囚われのライラは千一夜アルゴスに謳う

 王子はこれまで他人の名を覚えず、興味を持ったことはありませんでした。
 けれど少しずつ変わりつつあります。

「そなたはどうして街角に帰りたいんだ。ここなら食うに困らないのに」
「行けばわかります。遠くを夢見るだけなのは、寂しいものです」

 吟遊詩人は目を閉じてうたいます。



 

 ある村に藍のカラスがいました。
 カラスは森で暮らすより、人の近くにいれば美味しいものを食べられることを知っていました。

 村には羊飼いがいて、金目の牧羊犬をそばにおいています。羊の番をする以外は鎖で繋がれています。

 犬は動物の言葉でカラスに問いかけます。
 空を飛ぶのはとても楽しいんだろうね。
 ぼくはここしか知らないから、村以外のことを教えてほしい。

 カラスは答えます。
 君は牧羊犬。そこに行けやしないんだから。
 今知っていることろだけが全てのままの方が、幸せじゃないかい。

 人に飼われている限り、犬は村の外を知るすべがありません。

 犬はそれでもお願いします。
 思いを馳せるだけでもきっと楽しい。

 根負けして、カラスはあたりを飛び回り、見える景色を犬に教えるようになりました。

 あの丘のむこうには海がある。
 村にある池と違って、波というものが常に寄せて返す不思議な場所。

 それを聞いて犬は金の目を更にキラキラさせて鳴くのです。

 犬が楽しそうに聞いてくれるから、カラスは何度も犬に話しました。

 ある時たまたま鎖のつなぎがゆるくて、犬は飛び出すチャンスを得ます。

 一度でいいからカラスが教えてくれた海を見てみたくて走りました。

 犬がいなくなったことに気づいた羊飼いに連れ戻されてしまいます。

 もう逃げないよう、鎖は厳重になりました。犬は泣きながらカラスに言います。

 君の言うとおりだ。海を知らなかったら、ぼくは牧羊犬のままで満足していたのに。

 カラスは答えます。
 いつか同じ生き物に生まれる日が来るかもしれない。
 一緒に海を見るのは、そのときの楽しみにとっておこう。
 寿命がふたりを分かつまで、カラスは犬のそばにいました。

 
 もしかしたらふたりは今、魚に生まれて広い海を旅しているかもしれません。




 うたい終えて聞こえるのは王子の寝息だけ。

 他の楽士がこのライラで演奏しても、王子は眠りません。
 王子と吟遊詩人の間になんの因果があるのか、知るすべはありませんでした。 
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