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こもれび

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それは、いつもの仕事の帰り道のことだった。
いつもと違ったのは、仕事で大きなミスをしでかして、上司からたっぷりと説教を食らったこと。
だから、いつもより少し気分は落ち込んでいた。

気分転換にでもなれば、と普段は通らない道を歩くと、大きな橋が架かっている場所に出た。
上流に近いのだろうか。
サワサワと水の流れる音が聞こえてきた。
荒んだ心に自然の音というのは癒しの効果を持つらしい。
優香は無意識のうちに橋のへりに近寄って、河原との境目が分からない暗い川を覗いた。
水の流れは分からなかったが、ザアザア流れる水音を聞いているだけで少し心が軽くなる。

と、ふいに声を掛けられた。
人の気配がしなかったことにも驚いたが、それ以上に内容に驚いた。

「お嬢さん、身投げかい? それなら、その前に紹介したい男がいるんだが……」

「はぁ?」

これが、優香と織田作、織田作之助との出会いだった。





「もう、本当に失礼しちゃうわよね。身投げか? って普通初対面に聞いてこないでしょ!」

織田作行きつけのバーで、ウォッカをグイッとあおる女性。
名を篠原優香という。

「またそんな前の話を……。あんなところで川を眺めていたら、飛び降り自殺でもするのかと思うだろう」

そう返した織田作は、ハイボールをちびりと飲んだ。

「思わないわよ、フツーは!」

なるほど、確かに。
俺は普通の人間じゃないからな。

優香には、自分がポートマフィアの構成員だということは伝えていない。
一介の自由業だと偽っている。

「悪かったって。自殺趣味が身近にいたもんでな」

「ちょっと。それは私のことを言っているのかい、織田作?」

カウンターに顎を置いて、グラスの口を食んでいる男。

「お前以外に誰がいるんだ、太宰」

呆れたように織田作は反対側にいる太宰に視線を送った。
頭と片目を覆う包帯に、頬のガーゼ。
どう考えても異常な怪我は、自殺未遂の時に負った怪我だそうだ。
恐らく嘘をついているが、優香がいる手前、真実は隠しているのだろう。

この自殺マニアは、織田作の友人で、優香を初めてこのバーに連れてきたときも、同じように呑んでいた。
もちろん、彼がポートマフィアの、それも幹部だと言うことは優香には秘密だ。

