暗愚な名君フェリクスの軌跡

「あら。わたくし話していませんでしたっけ。見ての通りラーラを雇いました。今度の舞踏会にも一緒に行ってもらうので、ダンスの講師をしてくださいません? 貴方なら顔見知りですし、ラーラも緊張せずに習えるでしょう」
「何も聞いていなかったよ。びっくりしすぎて心臓が止まるかと思った」

 思わぬ再会に、フェリクスは喜びを隠せない。
 犬だったら尻尾がちぎれんばかりに振り回していただろう。
 最近は公務で忙しくしていたから、ラーラに会えただけで幸福感でいっぱいになる。

「僕で良かったら基礎を教えるよ。よろしくね、ラーラ」
「よ、よろしくお願いします。フィーさん。私、ダンスを見たこともない初心者なんですが大丈夫なんでしょうか」

 ラーラは緊張しすぎて小刻みに震えている。

「心配なら、お手本を見せよう。なにも見ないでいきなり型だけ教えても、イメージがわかないだろうし。カイ、リゼ。頼めるかな」
「え、俺!? 五年前に習ったっきりですよ」
「リゼと踊るならカイしかいないだろう」

 いきなり指名されてカイが肩をびくりとはねさせた。
 フェリクスの護衛になるにあたり、カイもまた礼儀作法やダンスを叩き込まれている。なので最低限ワルツやクイックステップを踊れる。ただ、フェリクスの護衛として夜会に出ても誘われることがないから、お披露目する機会がなかった。

「あら嬉しいですわ。わたくし、ラーラの良き手本となれるようにがんばりますわ。さあ、カイ、踊りましょう。一度体が覚えてしまえば、空白期間があっても少し踊ればカンを取り戻せるというものです」
「アンネリーゼ様がそう仰るなら俺、全力で思い出します!!」

 堂々とカイと踊る機会を得てやる気満々のアンネリーゼ。嬉しいのが顔に出てしまっているカイ。
 
 フェリクスの手拍子に合わせてステップを踏む。
 練習であっても、ダンスを見ること自体が初めてのラーラは、目を輝かせた。

「すごい。すごいです。当日はとても多くの方がこうして踊るのですね」
「ラーラもすぐに踊れるようになる」

 フェリクスは女性側のステップを、ラーラが見やすいようにゆっくりと再現する。

「リズムは三拍子。一・二・三、一・二・三。一で大きく踏み込んで……」
「こうですか?」
「そうそう。足元を気にしすぎると姿勢が不安定になるから気をつけて」
「はい」

 たどたどしいながらもステップが安定してきたところで、提案する。

「ラーラ。一度組んで踊ってみようか」
「ええええっ、ま、まだ自信が。足を踏んでしまうかもしれませんし」
「大丈夫。ラーラになら踏まれてもいい」
「フィー。その発言は誤解を招きますわ」
「え?」

 アンネリーゼにつっこまれ、フェリクスは首を傾げる。
 やり取りを見ていたラーラが笑い出す。

「リゼ様から姉弟のようなものと伺っていましたが、本当に、仲がいいんですね」
「そうだね。姉がいたらきっとこんな感じだと思う」

 王族であるがゆえ、両親と祖母以外にフェリクスと対等に話をしてくれる人はいない。
 意見すれば、自分の首が飛ぶかもしれないから、思うところがあっても影で言うだけ。

 だから、なんでも率直に指摘してくれるアンネリーゼは貴重な存在だ。
 アンネリーゼに注意されて行動を改めることもある。

「まあ、とにかく。舞踏会ってね、踊りなれた人でも割とよく足を踏むから、気にせずダンスを楽しんでくれればいいよ。誘うとき、誘われるとき、断り方のマナーも説明しておこうか」

 フェリクスは手袋をした右手のひらを差し出す。

「踊っていただけますか、お嬢様」
「お、お嬢様って……」

 ラーラはこんなふうに、お嬢様、と呼ばれたことがないのかもしれない。
 フェリクスに取っては日常の一つだが、ラーラはダンスのお誘いすら初体験。
 真っ赤になってうろたえている。

「ダンスに誘われたら「お受けします」もしくは、「よろしくお願いします」と答えて手を乗せる。断るときには、相手に失礼のないよう「疲れているので、また後で踊りましょう」と答えればいい」
「は、はい」
「一曲終わったら、「ありがとうございました」と挨拶する」

 ラーラはつばを飲み、手を伸ばしかけて引っ込めた。

「あ、あの、えと、私の手、フィーさんが普段踊っている令嬢のようにきれいではないので、その…………」
「それを言ったら、僕だってほら、タコだらけであんまりきれいではないよ。ほら」

 手袋をとって見せる。
 王になるなら勉学だけでなく剣術も一流であれと言われ、七歳になる頃から剣の師もつけられていた。
 フェリクスを亡き者にして自分が王になる……と望むものはゼロではない。
 服の下には、傷痕が残っている。
 
