてほしい。
だというのに、ヒカヒナは布団の上に乗ってゆさゆさと揺さぶる。
「おい、何寝ようとしてんだ! お前今日は若と出かけるんだろ!」
若。
その単語を聞いて、優香はバチリと目を開いた。
「1分で支度する。若に言っといて!」
上に乗っていた双子を布団ごと引っペがして、優香は慌てて箪笥の中を引っ掻き回す。
出かけるといっても、楽しくデートというわけではないので、お気に入りの一張羅は着れない。
かといって、普段着の地味な色合いの着物ではあまりにも味気ない。
「うわー! こんなことなら昨日のうちに決めとけばよかった!」
と嘆くも、それをやらないのが人間の性である。
1分と言っておきながら、たっぷり5分は悩んで、藤色の布地で裾にスイセンが描かれた着物に着替えて、皆の集まる居間に向かった。
「おい、遅せぇぞ!!!」
居間の襖を開けるなり、気だるげな声に怒鳴られた。
「ごめん!!!」
条件反射のように、とりあえず謝っておく。
「チッ、テメェが買い物についてきてほしいって言うから仕方なく付き合ってやるってのに、寝坊しやがって」
ちゃぶ台に頬杖をついて、こちらを睨む紅い瞳。
第7特殊消防隊の大隊長、新門紅丸である。
その隣に座っていた中隊長の紺炉が、紅丸を落ち着かせようと言葉をかける。
「まあまあ若、それくらいにしてやれ」
紺炉に宥められて、苛立ちを抑えるように舌打ちをする。
「早く朝飯食えよ。ヒカゲとヒナタが食っちまうぞ」
「食っちまうぞー!」
と、双子が後に続く。
「はいはい、いただきます!!!」
手を合わせてから味噌汁に箸をつける。
白米と焼き魚をかき込んで少しでも早く食べ終えようとした。
「よく噛んでたべなさい」
母親のような紺炉の言葉に、優香は口いっぱいに頬張ったまま、大きく頷いた。
朝ごはんを平らげて、優香は洗面台で軽く化粧をする。
玄関に行くと、框には紅丸が座っている。
その背中からイライラしていることが見て取れた。
「若、ごめん! お待たせ!!」
「ったく、女ってのは面倒だよな」
紅丸は、優香の顔を見て大きなため息をついた。
「いーんです! これくらいしないと外とか歩けないの!」
「ブスはいくら飾ってもブスのままだ」
きーッ!!!!
何でこいつはこんなに口が悪いのよ!!!!
もう10年近くの仲になるが、紅丸の口の悪さは今に始まったことではない。
優香は、昔から口癖のようにブスと言われている。
「ブスだって必死に生きてるんです!!!」
これもまた、優香の口癖だった。
◆
紅丸と優香がやって来たのは、町の商店街。
浅草1番を誇るここには、様々な店が軒を連ねている。
「おや、紅ちゃん、優香ちゃん。買い物かい? 今なら安くしとくよ」
八百屋の八兵衛が陽気に声をかけてきた。
しかし紅丸は、
「今日はお前のとこに用はねぇよ」
と、仏頂面でスタスタ歩く。
「ちょっと若!」
優香に対してだけではない、紅丸の口の悪さに優香はいつもヒヤヒヤしている。
本当によくこんな人が町民から慕われてるわね。
さっさと歩く紅丸を追いかけながら、優香は八兵衛にペコペコと頭を下げる。
「もう! 何で若はそんなに愛想悪いのよ」
紅丸の上着を引っ張りながら優香は叱る。
紅丸は、それをうるさそうにあしらう。
「お前は俺の母親か?」
「母親は紺炉さんでしょ! って、そうじゃなくて! 私は若のためを思って言ってるのよ」
「うるせぇな」
ぎゃいぎゃいと言い合うのはいつものことで。
町の人々も、微笑ましそうにその小競り合いを眺めている。
2人は知らないだろうが、この光景は町の一部と言っても過言ではない。
と、目的の店に着いた。
「こんにちはー。おばさん、いつものくださいな」
のれんをくぐり、店主に声をかける。
「おや、優香ちゃん、紅丸ちゃんも。いらっしゃい。いつものだね」
鼻腔をくすぐる甘い蜜の香り。
色とりどりな花弁。
ここは、浅草随一の花屋である。
「お待たせ。いつもの花束だよ」
店主が差し出したのは、菊をメインにした仏花の花束。
「ありがとう。今回もすごく素敵」
にっこりと笑って優香はお礼を述べる。
「また、1年が経ったんだねぇ」
と、店主が寂しそうに呟いた。
この店は、まだ優香の家族が生きていた頃からの馴染みの店で、今は墓参りの度に訪れているのだ。
そして今日は、優香が全てを失った日。
家族の命日である。
◆◆
それは、本当に突然に起きた。
いつも通りの日常を終え、いつも通り眠りにつく。
また来る朝を迎える前に、バチバチと何かが爆ぜる音で目が覚めた。
燃え盛る焔ビトが2体、こちらを見下ろしている。
崩れ落ちた瞳と目が合った時、その焔ビトは断末魔のような奇声を発した。
その後のことはほとんど覚えていないが、あの時の焔ビトの瞳と魂の叫びだけは、記憶にこびりついて離れない。
その焔ビトが自分の両親だと知ったのは、すべてが終わってからだった。
気づいたときには、火事は収まっていて、優香は天涯孤独の身となった。
浅草式の消火により、住む家もない。
世界にたった一人で放り出された優香を引き取ってくれたのが、この第七だ。
もっとも、当時は第七特殊消防隊という大層な名前など付いていない、町の火消しだったが。
