暗愚な名君フェリクスの軌跡
ラーラが答えを出すまでの十日の間に、フェリクスとアンネリーゼは婚約解消にむけて動いていた。
まず、国が定める形式に則って婚約解消の書面を作成した。
フェリクス、アンネリーゼそれぞれのサインをしている。
二人揃って、その書面を執務室にいる父王マクシミリアンに突きつけた。
アンネリーゼの父ラルフも、王の側仕えなのでこの場にいる。
「父上。今日こそは、僕とアンネリーゼの婚約を解消していただきます」
「陛下、お父様。これは照れでも反抗期でもありません。わたくしたち、伴侶になるつもりはありません」
積まれた書類に目を通していたマクシミリアンは、書面とフェリクスを交互に見た。
「まだそんな馬鹿なことを言っているのか、フェリクス。これまでの答えと同じ、婚約破棄するなんて許さん。アンネリーゼはラルフの娘で、伯爵家の血を引いているんだ。アンネリーゼが婚約者で何が不満感なんだ」
マクシミリアンの返答は、これまでと何も変わらない。
「僕とリゼが言葉を話せるようになる前に、父上たちの一存で決めてしまったものです。僕たちの心はそこに反映されていない。自らの意志を言葉にできる年齢の今、婚約を白紙にしてくれと頼んでいるのです。不満があるとするなら、父上が僕たちの言葉を真剣に聞いてくださらないことです」
十三歳のときから幾度となく、婚約を白紙にしたいと話してきた。
この五年、マクシミリアンは、一度も真剣に取りあってくれない。
聞き分けのない幼子を諭すような目で、フェリクスとアンネリーゼを見ている。
十八年の間に積もったやるせなさを、フェリクスは吐き出す。
「目の前にいる我が子 の気持ちを蔑ろにする貴方が、目の届かないところで暮らす国民たちの願いを聞き届けられますか。こんなに近くにいるのに、僕の声は一度も父上に届いていない。同じ国の言葉で話しているのに、全然、届かない」
フェリクスの気持ちを見ないふりして、勝手な理想を押し付けられるのは辛い。
もどかしくて、悲しくて、フェリクスは感情を顕にする。
気丈に振る舞おうと決めていたのに、声が震えた。
カイが気遣わしげにフェリクスを見る。
目の前の息子と対話できないのに、国民の声が聞けるのか。
積年の怒りを詰め込んだ言葉を叩きつけられて、マクシミリアンは呻く。
「なんと愚かな。婚約破棄されればアンネリーゼの経歴に傷がつくだろう。可哀想だとは思わないのか」
「婚約破棄になることが可哀想だと思うのなら、はじめから僕と婚約を決めなければよかったのです」
「妻たちも楽しみにしていたのに、悲しませる。両家が不仲になろう。お前はそれをわかっているのか。自分のわがままで親の友情を壊すんだ」
この期に及んで同情で落とそうとしてくるマクシミリアン。フェリクスが怒る原因がそこにあると、本当の意味では理解しきれていない。
長年の約束が、友情が、夢が。
「それで壊れるなら、父上の言う古き仲はその程度の脆さということです。それに、僕とリゼが望んでいるのは婚約を解消することだけ。友人であることはやめません。リゼのことは、姉のように思っていますゆえ」
これも、何度も伝えてきたこと。
アンネリーゼのことが嫌いだから婚約を解消するのではない。
お互い伴侶にしたい人がいるから、白紙にしたいと望んでいる。
アンネリーゼもフェリクスに続く。
「わたくしもフェリと同じ気持ちです。わたくしにはわたくしの意志があります。フェリの友ではあれど、夫婦にはなれません。お父様たちのいう友情とは、互いの子どもたちが結婚しないと壊れるものなのですか。その夢は、わたくしの気持ちを踏みにじってまで守るものなのですか」
ラルフは唇を噛み、黙りこくる。
自分たちが長年見てきた、「我が子達が結婚したら親戚だな」という夢を壊したのは、他ならぬ自分たち。
せめて二人が分別つく年齢になってから、「幼馴染みで結婚するのはどうだ?」と持ちかけていたら結果は違ったかもしれない。
「……フェリクス。アンネリーゼとの婚約を解消したところで、お前は唯一の王位継承者。結婚と、世継ぎを作る責務からは逃れられない。それはわかっていよう」