「酷いなぁ。あ、でも、本当に自殺したくなったら遠慮なく私を誘ってくれたらいいからね、優香ちゃん」

るんるん、と音符マークが付きそうなほど弾んだ声で言う。

「だから自殺なんてしないわよ!」

優香は、手に持っていたグラスを、ドン! とカウンターテーブルに置いた。

「わぁ、ごめん。そんなに怒らないでよ」

上辺だけの謝罪だが、それが太宰治という男だ。
彼は、自分のグラスを取って持ち上げた。

それが意味するところを知る織田作は訊ねた。

「今日は何に乾杯するんだ?」

意味を知らない優香は、怪訝な顔をした。

「乾杯? 何で今するの?」

「乾杯は、いつでも何を理由にしても、やっていいんだよ」

太宰は2人にもグラスを持つよう促す。
戸惑いながらも、優香もグラスを持ち上げた。

「ストレイドッグに」

太宰に続けて織田作も繰り返す。

「ストレイドッグに」

ついていけなかった優香は、遅れてグラスを差し出した。

「──ストレイドッグに」

カラーン、とグラスが鳴る。

3人で飲み交わす、なんて事のないこの日々が、織田作は気に入っていた。


◆◆


織田作のことが気になり始めたのは、いつ頃だったろうか。

一介の自由業と言う割には、どこか俗世間離れした独特の雰囲気を持つ織田作。
元々、好奇心旺盛な優香が彼のことを知りたくなるのは必然的なことだったのかもしれない。

この日は珍しく、太宰はバーにいなかった。
ここぞとばかりに、優香は織田作と距離を詰めようと試みた。

「ねぇねぇ、織田作の仕事の話、聞きたいなぁ」

「俺の話は詰まらないよ」

本当に詰まらなさそうに織田作は言う。

「詰まるか詰まらないかは私が決めるの! 織田作、一度も仕事の愚痴とか言わないんだもん」

一緒に飲むようになって、もう数ヶ月になるが、織田作が仕事について話しているのを聞いたことがない。

その代わり、仕事の大変さに日々愚痴を漏らす優香の話を、織田作はいつも静かに聞いてくれている。
時たま相づちを入れてくれるし、添える言葉も完璧ときたものだ。

これに優香はどれだけ救われていることか。
きっと、この男は知らないだろう。

「愚痴はないさ。俺みたいなのを雇ってくれているだけで感謝している」

「……やっぱり大人だね。織田作は」

「そうでもないぞ。俺は、俺の夢のために生きてるからな」

夢と聞いて、優香の目がキラキラと輝いた。

「夢!? 織田作の夢!? 何それ、聞きたい!!!」

身を乗り出す優香を、ちらりと横目で見下ろす。
澄んだ青色の瞳が、優香の上を行ったり来たりする。

ロックアイスがカラリと音を立ててから、ようやく織田作は言葉を発した。

「……小説家になりたいんだ」

「小説家!? 」

「……可笑しいか?」

ブンブンと、勢い良く首を振った。

「全ッ然!! すごいね! 私は少し文章を読むくらいだけど、あんな素敵な世界を文字だけで描けるのって、とても素敵だと思う!」

拙いなりに、感じたままのことをぶつけると、織田作はグラスを持ち上げくるりと回した。

「昔、ある人から本を貰ったんだ。その小説は、なぜか最後の数ページが破られていた」

織田作は、当時のことを思い返すように目を閉じた。

「その人は言ったんだ。お前が、この小説の続きを書け。そうするべきだって」

「それで、小説家に?」

コクリ、と小さく頷く。

自分のことをあまり語らない織田作が、初めて口にした夢の話。
それだけで、優香は嬉しくなった。

「私、織田作の夢を応援するよ。きっと、織田作なら素敵な続きを書けると思う」

「……ありがとう」

織田作は、優しげに目元を下げた。
キュウと心臓が音を立てる。
苦しいけど、苦しくない。

赤くなった顔を、酒のせいにして優香は頬杖をついた。

「でもいいなぁ。夢があるって。私なんて、ただ日々を生きるだけで精一杯だよ」

優香には、夢はないのか?」

「そりゃあ、小さいころにはあったけど、いつの間にか忘れちゃった」

へへへ、と締まりの悪い笑い声をもらす。

何かになりたい、という夢はとうの昔に置いてきてしまった。
ただ仕事をこなす優香にとって、夢がある、というのはとても眩しかった。


その後も、ポツリポツリと、織田作は自身のことについて話してくれた。
彼がこんなに饒舌になるのは初めてのことで。

少しは織田作に近づけた。
そう思うのも当然だった。

しかし、実際は、そう思うのに早すぎたのだ。
優香は、彼のことを何一つ知らなかった。


◆◆◆


ミミックとの抗争により、織田作が保護していた子どもたちが殺された。

立ち込める黒煙と、幾多の消防車。
事件現場の野次馬に紛れるように、織田作と太宰はいた。

「君が何を考えているか分かるよ。けど止めるんだ。そんなことをしても……」

「そんなことをしても、子どもたちは戻ってこない」

分かってはいるが、織田作に引き下がる気はない。
太宰が様々な言葉で引き止めようとしても、彼は一向に聞く耳を持たなかった。
ゆっくりと背を向けて歩き出す。

「織田作。行くな!!」

太宰が、織田作の肩を掴もうと手を伸ばすも、寸でのところで掴み損ねる。

「俺の望みはひとつだけだ」

振り返ることなく、織田作は歩き続ける。

「君が行けば、残された優香はどう思う?」

突然、優香の名前を出されて足が止まった。
脳裏に優香の無邪気に笑う顔が蘇る。

「……優香は、関係ないだろう」

