捨てられたドアマットは公爵夫人に拾われる
シェリーは伯爵夫人|だった《・・・》。
伯爵家とシェリーの生家、それぞれの利益のための結婚。愛なんてひとかけらもない、完全なる政略結婚だった。
夫はシェリーに見向きもせず、夫婦の営みもない。
放置されたシェリーは使用人のうち身分の低い二人をいびり、その給金を着服した。
その罪を問われたシェリーは離婚され、実家に戻ることも許されず。
公爵家の夫人がシェリーを預かると言い出し、シェリーは公爵家の侍女になることが決まった。
十七歳の冬。
シェリーは冷たい風に吹かれながら、重い心を抱えて公爵家の大きな門をくぐった。荷物はトランクひとつだけ。
なぜ自分がこんな扱いを受けるのだろう。
心の中で自問自答する。
シェリーの目には涙が浮かんでいた。
使用人をいびったのは悪かったかもしれないけれど、伯爵だって、結婚したのに最後まで一度もシェリーの名を呼んでくれなかった。
シェリーの心の中には、過去の苦しい記憶が蘇っていた。
シェリーには一つ上の姉がいる。名はアイリス。
両親は、常に姉のアイリスばかりを優先していた。
ドレスもアクセサリーも流行最先端、最高のものをアイリスに与える。
アイリスは美しく、才能に恵まれ、両親の誇りだった。
才色兼備、絶世の美女。
それに対して、シェリーは醜女。
常に二番手で、与えられるのはアイリスが飽きて着なくなったドレスを仕立て直したもの。
シェリーは家族からの愛を求めていたが、家族はシェリーを放置し、名を呼んでくれなかった。
シェリーの心は、常に孤独と悲しみで満たされていた。
やっと名前を呼んでくれたと思ったら、伯爵の嫁になれときた。
姉は家を継ぐとこが決まっていて、若く美しい子爵次男が婿に来る予定になっている。
結婚を祝う言葉の数々を並べる親の本心が、透けて見える。
家に置いておくのは邪魔だが、伯爵家との繋がりを持つのにちょうどいい。
公爵家での生活も、どうせ愛されることのない辛いものだろうとシェリーは思っていた。つとめ始めた当初は、そう考えていた。
公爵夫人のテレサは、シェリーの母親より少しだけ年上の四十代半ば。
笑顔の似合う、穏やかな人だった。
シェリーを実の娘のように大切にしてくれた。
穏やかな声でシェリーを呼び、シェリーの手が洗濯や食器洗いで荒れると、薬草のクリームを塗ってくれた。
メイドや侍女たちは、“離婚された元伯爵夫人”という難しい立場のシェリーとやや距離を取っていたが、テレサはいつも優しかった。
なぜ大切にしてくれるのか、疑問に思って問いかけると、テレサは答えた。
昔、病気になって流産して、子を産めない体になってしまったの。その時の子が生きていたなら、シェリーと同じ年なのよ、と。
公爵家にいる嫡男リオンは養子で、親戚から引き取った子なのだと教えてくれた。
実の親より、赤の他人であるテレサのほうがよほど親らしいことをしてくれた。
公爵家に仕えて二月経った頃、テレサが言った。
貴女にリオンの世話係を頼みたいの。
シェリーは驚きと喜びで胸がいっぱいになった。
リオンは公爵家の息子で、まだ八歳。幼いが、聡明で愛らしい子供だった。
シェリーはテレサの与えてくれた愛に報いたくて、沢山本を読んで子どもとの付き合い方を学んだ。
リオンの遊び相手をするし、リオンが熱を出せば睡眠時間を削って看病した。
リオンの世話をすることに喜びを感じ、リオンの笑顔を見るのが喜びになっていった。
リオンもまたシェリーに懐いた。
家族と夫を失って、シェリーは人のあたたかさと優しさを知った。
書類上だけの家族に捨てられて良かったと思うくらいに、幸せだった。
そして大切にされて理解する。