「ええ。僕の望みは、意志に反した婚約を白紙にすることだけ。王子として成さねばならないことは承知しています。伴侶を自分の意志で選ばせてもらえるなら、それだけで充分です」
マクシミリアンは、ついに折れた。
愚かだ愚かだと侮っていた息子が、ここまで我を通す日が来ようとは。
友との約束に固執して、子どもたちがひどく傷ついているのを真剣に聞かなかった。
だからこんなふうに、婚約解消の書類まで書かせてしまったのだ。
「お父様も、良いですわね? 騎士たるもの、約束を違えてはなりませんわ。わたくしの気持ちを無視してどこかの嫡男を新たな婚約者に……なんて世迷い言を言い出すようなら、親子の縁を切る所存です」
「縁切りって……。何もそこまでしなくてもいいだろう、リゼ。わたしはお前のためを思って婚約を決めていたのに」
「お父様の決めたことは、何一つ、ひとかけらも、わたくしのためになっていませんわ。世の女のすべてが、王妃になることを望むなんて思ったら大間違いでしてよ。わたくしが望まぬ婚約話を持ってきたら、また話し合うことになりますわね。エマにお願いして、今度から護身術も学ぶことにしましたの」
シュシュシュ、と固めた拳で素振りをするアンネリーゼ。
言わんとするところは、【また婚約を勝手に決めるなら、拳で語る】
非武装の女性に手を上げるのは騎士の誓いに反する。ましてや、娘に力を振りかざすなどできるはずもない。
ラルフもついに婚約解消に同意した。
アンネリーゼと別れて自室に戻り、フェリクスは両手をふり上げて叫ぶ。
「ああ、ついに、ついにやったぞ! これで僕たちは自由だ!」
「おめでとうございます、フェリクス様。目標に近づきましたね」
カイも小さく拍手で祝福する。
「応援してくれてありがとう、カイ。父上たちが怪しむからすぐには無理だろうが、機を見てリゼをお茶に誘うといい。カイに大してならああいう真似をしないと思うから」
アンネリーゼが拳を振り回しラルフを殴り倒さんばかりだったのを思い出して、フェリクスは大笑いする。
「拳で我が道を切り開くって、良家のお嬢様らしくなくて格好いいですよね。俺、サッパリした気風がいい人が好きなんです」
カイは、アンネリーゼの少々お転婆がすぎるところ、良い捉え方をすれば自分の意志を貫く姿勢に惚れ込んでいる。
それでいて淑やかそうな容姿なのだから、惚れないわけがなかった。
「相性ってほんとうにあるよね。リゼの手綱を掴んでいなせるのはカイくらいだと思う」
「フェリクス様って、アンネリーゼ様のこと暴れ馬か何かだと思っています?」
「さすがに、今は馬とは思ってないよ」
「今はってことは、そう思っていた時期があるんですねぇ」
幼少期、アンネリーゼは木剣を持ち「わたくし大人になったら騎士になりますわ!」と息巻いてフェリクスを引っ張り回していた。
五年前にフェリクスの護衛になったカイが知る由もない。
それを知っても、カイは「可愛いなぁ」と言いそうなので、フェリクスは笑う。
「今度リゼに聞いてみなよ。子どもの頃の事。お互いを知るのって嬉しいから」
「はい」
フェリクスとアンネリーゼが婚約解消で喜んでいたのと同時刻。
マクシミリアンは妻イザベラに詰められていた。
楽しみにしていたフェリクスとアンネリーゼの婚約が無しになったから、機嫌が悪い。
「そう怒らないでおくれ。夜会を催して、フェリクスには一日も早く次の婚約者を探してもらおう。国内外の貴族を招いて」
「……仕方ありませんね。一度白紙になったのに私たちが無理を言って結婚させたら、外聞が悪いですし」
貴族社会において、一度でも離婚や婚約破棄の経歴があると、次の婚約も決まりにくい。
ましてや婚約破棄した相手とよりを戻させたなんて、内情を知らない者には恥ずかしい行為にしか映らない。
けれどフェリクスは王子。
王妃の座を望む令嬢は星の数ほどいる。選び放題だ。
次こそはフェリクスが納得する素晴らしい女性を見つけてあげようという親心で、イザベラは諸国の、未婚の娘がいる貴族に招待状を出すことにした。
