秘密の恋とチョコレート
「ぜったいぜったい、秘密だよ!」
十七歳になったばかりの幼なじみ春《はる》が、人差し指を立てて宣言する。
「私、イツキさんが好きなの。だからサツキ。私がイツキさんに告白するまで、本人にはぜったい本人には言わないでね。バラしたら絶交だかんね!」
「言わないよ。まあせいぜいガンバレ、春」
俺の兄、イツキは現在製菓専門学校一年生。
パティシエを目指して修行中の身だ。
誰にでも優しく紳士的だから、ひたすらモテる。
毎年バレンタインにもらうチョコは、本命チョコだけで両手の指の数を超える。
だから俺は、この幼なじみに勝ち目は絶対ないと思う。
積年の片思いが実るのは、少女漫画の世界だけで、ここは現実だ。
好きな人が自分を好いていてくれるなんてミラクル、そうそう起こらない。
春がバレンタインの一週間も前から手作りチョコの練習をするのも、試作品を俺に味見させるのも、無駄に終わる可能性が高い。
学校が終わった放課後、俺は春の家のキッチンで試作品第五号を食わされている。
セーラー服の上にエプロンをつけた春が腕まくりしながら聞いてくる。
「今度こそ美味しくできてるでしょ!」
「見た目がヤバイ。これ渡したら好感度だだ下がり。嫌われるって。味もまずすぎる」
見た目がうさぎのうんこみたいにボロボロになった、チョコレートだったモノ。何をどうしたらここまでまずく作れるのかわからない。食材に謝ったほうがいい。
愛情は隠し味、愛がこもっていれば美味いなんてのも少女漫画の世界だけ。
春が作ったケーキは材料配分を間違えまくりでクソまずい。
基本のものをまともに作れないのに、レシピを変にアレンジしようとするから不味さに拍車がかかる。
「ま、不味いって連呼しないで。……仕方ないじゃん初めてなんだから。パティシエ目指してるイツキさんに、そこらの市販品を渡せるわけないじゃん」
「率直な感想に文句を言うなら、自分で味見しろよ。自分で食べてまともだと思うモノができてから俺に味見用を出せ」
「えー。あんまり試作品を食べすぎると太るじゃない」
「知るか。俺は甘いの嫌いなのに、チョコばっか味見させんな。付き合い切れねー」
太りたくないなんて、いらんところで乙女心を発揮されてもこまる。
協力するのもバカらしくなって春の家を出た。
家に帰ると、イツキがキッチンで何かしていた。
テーブルには製菓用チョコレートや生クリーム、無塩バター等々が並んでいる。
「なにしてんの、兄貴」
「おかえり、サツキ。見ての通りお菓子作り。ほら、来週はバレンタインだろ」
「ああ。バレンタインだな」
「今は令和なんだから、男性から女性に渡したっていいはずだろう?」
俺が察するに、イツキは春の姉、雪に惚れている。
イツキがパティシエを目指したのだって、きっと雪がカフェを営んでいるからだ。
雪の役に立ちたくて、いつか雪の店で一緒に働きたくてパティシエの学校にいる。
春はそのことを知らない。
好きな人の好きな人が自分の姉だなんて知ったら、二週間は寝込むかもしれない。
好きな人に手作りチョコを渡したいなんて、毎年イツキに本命チョコを贈っている女子に言ったらイチコロなのに。
モテモテなのに一途で、本命相手には奥手。
自分の兄ながら完璧すぎて腹が立つ。
「好きだって、自分で直接伝えたいから、秘密にしてくれよサツキ」
「はいはい。俺、出かけてくる」
「もう夕方だぞ。どこ行くんだ」
「ちょっとそこまで」
学生服で遅くまでうろつくと補導されてしまうから、いったん家にカバンをおいて私服に着替える。
俺は高校生になってからは土日にバイトして、ある目的のために金をためている。
とある店のガラス戸を押し開けると、店主が優しい笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ! あ、サツキくん。またきてくれたんだ。嬉しいな」
