暗愚な名君フェリクスの軌跡

 舞踏会当日の夜。
 国内外の当主、令嬢令息が出席した。
 フェリクスは主催ホスト側なので客のひとりひとりに挨拶をする。
 親交を深めるための社交パーティーというのは名目上。本当のところはフェリクスの妻選びのために開かれた。

 フェリクスとアンネリーゼの婚約が白紙になったことは周知されているため、令嬢たちはいつもの倍以上豪奢なドレスを着ている。
 挨拶するたび、付き添っている父親が、自分の娘がいかに王妃にふさわしいか熱弁してくる。
 どの家長も言っている中身はほぼ一緒なので、婚約打診用の定型文でも出回っているのかと不安になる。

 本日八回目の「うちの娘は気品があり勉強ができて優しい。きっと貴方様の妻に相応しいですよ。幼少の頃より貴方に好意を寄せていて……」を聞かされて疲れてきたところで、アンネリーゼがラーラを同伴して現れた。
 ラーラはシンプルながらも上品な青のドレスをまとっている。
 主であるアンネリーゼよりも目立たないよう配慮されたデザインで、デザイナーの腕がうかがい知れた。

「ごきげんよう、殿下。こんなに素敵な交渉の場を用意してくださって感謝いたします」
「リゼは結婚活動の場と思っていないね」
「もちろんです。領主の娘たるもの常に販路拡大の機会を探すものです」

 多くの人は舞踏会を結婚相手探しの場にしているが、アンネリーゼにとっては商談の場。領地の特産物を重用してくれる相手を探しに来ている。フェリクスの後ろでは、カイが笑いをこらえている。

「ラーラもようこそ。ドレス姿が似合っているね。とても綺麗だ」
「あ、ありがとうございます、フェリクス様」

 公の場での挨拶もきちんと学んできていて、スカートをつまんでお辞儀をする。

「あ、あの、フェリクス様……」

 ラーラがなにか言おうとしたけれど、公爵が娘を連れて挨拶に来た。

「ごきげんよう、フェリクス殿下。元婚約者・・・・のバルテル嬢もご一緒でしたか。わたしも殿下に挨拶したいのだが、構わんな?」

 いちいち元婚約者なんて言葉を付けなくてもいいだろうに。

「ごきげんよう、カスパル公。フリーダ様もお久しゅうございます。……ちょうどよかった。紹介しておきますわね。この子はラーラ。わたくしの専属で雇った通訳ですの。今後、公の場でまみえる機会が増えるでしょう」

 アンネリーゼは嫌味をサラリと受け流す。ラーラも静かにお辞儀をする。

「通訳ですか。ワタクシとそう年が変わらないように見えますわね。社交界でお見かけしたことがありませんが、どちらからいらしたのです?」
「港町の宿屋で働いていた子です。他国との商談に必要な才を持った人材なので、うちに来てもらったのです」

 それを聞いたフリーダは、扇で口元を隠しながら笑った。

「下働きの平民が伯爵家の通訳なんて、ずいぶんと出世したのね」と、ヴァレンティノ語でつぶやく。
 アンネリーゼはヴァレンティノ語を習っていない。あえて相手が知らない言語で毒を吐くなんて、あまりいい性格ではない。

 アンネリーゼは表情を変えず、ラーラに問いかける。

「ラーラ、今のを一言一句違わずに訳して」
「『下働きの平民が伯爵家の通訳なんて、ずいぶんと出世したのね』と仰っていました」

 勝ち誇っていたフリーダの笑みが凍った。

「無礼ですわ。ワタクシそのようなこと言っておりません。嘘を訳して伝えるなんて」
「ラーラはきちんと訳したよ。確かにフリーダ嬢はそのように言っていた。さすがラーラ、普段から多くの言葉を話しているだけはある」