かつての使用人達にした扱いが、どれほど酷いことだったか。
会いに行って謝るべきかと思うけれど、それは自己満足にすぎないとも思う。
せめて、これからは公爵夫妻やリオンを大切にすることで罪滅ぼしをしようと考えた。
やがてリオンは成長し、穏やかで優しい青年となった。
そして、ある日リオンはシェリーに向かって言った。
シェリー、僕は君を愛している。僕の妻になってくれないか。
シェリーは驚きと喜びで涙を浮かべる。
自分の罪を、過去をすべて話し、それでも自分を選んでくれるかと問う。
リオンはもう一度、気持ちは変わらないと笑う。
シェリーはリオンの求婚を受け入れた。
慈しみ、愛されることで、シェリーは立ち直った。
リオンとシェリーの結婚を、テレサが誰よりも喜んだ。
シェリーはリオンとの結婚後、領内の孤児院運営に特に力を入れた。
かつて八つ当たりでいびってしまった二人が、孤児院の出身だったから。
シェリーが公爵婦人になり、孤児たちの世話に尽力するようになったことは、かつての使用人の耳にも風のうわさで届いた。
元夫である伯爵は再婚相手が軍人だと聞いた。家庭内なのに軍隊の上官と部下のような、尻に敷かれる日々を送っているらしい。
シェリーの生家は、シェリーがリオンと結婚すると決まった途端に分厚い手紙の束を送ってくるようになった。
ぼくたちは家族だろう、育ててやった恩を返せ、家に経済支援しろ……毎回同じような内容だ。
シェリーが侍女になって十年、一度も会いに来たことがないのに家族とは……笑えない冗談だ。
シェリーは手紙を細かくちぎって、リビングルームの暖炉にくべる。
隣に座るリオンと目をみかわし合い、手を繋ぐ。
シェリーの家族は、ここにいる人たちのことだ。
テレサとリオンと公爵。
シェリーは、この人たちに愛と恩を返すために、これからも生きていく。
伯爵家とシェリーの生家、それぞれの利益のための結婚。愛なんてひとかけらもない、完全なる政略結婚だった。
夫はシェリーに見向きもせず、夫婦の営みもない。
放置されたシェリーは使用人のうち身分の低い二人をいびり、その給金を着服した。
その罪を問われたシェリーは離婚され、実家に戻ることも許されず。
公爵家の夫人がシェリーを預かると言い出し、シェリーは公爵家の侍女になることが決まった。
十七歳の冬。
シェリーは冷たい風に吹かれながら、重い心を抱えて公爵家の大きな門をくぐった。荷物はトランクひとつだけ。
なぜ自分がこんな扱いを受けるのだろう。
心の中で自問自答する。
シェリーの目には涙が浮かんでいた。
使用人をいびったのは悪かったかもしれないけれど、伯爵だって、結婚したのに最後まで一度もシェリーの名を呼んでくれなかった。
シェリーの心の中には、過去の苦しい記憶が蘇っていた。
シェリーには一つ上の姉がいる。名はアイリス。
両親は、常に姉のアイリスばかりを優先していた。
ドレスもアクセサリーも流行最先端、最高のものをアイリスに与える。
アイリスは美しく、才能に恵まれ、両親の誇りだった。
才色兼備、絶世の美女。
それに対して、シェリーは醜女。
常に二番手で、与えられるのはアイリスが飽きて着なくなったドレスを仕立て直したもの。
シェリーは家族からの愛を求めていたが、家族はシェリーを放置し、名を呼んでくれなかった。
シェリーの心は、常に孤独と悲しみで満たされていた。
やっと名前を呼んでくれたと思ったら、伯爵の嫁になれときた。
姉は家を継ぐとこが決まっていて、若く美しい子爵次男が婿に来る予定になっている。
結婚を祝う言葉の数々を並べる親の本心が、透けて見える。
家に置いておくのは邪魔だが、伯爵家との繋がりを持つのにちょうどいい。