「ユキ姉。いつものよろしく」
「はーい。サンドイッチセット、ブラックコーヒーね」
ここは雪が営むカフェだ。
シックな濃茶のロングワンピースに白のエプロンが、雪の清楚な雰囲気によく似合っている。
「ユキ姉は今日もきれいだよな。料理上手だし、お嫁さんに欲しい」
「もー。お世辞が上手なんだから」
「俺はいつも正直だよ。お世辞なんて言わない」
好きで好きで、いつもストレートに気持ちを伝えているのに、軽く流されてしまう。
八つも年が離れているせいなのだろうか。
こんなに好きを伝えているのに、子どもにしか見えないとしたら悲しい。
サンドイッチセットが運ばれてきて、美味しくいただく。
本来ならセット内容にない、手作りチョコプリンの小皿を添えてくれた。
「ん! これも美味い! 新メニューの試作?」
「あ、うん。そんな感じ。どうかな?」
「ほろ苦で甘すぎなくて、毎日でも食べたいなぁ。これなら甘いの苦手な人でも食べられるよ。さすがユキ姉。ごちそうさま」
雪の夫になる人は毎日これを食べられるのか。それがイツキだったら嫌だなぁ。
今回のバレンタインでイツキが告白して雪が受け入れてしまったら、もう通えなくなるかもしれない。
イツキと雪が睦まじく過ごす姿なんて見たくない。
「なぁ、ユキ姉。俺、来月の十四日で十八歳になるんだ」
「え、あ、うん。そうだね」
「俺が小さい頃言ったこと、覚えてる?」
八歳の時、俺はなけなしのおこづかいで小さなチョコプリンを買って雪に渡した。
“バレンタインチョコは女の子から男の子に渡すものなのに”って、まわりからは笑われたけれど。
俺のお嫁さんになって。
雪は子どもの言うことだしと思ったんだろう。
サツキくんが大人になったらね、と、たぶんありきたりな逃げ口上を口にした。
「兄貴に負けたくないから、先に渡しとく。ユキ姉……いや、雪さん。お世辞とか冗談でなく、今でも変わらず好きだから。雪さんも好きだと思ってくれるなら、来月、俺が十八になるとき結婚して」
チョコレートと、雪の結晶を模したネックレス。
学生バイトで買える精一杯の贈り物だ。
初恋で片思いが実るのは少女漫画の世界だけ。
わかっていても、俺はこんなことをする。
かっこ悪いなぁ。
イツキのためにチョコの練習をする春のことを笑えない。
雪だってきっと、イツキのことを見ている。
優しい兄と優しい雪。
お似合いだって思うけど、負けたくない。
雪はチョコとネックレスを両手で包むように受け取って、微笑む。
「ありがとう、サツキくん。私の気持ち気づいてくれていると思っていたのに、ちゃんと言わなきゃ伝わらないんだなぁ」
「へ?」
雪は空になったチョコプリンの器をつまんで、いたずらっぽく笑う。
「これは新メニューの試作品じゃなくて、サツキくん専用なの。サツキくんは昔から甘いのが嫌いでしょ? だから、サツキくんが好きな味を考えて作ったバレンタインチョコなの」
「……………え、えええっ!」
チョコプリンを自分のためだけに作ってくれていたとわかって、顔がにやけてしまう。
「でも、あの日のチョコのこと覚えているのが私だけだったら、悲しいなって思っていたけど、覚えていてくれてよかった」
「忘れたことなんてないよ!」
長年好きだった人と両想いだとわかって嬉しいけど、雪のためにがんばってチョコを作っている兄のことを思うと、少しの罪悪感がわいてくる。
「兄貴には俺と雪さんのこと、秘密にしないといけないかな」
「サツキくんってば、自分のことは積極的なのに、人の恋路になると途端に鈍くなるのね」
雪が俺の唇に人さし指をあてる。
俺が勝手に勘違いしていただけで、イツキが好きな人は春だったと知るのはバレンタイン当日のこと。