きっといい縁が結べるはずと信じて。
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フェリクス、アンネリーゼそれぞれのサインをしている。
二人揃って、その書面を執務室にいる父王マクシミリアンに突きつけた。
アンネリーゼの父ラルフも、王の側仕えなのでこの場にいる。
「父上。今日こそは、僕とアンネリーゼの婚約を解消していただきます」
「陛下、お父様。これは照れでも反抗期でもありません。わたくしたち、伴侶になるつもりはありません」
積まれた書類に目を通していたマクシミリアンは、書面とフェリクスを交互に見た。
「まだそんな馬鹿なことを言っているのか、フェリクス。これまでの答えと同じ、婚約破棄するなんて許さん。アンネリーゼはラルフの娘で、伯爵家の血を引いているんだ。アンネリーゼが婚約者で何が不満感なんだ」
マクシミリアンの返答は、これまでと何も変わらない。
「僕とリゼが言葉を話せるようになる前に、父上たちの一存で決めてしまったものです。僕たちの心はそこに反映されていない。自らの意志を言葉にできる年齢の今、婚約を白紙にしてくれと頼んでいるのです。不満があるとするなら、父上が僕たちの言葉を真剣に聞いてくださらないことです」
十三歳のときから幾度となく、婚約を白紙にしたいと話してきた。
この五年、マクシミリアンは、一度も真剣に取りあってくれない。
聞き分けのない幼子を諭すような目で、フェリクスとアンネリーゼを見ている。
十八年の間に積もったやるせなさを、フェリクスは吐き出す。
「目の前にいる
フェリクスの気持ちを見ないふりして、勝手な理想を押し付けられるのは辛い。
もどかしくて、悲しくて、フェリクスは感情を顕にする。
気丈に振る舞おうと決めていたのに、声が震えた。
カイが気遣わしげにフェリクスを見る。
目の前の息子と対話できないのに、国民の声が聞けるのか。
積年の怒りを詰め込んだ言葉を叩きつけられて、マクシミリアンは呻く。
「なんと愚かな。婚約破棄されればアンネリーゼの経歴に傷がつくだろう。可哀想だとは思わないのか」
「婚約破棄になることが可哀想だと思うのなら、はじめから僕と婚約を決めなければよかったのです」
「妻たちも楽しみにしていたのに、悲しませる。両家が不仲になろう。お前はそれをわかっているのか。自分のわがままで親の友情を壊すんだ」
この期に及んで同情で落とそうとしてくるマクシミリアン。フェリクスが怒る原因がそこにあると、本当の意味では理解しきれていない。
長年の約束が、友情が、夢が。
「それで壊れるなら、父上の言う古き仲はその程度の脆さということです。それに、僕とリゼが望んでいるのは婚約を解消することだけ。友人であることはやめません。リゼのことは、姉のように思っていますゆえ」
これも、何度も伝えてきたこと。
アンネリーゼのことが嫌いだから婚約を解消するのではない。
お互い伴侶にしたい人がいるから、白紙にしたいと望んでいる。
アンネリーゼもフェリクスに続く。
「わたくしもフェリと同じ気持ちです。わたくしにはわたくしの意志があります。フェリの友ではあれど、夫婦にはなれません。お父様たちのいう友情とは、互いの子どもたちが結婚しないと壊れるものなのですか。その夢は、わたくしの気持ちを踏みにじってまで守るものなのですか」
ラルフは唇を噛み、黙りこくる。
自分たちが長年見てきた、「我が子達が結婚したら親戚だな」という夢を壊したのは、他ならぬ自分たち。
せめて二人が分別つく年齢になってから、「幼馴染みで結婚するのはどうだ?」と持ちかけていたら結果は違ったかもしれない。
「……フェリクス。アンネリーゼとの婚約を解消したところで、お前は唯一の王位継承者。結婚と、世継ぎを作る責務からは逃れられない。それはわかっていよう」
「ええ。僕の望みは、意志に反した婚約を白紙にすることだけ。王子として成さねばならないことは承知しています。伴侶を自分の意志で選ばせてもらえるなら、それだけで充分です」