「だから気にしなくていいよ。ほら、踊ろう。ダンスで一番大事なのは楽しむことなんだ」

 アンネリーゼが侍女に頼み、バイオリンを用意した。

「ではわたくし、舞踏会の定番曲を弾きますわ」

 ラーラが意を決してフェリクスの手に自分の手を重ねる。

「真っ直ぐ立って。僕の肩に左手を乗せて、右手は僕の右手を取って。そう。上手だよ。ラーラは立ち仕事をしていたから姿勢がいいし、向いているね」
「は、はい。ありがとうございます」

 フェリクスはラーラの右手を取り、もう片方の手をラーラの背にまわす。

「僕が支えるから、怖がらないで思い切り動いてみて。さっきリゼがしていたみたいに」

 顔を赤らめながら、ラーラはバイオリンの曲に合わせて踏み出す。
 最初は恐る恐る、曲の後半になる頃には、笑顔もでてきた。

「これが、社交ダンス。こんなに楽しいものだったんですね。こんなに身近にも、知らないことがたくさん……」
「うん。知らないことを知るって、ワクワクするよね」

 ダンスを心から楽しいと思ってくれているのが、ラーラの表情から伝わってくる。
 フェリクスも、ラーラが笑ってくれるのが嬉しくて、自然と顔の筋肉が緩む。
 曲が終わり、ラーラは息を上がらせながらお辞儀する。

「ありがとうございます、フィーさん」
「こちらこそ、ありがとう、ラーラ。最近ずっと書類の処理ばかりしていたから、いい息抜きになったよ」
「あ、すみません。ダンス講師の他にもお仕事がありますよね。お忙しいのにお時間いただいてしまって」


 この様子だと、ラーラはフェリクスの正体をまだ知らされていない。
 アンネリーゼは、あえてバラさずにいてくれたようだ。
 心の中で幼馴染みにお礼を言って、ラーラの手を離す。

「うん。僕は仕事があるから、あまり来ることができないんだ。だから、侍女か執事に練習に付き合ってもらうといいよ。できるかぎり仕事の都合をつけて来るから」
「あ、ありがとうございます、フィーさん」


 ダンス講師という名の逢瀬が終わり、厩舎に預けていた馬を取りに行くと、アンネリーゼが見送りに来た。

「フェリ。ダンス講師の他に、もう一つ頼まれてくれません?」
「自国の王子にここまであれこれ私用を頼む人ってリゼくらいじゃない?」
「なら、ラーラの文字練習のために文通をしてほしいというお願いは、他の方に頼んだほうがいいのかしら。講師は叔父様がしてくださるのですけど、書く機会があったほうがより身につくでしょう? でもそうね、フェリが嫌だと言うなら文通は従兄に頼みましょうか。彼は未婚ですし、妙齢の女性と文をやり取りしてと頼めば嫁候補として…………」
「僕が引き受けるよ」

 アンネリーゼが言い終わる前に、食い気味に答えた。
 文字の練習という名目で、ラーラが若い男性と手紙のやり取りをするなんて絶対嫌だ。
 フェリクスの気持ちをわかっていてこういう振りをしてきているから、たちが悪い。

「あーあ、フェリクス様ってばわかりやすいんだから。城にいるときと比べ物にならないくらいにニコニコしちゃって。俺、ダンスを見ていて笑いそうでしたよ。あれじゃラーラには好意がダダ漏れだったんじゃないですか」
「わたくしもそう思いますわ。あんなに幸せそうな顔をするフェリを見たことありませんもの」
「僕、そんな顔してたの!?」

 言われて、慌てて自分の頬に触れる。
 傍から見てわかるくらい好意ダダ漏れの顔をしていたなんて、自覚がなかった。

「……いつ頃、自分の立場を伝えるつもりなのです? 貴方は王子なのだから、ラーラにもそれなりの覚悟が必要になります」

 舞踏会で王子として挨拶するフェリクスを見て知るなんて、ラーラが一番ショックを受けるタイミングだろう。
 手紙で教えるなんてもってのほか。

「次に会いに来たら、話そうと思う」

 フェリクスが王子だと知ったら、ラーラはフェリクスと距離を取ってしまうだろうか。
 使用人たちのように、一歩引いた態度を取られるようになってしまったら悲しい。
 平民と王族では身分が違いすぎるから、恋愛対象にはできないと言われたら泣いてしまいそうだ。

「貴方が何を心配しているかわかります。でも、きっと大丈夫よ。だってわたくしとだって、ちゃんと向き合って話をしてくれるのですもの」
「そうかな」
「そうですよフェリクス様。先日陛下と話したときのように、自分の気持ちを素直に伝えればいいんです」

 カイにも言われて、少し気持ちが上向いた。
 頭の中で今割り振られている公務のスケジュールを組み立て、ラーラに会いに来る時間をどこで捻出できるか考える。

「日が決まったらラーラ宛に手紙を送る」
「それがいいですわ」

 次に会うときは、きっと自分の立場と気持ちを伝えよう。



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