「それは織田作の本心かい?」

太宰は、恐ろしく頭の切れる男だ。
これが本心でないことくらい見抜いている。

それでも。

「俺は、あいつらの魂を還してやりたいんだ」

それは何よりも優先する、大切なものだからだ。

優香に、よろしくな」

ヒラヒラと後ろ手に手を振った。
もう、太宰に織田作を止める術はなくなった。

「君は、バカだよ……」

降り始めた雨の中、太宰は消えゆく織田作の背中を見送っていた。


◆◆◆◆


「あ、太宰さん! 久しぶりだね」

いつものバーで、いつものように優香は座っていた。

「ああ、久しぶり」

太宰は、優香とひとつ席を開けて座る。
この空間は、いつも織田作がいた。

「最近、織田作も来てないみたいだったけど、何か知ってる?」

こちらを窺うように尋ねてくる。
優香が、織田作に想いを寄せていることは分かっていた。

だから、私は止めてあげようとしたのに。

「君も、哀れだね……」

ポツリと言葉がこぼれ落ちた。

「え? 何て言った?」

「……織田作は、死んだよ」

あまりにもあっさりと、何の前触れもなく発せられた言葉に、優香は思考が停止した。

「……はぁ?」

ようやく絞り出した言葉も、何の意味も持たない疑問文。

「何で……? 事故、とか……?」

事故死ではない。
しかし、抗争の最中に殺されたわけでもない。

彼の死を言葉に表すとしたら……、

「大切なもののために、織田作は命を懸けたんだ」

その言葉は、グサリと優香の心臓に突き刺さった。


私は、自惚れていた。
少しでも、織田作に近づけたと思ったのが間違いだったのだ。
彼は、私ではない他の誰かにその命を懸けた。
それが答えだ。


「……ねぇ、あなた達は何者なの? 私に何を隠してるの?」

彼らが、ただの一般人ではないことは薄々気づいていた。
それでも、知らないふりをした。
それだけは、知ってはいけない気がしたから。

「全部、教えて。どんなことでも受け入れるから。……お願い。私に真実を教えて」

「……本当に、後悔しないかい?」

太宰は、初めて見るような冷たい瞳になった。
ゴクリと生唾を飲み込む。

「ええ。しないわ」

優香は真っ直ぐに太宰の目を見つめる。
すると、彼は諦めたようにため息をついた。

「……私たちは、ポートマフィアだ。織田作は構成員、私は……いわゆる幹部の人間だよ」

──ポートマフィア。
横浜の裏の世界を支配する巨大な組織。

どんな悪行もやってのけるポートマフィアに、彼らが在籍していることは、見た目だけでは到底信じられない。

だが、優香は全てを信じると誓ったのだ。

「……どうして、織田作は死ななきゃいけなかったの」

「それが、組織の命令だったからだよ」

「命令なら、仲間が死んでもいいの……?」

「それがポートマフィアさ」

受け入れたくはない真実が、優香の心をかき乱す。

何がポートマフィア。
何が組織の命令。

「織田作には、夢があったのよ。その夢のために、生きたかったはず! どうして……、どうして生きたかった織田作が死んで、死にたがりのあんたが生きてんのよ!!」

「全く、皮肉な話だね」

酷くなじられたというのに、太宰はいつもの調子のまま答える。

「やっぱりッ……」

何かを言いかけて優香は口を噤むが、太宰はその後を引き継いだ。

「やっぱり僕が死ねば良かった?」

あっさりと言い当てられて、優香はグッと下唇を噛む。

「……そんなこと言ってない」

太宰はいっそ不気味なほどの笑顔を浮かべた。

「君の気持ちも分かるよ。でもね、優香。織田作は死んだんだ。もう彼は、この世のどこにもいない」

ハッキリと、そう告げられて、優香は爪の痕か残るほど強く、拳を握った。

バーテンダーがグラスを磨く音が、やけに大きく聞こえる。
恐ろしいほどの沈黙を破ったのは、太宰だった。

「……君があの場所にいれば、何か変わってたのかもしれないね」

震えを必死に隠そうとしているその声で、太宰も悲しみに暮れているのだと気づいた。
出会って数ヶ月の優香よりもよっぽど悲しく、寂しく、苦しいに決まっている。

しかし、

「あなたたちは、私に何も教えてくれなかったじゃない」

恨めしそうに優香は返す。
ポートマフィアだということも、大きな事件に巻き込まれているということも、何一つ知らされなかった。

全てが終わってから知らされる身にもなってみなさいよ。

「……本来なら、私たちは交わることのなかった存在だ。君をこの世界に触れさせてはいけないと思っていた」

織田作の優しさが、彼女をここに連れてきた。
しかし、その織田作はもういない。
本来の形に戻るべきだ。

「私たちは、一緒に居ちゃいけない存在だったのね……」

「ああ。だから、君はもうここに来るな。そして、私たちのことを忘れるんだ」

パタパタと、カウンターテーブルに雫が落ちた。
太宰は、それを見なかったフリをする。

再び沈黙が訪れたとき、バーテンダーがハイボールの入ったグラスを置いた。
今はもう、座る人のいなくなった真ん中の席に。

「……ストレイドッグに」

太宰は自分のグラスを持ち上げる。

「ストレイドッグに……」

優香もグラスを手にして、置かれたグラスに打ち付けた。

キーンと、冷たいガラスの音が、いつまでも優香の心に残っていた。


fin.

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