 フェリクスが横から口添えすると、気まずくなったのか、父親ともどもお辞儀だけして立ち去った。
 
「わたくし、ラーラを雇ってよかったと心から思いました」
「宿の仕事をしているときは、酔ったお客様をなだめることもままありましたから、これくらいは慣れています」

 ラーラは頼もしくも微笑んだ。
 二人とだけ話しているわけにもいかず、名残惜しいがフェリクスは挨拶回りに戻る。


 会場にはルベルタのハインリッヒ辺境伯も来ていた。
 ハインリッヒはイズティハルとルベルタの国境を治めていて、イズティハルの友好都市でもある。

「お招きありがとうございます、フェリクス様」
「ごきげんよう、ハインリッヒ殿。そちらが娘さんですか。いらっしゃるのは初めてですね」

 娘は内気であまり公の場を好まないと、過去に辺境伯が言っていた。
 薄茶色のロングヘアを左右に三つ編みにしていて、大人しそうな雰囲気がある。
 令嬢は一礼をしてフェリクスに挨拶をする。

「お初にお目にかかります、フェリクス様。ダニエラ・ハインリッヒと申します。お父様から、とても真っ直ぐな方だとうかがっておりました。聞いていたとおりです。先程、通訳のお嬢さんを庇っておられたでしょう。私、感動しました」
「自分が正しいと思ったことをしたまでです」
「あなたなら良き王になれると思います。私も父の後を継いだら領地の運営をがんばりますので、どうぞ今後とも友好関係を続けてくださいませ」
「こちらこそ」

 ひととおりの挨拶を済ませたところで、父マクシミリアンが開会の挨拶をして、舞踏会が始まった。

 グーテンベルクでは、最低でも一曲踊るのが暗黙のルール。
 誘ってもらおうとフェリクスに視線を投げてくる令嬢が数名いるが、フェリクスはまっすぐにラーラのもとへ向かった。

「踊っていただけますか?」 
「喜んで」

 フェリクスの差しのべた手に、ラーラはそっと手を乗せる。
 なぜ令嬢を差し置いて側仕えを、という声がかすかに聞こえる。
 お互い納得して婚約解消したのだから、とやかく言われる筋合いはない。
 アンネリーゼはフェリクスの側にいるカイにちらりと視線を送り、意図を悟ったカイがアンネリーゼにお辞儀をする。

「美しいお嬢様。ぜひわたしと一曲」
「ぜひ、よろしくお願いします」

 アンネリーゼはカイの手を取る。
 ざわめきが大きくなる中、フェリクスは会場を見渡す。

「お集まりの皆様、今宵は身分など関係なく踊りましょう」

 フェリクスはずっと、貴族の固定観念を壊すきっかけがほしかった。
 家格が上だとか下だとか、わずらわしい。才能があるのに、家格が低いからという理由で下士官にされる。
 今だけは、誰もが対等にいられる場であってほしい。

 曲が始まる。フェリクスはラーラの右手を取り、背に手を回す。
 最初に練習した日から見違えるくらいに上達していて、これが社交界デビューとは思えないほどだ。

「練習がんばったんだね、ラーラ。すごくうまくて踊りやすい」
「貴方が、ダンスは楽しむのが一番大事だと教えてくれたからです」

 ラーラは頬を染めながら答える。
 ワルツが終わり、手を繋いだまま、ラーラは言葉を紡ぐ。

「私、考えました。平民のでも、ここに立っていいのかどうか。……考えて考えて、昨夜は眠れなかった」

 深呼吸して、フェリクスの瞳を見上げる。

「フィーさんの側に、いさせてください。同じ世界を見ていたい。そのままの私を知っていて、それでも側にと願ってくれる人は、貴方だけです」
「……ありがとう、ラーラ」

 自分は今、とてもしまりない顔をしていることだろう。
 ダンスを教えたときですら、アンネリーゼとカイに指摘されたくらいだ。

「なにがあっても、僕が君の盾になるから」
「フィーさんに守られるだけではだけです。たくさん勉強して、私も貴方を守れるくらいに強くなります」

 守られるだけでいたくないと、ラーラはフェリクスの手を両手で包む。
 この人を好きになってよかったと、フェリクスは心から思った。


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