十七歳になったばかりの幼なじみ春《はる》が、人差し指を立てて宣言する。
「私、イツキさんが好きなの。だからサツキ。私がイツキさんに告白するまで、本人にはぜったい本人には言わないでね。バラしたら絶交だかんね!」
「言わないよ。まあせいぜいガンバレ、春」
俺の兄、イツキは現在製菓専門学校一年生。
パティシエを目指して修行中の身だ。
誰にでも優しく紳士的だから、ひたすらモテる。
毎年バレンタインにもらうチョコは、本命チョコだけで両手の指の数を超える。
だから俺は、この幼なじみに勝ち目は絶対ないと思う。
積年の片思いが実るのは、少女漫画の世界だけで、ここは現実だ。
好きな人が自分を好いていてくれるなんてミラクル、そうそう起こらない。
春がバレンタインの一週間も前から手作りチョコの練習をするのも、試作品を俺に味見させるのも、無駄に終わる可能性が高い。
学校が終わった放課後、俺は春の家のキッチンで試作品第五号を食わされている。
セーラー服の上にエプロンをつけた春が腕まくりしながら聞いてくる。
「今度こそ美味しくできてるでしょ!」
「見た目がヤバイ。これ渡したら好感度だだ下がり。嫌われるって。味もまずすぎる」
見た目がうさぎのうんこみたいにボロボロになった、チョコレートだったモノ。何をどうしたらここまでまずく作れるのかわからない。食材に謝ったほうがいい。
愛情は隠し味、愛がこもっていれば美味いなんてのも少女漫画の世界だけ。
春が作ったケーキは材料配分を間違えまくりでクソまずい。
基本のものをまともに作れないのに、レシピを変にアレンジしようとするから不味さに拍車がかかる。
「ま、不味いって連呼しないで。……仕方ないじゃん初めてなんだから。パティシエ目指してるイツキさんに、そこらの市販品を渡せるわけないじゃん」
「率直な感想に文句を言うなら、自分で味見しろよ。自分で食べてまともだと思うモノができてから俺に味見用を出せ」
「えー。あんまり試作品を食べすぎると太るじゃない」
「知るか。俺は甘いの嫌いなのに、チョコばっか味見させんな。付き合い切れねー」
太りたくないなんて、いらんところで乙女心を発揮されてもこまる。
協力するのもバカらしくなって春の家を出た。
家に帰ると、イツキがキッチンで何かしていた。
テーブルには製菓用チョコレートや生クリーム、無塩バター等々が並んでいる。
「なにしてんの、兄貴」
「おかえり、サツキ。見ての通りお菓子作り。ほら、来週はバレンタインだろ」
「ああ。バレンタインだな」
「今は令和なんだから、男性から女性に渡したっていいはずだろう?」
俺が察するに、イツキは春の姉、雪に惚れている。
イツキがパティシエを目指したのだって、きっと雪がカフェを営んでいるからだ。
雪の役に立ちたくて、いつか雪の店で一緒に働きたくてパティシエの学校にいる。
春はそのことを知らない。
好きな人の好きな人が自分の姉だなんて知ったら、二週間は寝込むかもしれない。
好きな人に手作りチョコを渡したいなんて、毎年イツキに本命チョコを贈っている女子に言ったらイチコロなのに。
モテモテなのに一途で、本命相手には奥手。
自分の兄ながら完璧すぎて腹が立つ。
「好きだって、自分で直接伝えたいから、秘密にしてくれよサツキ」
「はいはい。俺、出かけてくる」
「もう夕方だぞ。どこ行くんだ」
「ちょっとそこまで」
学生服で遅くまでうろつくと補導されてしまうから、いったん家にカバンをおいて私服に着替える。
俺は高校生になってからは土日にバイトして、ある目的のために金をためている。
とある店のガラス戸を押し開けると、店主が優しい笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ! あ、サツキくん。またきてくれたんだ。嬉しいな」
