夢で満ちたら
ワンダーウォーカーを出たあとは、残りの買い物を済ませて帰宅した。
「おかえりなさい。ミチル、ユメちゃん。ちょっとお香みたいな匂いがするし……もしかして歩くんのところに行ってきたのかしら」
玄関に出てきた母が、買い物袋を受け取りながら聞いてくる。
近所のスーパーで買い物を済ませたなら、帰るのに一時間以上もかからない。
遠くまで行ってきたのはバレバレだ。
「……母さんは、歩叔父さんの店のこと知っていたの? ガイドブックのページを切り取ったのも母さん?」
「知っているわ。五年前に開店お知らせの手紙が来ていたもの。でも、本のページを切り取ったのはわたしではなくて、駆さんよ」
「父さんが?」
やっぱりミチルに教えたくなかったのかなと考えてしまう。
ちょっと待っていなさい、と言われて、ユメと二人でリビングで寛ぐ。
母は三冊のスクラップブックを持って戻ってきた。
手を伸ばし、開いてみると、ワンダーウォーカーの記事を集めたものだった。
最初のページは、五年前……オススメ新店の特集記事。
隅っこで紹介されるような小さな記事も丁寧に切り抜かれ、貼られている。
三冊目の一番新しいページは、ユメが買った雑誌のあの記事だった。
「伯父ちゃん、歩は馬鹿だって、いつも言ってたのに。ちゃんとこうして歩さんのこと、気にしていたんだね」
「……そうだね。本当にダメな人だと思って見限っているなら、こんなこと、しないよ」
ミチルの目から歩のことを隠したかったのではなくて、記事を集めたかっただけ。
地元のローカルなフリーペーパーの記事まで貼ってあって、なんだか泣けてきた。
「弟の今なんて知らない」という態度をとっているくせに、こんなことをしている。
歩は「駆が店に来た」という話はしなかった。
とっくに再会しているなら、わざわざミチルとユメにメダルを渡したりはしない。
「不器用よね、男の人って。ずっと今どうしているかって心配していたんだから、手紙が来た時点で会いに行けばいいのに。意地を張っちゃって」
向かいに座っていた母がクスクス笑う。
「歩さんがね、駆伯父ちゃんは金メダルとったことあるんだって言ってた。ほら、これ」
ユメはリュックからお菓子の箱を出して、メダルを見せた。
「わあ! これ、駆さんがインターハイに出た時の!」
「母さん、ひと目でわかるんだ」
「陸上部のマネージャーだったもの。その時の写真があるわよ」
母がマネージャーだったのもまた初耳だ。
父と同じ高校の出身だということくらいしか聞いたことがなかった。
母は「駆さんに内緒ね」と内緒話をするように小声で言ってから、花柄のポケットアルバムを取り出す。
そこには高校の体操着姿で走る少年時代の父が写っている。
練習の合間なのか、スポーツドリンク片手に他の部員と肩を叩き合う姿、段上でメダルを受け取る姿。
どの写真の父も、心から楽しそうに笑っている。
ミチルの記憶にある父はいつも仏頂面で、人生楽しいことなんて何もないというような、暗いオーラを纏っている。
「駆さんには、このアルバムのこと言わないで。知ったら怒っちゃうと思うから。あの頃の駆さんは走ることしか頭になくて、私の気持ちになんてちっとも気づいていないみたいだったけど。メダルをとった時もね、一秒でいいから触らせてってお願いしたのに「一番最初に見せるのは歩って決めているからダメ」って言われちゃって。だから私、このメダルを見たことはあっても、触ったことはなかったのよ」
「何それ青春! キュンキュンだよ。伯父ちゃん今こーんな顔してロボットみたいなのに。宇宙人にでも攫われて性格改造されたの? 宇宙人はUFOに人間を連れてって改造しちゃうっていう古い番組をキューチューブで見たよ」
「あはは。そうね、宇宙人に改造されたのかも。その方がまだ良かったかもしれないわね」
ユメは指でまなじりを引っ張って、わざと無愛想な顔を作ってみせる。今の仏頂面な父をロボットと言っちゃうユメはなかなか勇者だ。母は懐かしそうにアルバムの写真一枚一枚を指さして、写真を撮った時のことを話す。
顔を綻ばせ、嬉々として語る……恋する乙女の顔だ。
「これは合宿で東堂くんとアイスを賭けて競走していた時ね。三回とも東堂くんが負けて奢らされていたっけ。こっちが一年の大会で銀メダルを取った時の。楽しそうでしょう? 駆さん、この頃が一番キラキラしていたわ」
「父さん……なんでこんなに楽しそうなのに、陸上をやめちゃったのかな。メダルを取れるくらい足が早いなら、推薦で体育大学に行くとか、陸上に関係する仕事にだってつけそうなのに」
それこそ、歩が言う“地盤”だ。高校生にとっての最高の大会でメダルを取れるなら、世界大会の選手だって夢じゃなかったはず。
商店街にいた人たちの話を思い出す。
家が貧乏だから進学を諦めた人、奨学金を借りてでも進学した人。
祖父母は今でこそ年金暮らしだけれど、定年するまで商社にいた。大学の学費を現金一括払いできるくらいには稼いでいたと聞いている。
お金も才能もあったのに夢を手放したのは、どうして。
「詳しい事情を知っているのは、お義父さんとお義母さん、駆さん本人か、歩くんだけよ。ミチルが今聞ける相手は一人しかいないわね」
蛇場見の祖父母は逗子市のマンションで暮らしているから、今すぐ行って話を聞くなんてできない。それに、きっと歩の話にも繋がるから、話してくれない気がする。
祖父母は歩の名前を聞くことすら嫌がる。うちの子はただ一人、駆だけだと公言しているくらいだ。