マクシミリアンは、ついに折れた。
愚かだ愚かだと侮っていた息子が、ここまで我を通す日が来ようとは。
友との約束に固執して、子どもたちがひどく傷ついているのを真剣に聞かなかった。
だからこんなふうに、婚約解消の書類まで書かせてしまったのだ。
「お父様も、良いですわね? 騎士たるもの、約束を違えてはなりませんわ。わたくしの気持ちを無視してどこかの嫡男を新たな婚約者に……なんて世迷い言を言い出すようなら、親子の縁を切る所存です」
「縁切りって……。何もそこまでしなくてもいいだろう、リゼ。わたしはお前のためを思って婚約を決めていたのに」
「お父様の決めたことは、何一つ、ひとかけらも、わたくしのためになっていませんわ。世の女のすべてが、王妃になることを望むなんて思ったら大間違いでしてよ。わたくしが望まぬ婚約話を持ってきたら、また話し合うことになりますわね。エマにお願いして、今度から護身術も学ぶことにしましたの」
シュシュシュ、と固めた拳で素振りをするアンネリーゼ。
言わんとするところは、【また婚約を勝手に決めるなら、拳で語る】
非武装の女性に手を上げるのは騎士の誓いに反する。ましてや、娘に力を振りかざすなどできるはずもない。
ラルフもついに婚約解消に同意した。
アンネリーゼと別れて自室に戻り、フェリクスは両手をふり上げて叫ぶ。
「ああ、ついに、ついにやったぞ! これで僕たちは自由だ!」
「おめでとうございます、フェリクス様。目標に近づきましたね」
カイも小さく拍手で祝福する。
「応援してくれてありがとう、カイ。父上たちが怪しむからすぐには無理だろうが、機を見てリゼをお茶に誘うといい。カイに大してならああいう真似をしないと思うから」
アンネリーゼが拳を振り回しラルフを殴り倒さんばかりだったのを思い出して、フェリクスは大笑いする。
「拳で我が道を切り開くって、良家のお嬢様らしくなくて格好いいですよね。俺、サッパリした気風がいい人が好きなんです」
カイは、アンネリーゼの少々お転婆がすぎるところ、良い捉え方をすれば自分の意志を貫く姿勢に惚れ込んでいる。
それでいて淑やかそうな容姿なのだから、惚れないわけがなかった。
「相性ってほんとうにあるよね。リゼの手綱を掴んでいなせるのはカイくらいだと思う」
「フェリクス様って、アンネリーゼ様のこと暴れ馬か何かだと思っています?」
「さすがに、今は馬とは思ってないよ」
「今はってことは、そう思っていた時期があるんですねぇ」
幼少期、アンネリーゼは木剣を持ち「わたくし大人になったら騎士になりますわ!」と息巻いてフェリクスを引っ張り回していた。
五年前にフェリクスの護衛になったカイが知る由もない。
それを知っても、カイは「可愛いなぁ」と言いそうなので、フェリクスは笑う。
「今度リゼに聞いてみなよ。子どもの頃の事。お互いを知るのって嬉しいから」
「はい」
フェリクスとアンネリーゼが婚約解消で喜んでいたのと同時刻。
マクシミリアンは妻イザベラに詰められていた。
楽しみにしていたフェリクスとアンネリーゼの婚約が無しになったから、機嫌が悪い。
「そう怒らないでおくれ。夜会を催して、フェリクスには一日も早く次の婚約者を探してもらおう。国内外の貴族を招いて」
「……仕方ありませんね。一度白紙になったのに私たちが無理を言って結婚させたら、外聞が悪いですし」
貴族社会において、一度でも離婚や婚約破棄の経歴があると、次の婚約も決まりにくい。
ましてや婚約破棄した相手とよりを戻させたなんて、内情を知らない者には恥ずかしい行為にしか映らない。
けれどフェリクスは王子。
王妃の座を望む令嬢は星の数ほどいる。選び放題だ。
次こそはフェリクスが納得する素晴らしい女性を見つけてあげようという親心で、イザベラは諸国の、未婚の娘がいる貴族に招待状を出すことにした。
きっといい縁が結べるはずと信じて。
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