「ユキ姉。いつものよろしく」
「はーい。サンドイッチセット、ブラックコーヒーね」
ここは雪が営むカフェだ。
シックな濃茶のロングワンピースに白のエプロンが、雪の清楚な雰囲気によく似合っている。
「ユキ姉は今日もきれいだよな。料理上手だし、お嫁さんに欲しい」
「もー。お世辞が上手なんだから」
「俺はいつも正直だよ。お世辞なんて言わない」
好きで好きで、いつもストレートに気持ちを伝えているのに、軽く流されてしまう。
八つも年が離れているせいなのだろうか。
こんなに好きを伝えているのに、子どもにしか見えないとしたら悲しい。
サンドイッチセットが運ばれてきて、美味しくいただく。
本来ならセット内容にない、手作りチョコプリンの小皿を添えてくれた。
「ん! これも美味い! 新メニューの試作?」
「あ、うん。そんな感じ。どうかな?」
「ほろ苦で甘すぎなくて、毎日でも食べたいなぁ。これなら甘いの苦手な人でも食べられるよ。さすがユキ姉。ごちそうさま」
雪の夫になる人は毎日これを食べられるのか。それがイツキだったら嫌だなぁ。
今回のバレンタインでイツキが告白して雪が受け入れてしまったら、もう通えなくなるかもしれない。
イツキと雪が睦まじく過ごす姿なんて見たくない。
「なぁ、ユキ姉。俺、来月の十四日で十八歳になるんだ」
「え、あ、うん。そうだね」
「俺が小さい頃言ったこと、覚えてる?」
八歳の時、俺はなけなしのおこづかいで小さなチョコプリンを買って雪に渡した。
“バレンタインチョコは女の子から男の子に渡すものなのに”って、まわりからは笑われたけれど。
俺のお嫁さんになって。
雪は子どもの言うことだしと思ったんだろう。
サツキくんが大人になったらね、と、たぶんありきたりな逃げ口上を口にした。
「兄貴に負けたくないから、先に渡しとく。ユキ姉……いや、雪さん。お世辞とか冗談でなく、今でも変わらず好きだから。雪さんも好きだと思ってくれるなら、来月、俺が十八になるとき結婚して」
チョコレートと、雪の結晶を模したネックレス。
学生バイトで買える精一杯の贈り物だ。
初恋で片思いが実るのは少女漫画の世界だけ。
わかっていても、俺はこんなことをする。
かっこ悪いなぁ。
イツキのためにチョコの練習をする春のことを笑えない。
雪だってきっと、イツキのことを見ている。
優しい兄と優しい雪。
お似合いだって思うけど、負けたくない。
雪はチョコとネックレスを両手で包むように受け取って、微笑む。
「ありがとう、サツキくん。私の気持ち気づいてくれていると思っていたのに、ちゃんと言わなきゃ伝わらないんだなぁ」
「へ?」
雪は空になったチョコプリンの器をつまんで、いたずらっぽく笑う。
「これは新メニューの試作品じゃなくて、サツキくん専用なの。サツキくんは昔から甘いのが嫌いでしょ? だから、サツキくんが好きな味を考えて作ったバレンタインチョコなの」
「……………え、えええっ!」
チョコプリンを自分のためだけに作ってくれていたとわかって、顔がにやけてしまう。
「でも、あの日のチョコのこと覚えているのが私だけだったら、悲しいなって思っていたけど、覚えていてくれてよかった」
「忘れたことなんてないよ!」
長年好きだった人と両想いだとわかって嬉しいけど、雪のためにがんばってチョコを作っている兄のことを思うと、少しの罪悪感がわいてくる。
「兄貴には俺と雪さんのこと、秘密にしないといけないかな」
「サツキくんってば、自分のことは積極的なのに、人の恋路になると途端に鈍くなるのね」
雪が俺の唇に人さし指をあてる。
俺が勝手に勘違いしていただけで、イツキが好きな人は春だったと知るのはバレンタイン当日のこと。
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