暗愚な名君フェリクスの軌跡

 フェリクスの話を聞き終えたアンネリーゼは、ほっと息を吐いた。

「貴方が見た目で人を選ぶような人間でなくてよかったです。わたくしと婚約解消したあとに来る女性を、一目惚れだの顔が良いだの、上っ面の理由で選んでいたら殴り飛ばしていましてよ」
「穏やかじゃないね、リゼ。拳は扉をノックするためのもの。人を殴るために使ってはいけないよ」

 フェリクスは殴られてもいない頬が痛くなったような気がして、両手で頬をおさえる。

「フェリは一国の王になるのですよ。慣例なら貴族か他国の姫から選ぶところを平民から選ぶのです。ファジュル陛下が仰る通り、平民では後ろ盾が何もない。貴族の皆さまを納得させるのにとても骨が折れます」

 アンネリーゼは、この先必ずぶつかるであろう問題を指摘する。
 

「これまでですら、「伯爵の娘より公爵であるうちの娘を王妃に……」とこっそり進言しに来る不届き者がいたでしょう? それが平民にすげ替えられてみなさい。爵位のある者たちがこぞって押し寄せますわよ。平民なぞがそこに立てるなら、我が娘でもいいだろう? と」
「うぐ……」

 アンネリーゼに言う必要はないと思って口にしなかっただけで、実際、そのようなことを耳打ちしてくる公爵がいた。

 うちの娘はバルテルより王家に貢献できますぞ、と。そのバルテル伯爵の前ではいい公爵を演じながら裏でそんなことを言うのだから、フェリクスは人間不信になりそうだった。

 貴族は見た目こそきらびやかだが、その内面は陰謀と策略がうずまいている。

「国内の令嬢たちは、あわよくばリゼを出し抜こうと、虎視眈々と機会を狙い爪をといでいる。悪意はよくわかるよ」

 
 悲痛そうな顔を作った公爵令嬢が「あまり言いたくはないのですが」と前おいて、捏造したアンネリーゼの非行を教えにくる。
 夜会で果実酒をかけてきてドレスを汚されたとか、容姿を馬鹿にされたとか。
 本人に確認せずとも嘘だとわかる内容ばかりだ。

 フェリクスは、アンネリーゼと一緒に育った幼馴染みだ。
 社交会デビューしてから初めて交流を持ったような浅い関係の令嬢たちより、よほどアンネリーゼ・バルテルという人間の本質を知っている。

 アンネリーゼは淑やかそうな顔に反して熱血。
 貴族としての礼節や立ち振舞いを学んでも、性格そのものは変わらない。
 
「いいかい。嘘をつくならもう少し、リゼがやりそうなものを考えたほうがいい。リゼはそういう陰湿な真似を一番嫌うんだ。そして父が騎士だから武術もたしなんでいる。君が僕に話したことが嘘ならば、リゼに殴り飛ばされる覚悟をしたほうがいい。真実なら、君に謝罪するよう伝えるよ」と、せめてもの情けで教えた。

 フェリクスの冗談を本気にしたのか、その公爵令嬢と父親は密告《・・》後の夜会を欠席した。密告の内容が嘘だったと認めたようなものだ。

 思い出して笑いがこみ上げ、フェリクスは口元を手で隠す。

 
「リゼがわざと酒をかけるなんてくだらないことをするわけがないのにね? カイもそう思うだろう」
「フェリクス様は本当に、アンネリーゼ様への理解が深いですね」

 相手を理解していることと、恋愛面で相性がいいかは別の問題とはフェリクスの談。
 カイは二人の信頼関係が羨ましくもあり、悔しくもある。
 フェリクスが専属護衛として引っ張り上げなければ、アンネリーゼと言葉を交わすことも、すれ違うこともない人生だったのだから。


「カイとエマはどう思います? ラーラさんの語学力と人柄がいいのはわかりましたが、陛下やお父様を納得させるには決定打に欠けるでしょう。いい手はあるかしら」 

 話をふられ、カイとエマは顔を見合わせる。
 エマは言いにくそうにしながら答える。

「色々と言われるのは確かです。王子でなくとも、貴人が平民を妻に迎えようとすれば周囲の目は厳しいものになるでしょう。いきなり連れていけば反発する人が多い」

 カイもエマの懸念事項に同意する。

「あー。俺も言われましたよ。皆さまいいお育ちなのに、「平民ごときが騎士を差し置いてフェリクス様の側に仕えるなんておこがましい。辞退して私に譲れ」って。あまりに言われるから、一言一句覚えちまいましたよ」
「そういう凝り固まった意識の人には傍にいてほしくないし、命を預けたくない」

 フェリクスの意見は王族としてかなり異質だ。

 建国以来の慣例で、王族の護衛は騎士の中から選ばれてきた。
 騎士は基本、貴族の血筋の者。上官に当たる。
 対する兵士は平民。

 分不相応にも王子の専属として抜擢されたカイに嫉妬して、決闘を挑んできた人数は両手の指の数では足りない。

「決闘を挑まれても実力で黙らせちまいますけどね。平民だから騎士より弱いなんて侮られたら、街の自警団は立つ瀬がないです」

 街角の些細な荒事の一つ一つに、王都の騎士が駆けつけたりはしない。
 防犯はできる限りその地の人間がする。
 それが自警団だ。
 カイは王都の兵になるまではヒンメルの自警団に所属していた。基礎ができているところに兵団で専門の訓練を受け、腕に磨きがかかった。

「頼もしいね。カイがいてくれたらこれからも安泰だ」
「はいはい。主様に信頼されて涙が出ますよ。……もしもフェリクス様が本気でラーラとの結婚を望むなら、まわりにラーラの実力を認めさせなければなりません。貴族だけでなく、国民にも。茨の道ですよ」
「ああ。陛下にも言われたからね。ラーラは後ろ盾を持たないから、守らなければならない」


 現状、婚約者がいるフェリクスが他の女性に求婚したら、ただの阿呆だ。
 ラーラも婚約者がいる男を誘惑した悪女と謗《そし》られることになる。
 それは避けたい。

 そして、フェリクスは一度もラーラに想いを伝えていない。
 想いを伝えたとして、ラーラがフェリクスの求婚を受け入れてくれるとは限らない。
 それも忘れてはいけないこと。

 好意を持っていない者から言い寄られることがいかに迷惑か、フェリクスは身を持って知っている。
 好きになってほしいけれど、嫌われているなら無理に通うこともできない。

「僕の一方通行な気持ちでないといいな」
「応援していますよ、フェリクス様」

 カイは笑顔で主の後押しをする。

「そうね。それではわたくしも、できる形の後押しをしましょう。夕凪亭はバルテルの麦を愛用してくださっているようですし、ラーラさんにお会いしてみたいわ」

 アンネリーゼはゆったり微笑む。
 円満に婚約解消するための計画は少しず進行していく。
 
 
 

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