当時からお母さん的存在だった紺炉がよく面倒を見てくれていて、毎日泣いてばかりで目を真っ赤に腫らしていた私を、紅はブスだと罵ってきたんだっけ。
もう、あれから10年が経つのだ。
ヒカゲとヒナタが家族に加わり、優香は紅丸を“若”と呼ぶようになった。
紅丸が大隊長になったとき、敬意を示すためだ。
私は、泣き虫なお抱え少女ではなく、第七の一員なんだと。
「おい、そろそろ行くぞ。こっちは暇じゃねぇんだ」
懐かしい記憶に浸っていると、紅丸がぶっきらぼうな声を発した。
見れば、すでにのれんをくぐろうとしている。
「はいはい。それじゃあおばさん、また来ますね」
「いつでもどうぞ。──ご家族にもよろしくね」
花屋の店主に見送られて、2人は店を後にした。
墓参りへは優香1人で行く。
別に着いてきても構わないのだが、紅丸曰く「家族水入らずの時間に邪魔するわけにいかねぇだろ」とのことらしい。
「ありがとう、若。付き合ってくれて。ご飯の時間までには帰ってくるから」
「さっさと行けよ」
シッシっと手を振る紅丸。
優香は墓地への道を行こうとした時、
「おや、紅ちゃん優香ちゃん、また会ったね」
前方から八兵衛が、やあ、と片手を上げて近づいてくる。
「おい、悪いが……」
突然、紅丸は優香の前に立ちふさがった。
「ちょっと、若。急にどうしたの?」
ひょこっと顔を出すように紅丸の身体を避ける。
「見るんじゃねぇ!!!」
その怒鳴り声では、かえって見てしまう。
それが人間なのだ。
手を上げた八兵衛の指先が、チリチリと炎に変化する。
ほんのわずかな火は、あっという間に八兵衛の全身を炎で包んだ。
ヒュッと優香の喉が鳴った。
あの日の記憶が鮮明に蘇る。
燃え盛る炎、むせかえる煙、空を裂く焔ビトの叫び声。
「いやああああああああ!!!!!」
優香はその場にしゃがみ込んだ。
身体が震えて、全く動かない。
刻まれた恐怖が奥底から這い上がってくるようだ。
「おい、優香! しっかりしろ!!」
そう言われても、恐怖に支配された身体は言うことを聞かない。
その間にも、焔ビトは周囲の民家を壊しては、雄叫びのように叫んでいる。
焔ビトに自我はないはずなのに、八兵衛が泣き叫んでいるように聞こえるのだ。
「だい、じょぶ……。私のことはいいからッ……! 八兵衛さんを、助けてあげて……!!!」
優香は何とか声を絞り出す。
震える優香と八兵衛を交互に見て、紅丸は舌打ちをする。
「そこから動くんじゃねぇぞ!」
優香はコクリと頷いた。
動こうにも動けないのだから、どの道問題ない。
炎を撒き散らす、八兵衛の前に半身で立った紅丸。
「おい、八兵衛。これ以上町をめちゃくちゃにすんじゃねぇよ」
燃え上がる炎をものともせず、八兵衛の心臓、核の部分に手をついた。
「お前だって、望んじゃねぇだろ」
そして、伸ばした指先をグッと八兵衛に押し込む。
「よく、頑張ったな」
ドン!!
紅丸の手が八兵衛の胸を貫く。
ゆっくりと、灰になり消えてゆく身体。
「……悪かったな。買い物、行けなくて」
紅丸は、空に舞い上がった灰に向けて、手向けの言葉を贈った。
◆◆◆
遅れてやって来た、紺炉率いる第七の面々に後処理は任せて、優香と紅丸は一足先に詰所に戻ってきた。
力なく框に腰かけた優香に、紅丸はダルそうに、しかし声色は優しく、訊ねた。
「水、飲むか?」
フルフルと首を振った。
今はそれよりも……。
優香は作務衣の裾を掴んだ。
「ここにいて」
しかたねぇなぁ、と紅丸は優香の隣にあぐらをかいた。
紅丸の肩が触れる。
そこからじんわりと温かくなるような気がした。
「ごめんね。若の邪魔して」
「別に。てめぇのソレはそう簡単に治るもんじゃないだろ」
口調は荒いが、それが怒っているわけではないと分かる。
優香は作務衣を掴んでいた手を離して、三角座りをした。
そして、ずっと考えていたことを口にする。
「焔ビト化する原因はまだ解明されていないけど、遺伝の可能性もあるでしょう?」
この世界で、焔ビト化しないという保証はどこにもないのだ。
優香の、ぎゅっと脚を抱える腕に力がこもる。
「もし、私が焔ビトになったら、ね……?」
他の誰でもない、紅の手で鎮魂してほしい。
そう願うのはワガママなのだろうか。
「……バカなこと言ってんじゃねぇよ」
紅丸はコツンと優香の頭を小突いた。
じんわりと痛む頭を押さえながら、優香は言う。
「きっと、八兵衛さんも幸せだったよ。若に鎮魂されて」
「あたりめぇだろ」
その自信はどこから来るのだろう。
「言うと思った」
クスリと優香からようやく笑みが零れた。
あのね、紅。
私ホントは毎日怖いの。
いつ自分が焔ビトになるのか、いつも不安なの。
でも、紅がいるから、私は自分の足で立っていられる。
あなたに送られる、最後の日まで。
私は隣で歩いていきたい。
言葉にしてしまっては、きっとまた紅丸に怒られる。
だから優香は何も言わない。
その代わり、紅丸の肩にコテンと頭を預けた。
fin.
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