公爵家での生活も、どうせ愛されることのない辛いものだろうとシェリーは思っていた。つとめ始めた当初は、そう考えていた。
公爵夫人のテレサは、シェリーの母親より少しだけ年上の四十代半ば。
笑顔の似合う、穏やかな人だった。
シェリーを実の娘のように大切にしてくれた。
穏やかな声でシェリーを呼び、シェリーの手が洗濯や食器洗いで荒れると、薬草のクリームを塗ってくれた。
メイドや侍女たちは、“離婚された元伯爵夫人”という難しい立場のシェリーとやや距離を取っていたが、テレサはいつも優しかった。
なぜ大切にしてくれるのか、疑問に思って問いかけると、テレサは答えた。
昔、病気になって流産して、子を産めない体になってしまったの。その時の子が生きていたなら、シェリーと同じ年なのよ、と。
公爵家にいる嫡男リオンは養子で、親戚から引き取った子なのだと教えてくれた。
実の親より、赤の他人であるテレサのほうがよほど親らしいことをしてくれた。
公爵家に仕えて二月経った頃、テレサが言った。
貴女にリオンの世話係を頼みたいの。
シェリーは驚きと喜びで胸がいっぱいになった。
リオンは公爵家の息子で、まだ八歳。幼いが、聡明で愛らしい子供だった。
シェリーはテレサの与えてくれた愛に報いたくて、沢山本を読んで子どもとの付き合い方を学んだ。
リオンの遊び相手をするし、リオンが熱を出せば睡眠時間を削って看病した。
リオンの世話をすることに喜びを感じ、リオンの笑顔を見るのが喜びになっていった。
リオンもまたシェリーに懐いた。
家族と夫を失って、シェリーは人のあたたかさと優しさを知った。
書類上だけの家族に捨てられて良かったと思うくらいに、幸せだった。
そして大切にされて理解する。
かつての使用人達にした扱いが、どれほど酷いことだったか。
会いに行って謝るべきかと思うけれど、それは自己満足にすぎないとも思う。
せめて、これからは公爵夫妻やリオンを大切にすることで罪滅ぼしをしようと考えた。
やがてリオンは成長し、穏やかで優しい青年となった。
そして、ある日リオンはシェリーに向かって言った。
シェリー、僕は君を愛している。僕の妻になってくれないか。
シェリーは驚きと喜びで涙を浮かべる。
自分の罪を、過去をすべて話し、それでも自分を選んでくれるかと問う。
リオンはもう一度、気持ちは変わらないと笑う。
シェリーはリオンの求婚を受け入れた。
慈しみ、愛されることで、シェリーは立ち直った。
リオンとシェリーの結婚を、テレサが誰よりも喜んだ。
シェリーはリオンとの結婚後、領内の孤児院運営に特に力を入れた。
かつて八つ当たりでいびってしまった二人が、孤児院の出身だったから。
シェリーが公爵婦人になり、孤児たちの世話に尽力するようになったことは、かつての使用人の耳にも風のうわさで届いた。
元夫である伯爵は再婚相手が軍人だと聞いた。家庭内なのに軍隊の上官と部下のような、尻に敷かれる日々を送っているらしい。
シェリーの生家は、シェリーがリオンと結婚すると決まった途端に分厚い手紙の束を送ってくるようになった。
ぼくたちは家族だろう、育ててやった恩を返せ、家に経済支援しろ……毎回同じような内容だ。
シェリーが侍女になって十年、一度も会いに来たことがないのに家族とは……笑えない冗談だ。
シェリーは手紙を細かくちぎって、リビングルームの暖炉にくべる。
隣に座るリオンと目をみかわし合い、手を繋ぐ。
シェリーの家族は、ここにいる人たちのことだ。
テレサとリオンと公爵。
シェリーは、この人たちに愛と恩を返すために、これからも生きていく。
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