その頃の話を聞きたくて、父が仕事から帰ってくるまで待った。
「おかえりなさい。ミチル、ユメちゃん。ちょっとお香みたいな匂いがするし……もしかして歩くんのところに行ってきたのかしら」
玄関に出てきた母が、買い物袋を受け取りながら聞いてくる。
近所のスーパーで買い物を済ませたなら、帰るのに一時間以上もかからない。
遠くまで行ってきたのはバレバレだ。
「……母さんは、歩叔父さんの店のこと知っていたの? ガイドブックのページを切り取ったのも母さん?」
「知っているわ。五年前に開店お知らせの手紙が来ていたもの。でも、本のページを切り取ったのはわたしではなくて、駆さんよ」
「父さんが?」
やっぱりミチルに教えたくなかったのかなと考えてしまう。
ちょっと待っていなさい、と言われて、ユメと二人でリビングで寛ぐ。
母は三冊のスクラップブックを持って戻ってきた。
手を伸ばし、開いてみると、ワンダーウォーカーの記事を集めたものだった。
最初のページは、五年前……オススメ新店の特集記事。
隅っこで紹介されるような小さな記事も丁寧に切り抜かれ、貼られている。
三冊目の一番新しいページは、ユメが買った雑誌のあの記事だった。
「伯父ちゃん、歩は馬鹿だって、いつも言ってたのに。ちゃんとこうして歩さんのこと、気にしていたんだね」
「……そうだね。本当にダメな人だと思って見限っているなら、こんなこと、しないよ」
ミチルの目から歩のことを隠したかったのではなくて、記事を集めたかっただけ。
地元のローカルなフリーペーパーの記事まで貼ってあって、なんだか泣けてきた。
「弟の今なんて知らない」という態度をとっているくせに、こんなことをしている。
歩は「駆が店に来た」という話はしなかった。
とっくに再会しているなら、わざわざミチルとユメにメダルを渡したりはしない。
「不器用よね、男の人って。ずっと今どうしているかって心配していたんだから、手紙が来た時点で会いに行けばいいのに。意地を張っちゃって」
向かいに座っていた母がクスクス笑う。
「歩さんがね、駆伯父ちゃんは金メダルとったことあるんだって言ってた。ほら、これ」
ユメはリュックからお菓子の箱を出して、メダルを見せた。
「わあ! これ、駆さんがインターハイに出た時の!」
「母さん、ひと目でわかるんだ」
「陸上部のマネージャーだったもの。その時の写真があるわよ」
母がマネージャーだったのもまた初耳だ。
父と同じ高校の出身だということくらいしか聞いたことがなかった。
母は「駆さんに内緒ね」と内緒話をするように小声で言ってから、花柄のポケットアルバムを取り出す。
そこには高校の体操着姿で走る少年時代の父が写っている。
練習の合間なのか、スポーツドリンク片手に他の部員と肩を叩き合う姿、段上でメダルを受け取る姿。
どの写真の父も、心から楽しそうに笑っている。
ミチルの記憶にある父はいつも仏頂面で、人生楽しいことなんて何もないというような、暗いオーラを纏っている。
「駆さんには、このアルバムのこと言わないで。知ったら怒っちゃうと思うから。あの頃の駆さんは走ることしか頭になくて、私の気持ちになんてちっとも気づいていないみたいだったけど。メダルをとった時もね、一秒でいいから触らせてってお願いしたのに「一番最初に見せるのは歩って決めているからダメ」って言われちゃって。だから私、このメダルを見たことはあっても、触ったことはなかったのよ」
「何それ青春! キュンキュンだよ。伯父ちゃん今こーんな顔してロボットみたいなのに。宇宙人にでも攫われて性格改造されたの? 宇宙人はUFOに人間を連れてって改造しちゃうっていう古い番組をキューチューブで見たよ」
「あはは。そうね、宇宙人に改造されたのかも。その方がまだ良かったかもしれないわね」
ユメは指でまなじりを引っ張って、わざと無愛想な顔を作ってみせる。今の仏頂面な父をロボットと言っちゃうユメはなかなか勇者だ。母は懐かしそうにアルバムの写真一枚一枚を指さして、写真を撮った時のことを話す。
顔を綻ばせ、嬉々として語る……恋する乙女の顔だ。
「これは合宿で東堂くんとアイスを賭けて競走していた時ね。三回とも東堂くんが負けて奢らされていたっけ。こっちが一年の大会で銀メダルを取った時の。楽しそうでしょう? 駆さん、この頃が一番キラキラしていたわ」
「父さん……なんでこんなに楽しそうなのに、陸上をやめちゃったのかな。メダルを取れるくらい足が早いなら、推薦で体育大学に行くとか、陸上に関係する仕事にだってつけそうなのに」
それこそ、歩が言う“地盤”だ。高校生にとっての最高の大会でメダルを取れるなら、世界大会の選手だって夢じゃなかったはず。
商店街にいた人たちの話を思い出す。
家が貧乏だから進学を諦めた人、奨学金を借りてでも進学した人。
祖父母は今でこそ年金暮らしだけれど、定年するまで商社にいた。大学の学費を現金一括払いできるくらいには稼いでいたと聞いている。
お金も才能もあったのに夢を手放したのは、どうして。
「詳しい事情を知っているのは、お義父さんとお義母さん、駆さん本人か、歩くんだけよ。ミチルが今聞ける相手は一人しかいないわね」
蛇場見の祖父母は逗子市のマンションで暮らしているから、今すぐ行って話を聞くなんてできない。それに、きっと歩の話にも繋がるから、話してくれない気がする。
祖父母は歩の名前を聞くことすら嫌がる。うちの子はただ一人、駆だけだと公言しているくらいだ。
その頃の話を聞きたくて、父が仕事から帰ってくるまで待った。