拝啓、風見鶏だった僕へ。

 センリがうつの治療を始めて一年が経った。
 季節はめぐり、センリはチヨ、利男と一緒に、両親の墓参りに来ていた。

 昨年は体調が悪くてここに来ることができなかったから、墓の前で手を合わせて、二年分の報告をする。


 うつ病になったこと。

 闘病する中で友だちができたこと。

 部署移動したこと。

 新しい仕事は自分に合っていること。

 いろんな人に支えられて、今ここにいるということ。

 まだまだ治療は道半ばで、仕事は一日四時間がやっとだ。
 秋になったら、週四日にしてみようかと話し合っている。
 初田には「あの頃に比べたらずいぶん元気になりましたね」と言われる。

 初田いわく。この治療のゴールは、|元《・》のセンリに戻ることではなく、無理なく生きられる生き方を見つけること。

 自分に嘘をついて、心身が限界なのに無理をして体を壊すような状態に戻るのはオススメしない、と。

「今の秤さんは、風見鶏だった頃とは違いますね。前より楽しそうです」
「そうかもしれません」

 センリ自身が別の誰かになったわけではない。
 センリはセンリのまま。変わったとするなら、考え方だ。
 自分の気持ちもきちんと言えるようになってきた。





「そろそろ行くかい、センリ」
「うん。父さんと母さんに、これまでのこと報告した。じいちゃんとばあちゃんは、もういいの?」
「私も、たくさん伝えたから。このまま帰るかい?」

 チヨに聞かれて、センリは提案する。

「コウキが働いているレストランに行ってみようか。どのメニューも美味しいけど、日替わり和定食が特にオススメって言ってた」

 コウキは高校を卒業後、レストランの料理人として働いている。
「いつかは自分の店を出して、お客様第一号に初田先生を招待するのが夢なんだ」と話していた。

 たくさん働いて、お店を出すお金を貯めないと。なんて笑う。
 はたからみたら小さな夢。
 コウキにとっては人生を賭ける大きな夢だ。
 

「あら、コウキくんのところ? いいわね、行ってみましょう」
「俺はその和定食ってのを注文してみるかな」

 二人も提案に乗ってくれて、お昼はレストランでの食事に決定した。

「また来るね、父さん、母さん」

 センリは微笑んで、両親の墓を後にする。


 昼食にはまだ早い時間だから、客はまだら。

「いらっしゃい、センリ。おじいさんとおばあさんもいらっしゃい。さっき先生も来てくれたんだよ」
「コウキ。コック姿が板についてるね」
「調理師高校にいたからね。でも、店を出すなら実務でもっと経験を積まないと。学校で習うのと実際店で作るのじゃだいぶ勝手が違う」

 大変だ、と言うけれど、この生活が充実しているのがわかる。
 厨房に立つコウキは楽しそうだ。

 注文した料理はとても美味しくて、利男がおかずのおかわりを注文したくらいだ。

「すごく美味しかったよ。ごちそうさま」
「三人に喜んでもらえて良かった。また来てくれると嬉しいな」
「うん。また来る」

 家に帰ったら豆大福が飛び出してくる。

「なぅー」
「センリ。マメがちゅーちゅー食べたいって言ってるわ」
「マメ。今日の分は九時に食べただろー」
「もう一本くらい許せって言ってる」

 おねだりしてセンリの足元から離れない豆大福を見て、利男が笑っている。

「ダメなものはダメ。太るぞ」
「乙女に太るは禁句よ、センリ」

 チヨがわりと真剣な顔で言うから、センリは苦笑する。

 スマホが鳴り、開くとミオからのメッセージだった。

『センリ、次に仕事のお休みあうとき、植物園行こうよ』
『いいよ、行こう』

 センリが返事すると、すかさず『ワーイ』と両手をあげる猫のスタンプがくる。

 高校を卒業したミオは、希望通りアパレルの仕事についた。
 ネットショップ部門のピッキング梱包だ。

 店頭に立っての接客という形では働けないけれど、服を求める人に届けることはできる。
 毎日好きなことができて楽しいと、嬉しそうだ。


 入り口で待ち合わせて、センリは予定時間の三十分前に到着した。

 もうミオは近くのベンチに座っていて、センリを見つけると手を振った。

『もしかして僕、時間を間違えた?』
『わたしが早く来ただけ』

 この一年で、ミオからも手話を教えてもらい、基本的な会話ならできるようになった。
 まだ覚えていない単語は筆談になるけれど、ミオはどちらでも良いよという。

 去年、海に行ったときに着ていたサロペットだ。サコッシュもあの日と同じ。


『去年、ここで絵を描いているとき、センリが話しかけてくれたね』
『懐かしい。あのとき、急に泣いてごめんね、あの頃はまだ、治療をはじめたばかりで、心が安定していなかった』


 思い出すと恥ずかしい。
 初対面の女の子の前で泣いてしまうなんて。いい年した大人なのに。

『わたしは、わたしと話してくれて嬉しかった。いつも一人だったから』
 
 ミオはあの日と同じ場所に座って笑う。
 センリも同じように、芝生に座る。

『自立できたら、ここでセンリに伝えたいことがあったの』

 ミオは深呼吸して、いつになく真剣な顔で言う。


『あの日、わたしと出会ってくれて、ありがとう。センリはわたしにとって、おひさまみたい。寂しくなくなった。わたしは、センリが好き。愛しています。これから先、ずっと一緒に、歩きたい』

 ミオの気持ちをきいて、涙がセンリの頬をつたった。

 まともに働くこともできなくなった、あの時のセンリでも、誰かの心の拠り所になれていた。
 そしてセンリが病気を抱えていることを知った上でも、好きだと言って隣を歩きたいと言ってくれる。


 まだ治療は長く続くから、きっと迷惑をかけてしまうのに、センリは心に嘘をつけなかった。

『僕も、君が好きだよ。必要としてくれて、ありがとう。僕も君に、救われている』

 拙い手話で精一杯伝える。


『きみのおかげで、生きたいと、思える』

 何年先になるかわからない。
 いつか、もっとちゃんと、家族を支えられるくらいに働けるまで回復したときには、そのときには、センリの方からもう一度伝えよう。



 センリは日記の新しいページに、一年前の自分に向けて手紙を書いた。



 拝啓、風見鶏だった僕へ。
 僕は、ずっと、本当の気持ちを口にして生きるのがこわかった。
 あたりさわりなく、深くふみ入らないでいれば、相手の望むことだけ答えていれば、傷つけないですむと思っていた。

 でもその選択は、誰よりも僕自身を傷つけていた。
 形だけの大丈夫をくり返して、馬鹿なことをしていた。

 おじいちゃんにもおばあちゃんにも、そんな墨だから余計心配をかけていた。

 きちんと、辛いときは辛いって、嬉しいときは嬉しいって、素直に言おう。

 風見鶏でなくなっても、不器用でも、僕のそばにいてくれる人はいるから。



 
 END 


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