暗愚な名君フェリクスの軌跡

「そういうわけですからフェリクス。ラーラはわたくしが預かって教育します。あなたは異国で勉強してらっしゃい」
「えええっ!? 勉強って、どこの国に」

 婚約者として認められてこれからようやく一緒に過ごせると思ったのに、フェリクスはこれからすぐにでも出発しろと言われてしまい焦ります。

「ファジュル陛下のところはどうかしら。あなたと歳近いですし、国政の立て直しをしているから、ちょうどいい手伝いになるでしょう。あなたが常々言っている国の在り方を変えるというのにぴったりではありませんか」
「陛下のご迷惑になるのでは」
「わたくしは、現実を何も知らない口だけの人間にこの国を任せるほうが不安です。他国の今を知ることは我が国の未来を考えることにもなりましょう」


 母の言い分はもっともなこと。
 フェリクスは観念するしかありません。

「私も勉強がんばります。だから、フィーさん。お互い胸を張ってまたここで会いましょう」
「あぁ、ラーラが前向きすぎて眩しい……。そうだね。僕は甘えるわけにはいかない。ちゃんと世界を見ないといけない」

 国から出たことがないのに、短い時間会談するだけで立派な王になんてなれるわけがない。
 本に書かれたこと、口伝でしか知らないのは本当に知っていることにはならない。

「母上。今からイズティハルへの親書をしたためても、返事が届くのは来月になりましょう」
「問題ありません。以前ファジュル陛下がいらした時点で、あなたを留学をさせたいと打診していたのです。快いお返事をいただきました」

 ファジュル陛下が訪問してきたのはだいぶ前のことだ。
 その時点で、母は「フェリクスは色々経験が足りていないから留学すべき」と思っていて話をつけていたことになる。
 たとえアンネリーゼとの婚約が続いていたとしても、留学という道は敷かれていた。


「僕のため……いや、国のためだというのはわかるけれど、手回しが何歩も先をいきすぎていて恐ろしいです」
「そうでしょう。あなたはただただ、未熟なのですよ。留学に驚くのは、自分に何か足りないと思っていなかった証左です」
「仰る通りです」

 フェリクス専属の使用人にも荷造りの指示が出される。

 ラーラはアンネリーゼの仕事を手伝わなければならないので、アンネリーゼとともに退席した。

 フェリクスも自室に戻る。
 人の目がなくなって、ようやくソファに体を沈めることができた。

「一度にいろんなことが起こりすぎて、思考が追いつかない……」
「早く風呂に入って寝て心身休めることですね。俺も護衛として留学のお供をせよと勅命を受けたので、どうぞ気を落とさないでください、殿下。戦場を経験した兵が多くいると聞いているので、俺もいい勉強ができそうです」
「カイがいてくれるなら心強いよ」


  
 出立の日、ラーラとアンネリーゼが見送りに来ていた。

「フィーさん。どうぞお体に気をつけて。あちらはここよりずっと乾燥した気候だと聞いているので、こまめな水分補給を忘れないようにしてください」

 
 婚約者のお見送りというよりは、旅立つ息子を見送る母親のようなことを言う。
 別れを惜しんで抱き合う、なんて展開になる期待を全くしなかったといえば嘘になる。

 やはりラーラはとても真面目だ。
 ラーラらしいなと思い、フェリクスは口元を緩める。

「帰るときにはお土産を買ってくる。何がほしい?」
「そんな。フィーさんは勉強に行くのだから、お土産なんて期待したら申し訳ないです」
「ラーラ。当人がこう言っているのだから、遠慮なく何でもおねだりしてみなさいな。きっと婚約者らしいことを一つでもしてみたくてウズウズしているのよ」

 さすがは幼少期からの幼馴染み。アンネリーゼはフェリクスの意図を的確に言い当てる。

「では、イズティハルの書物を一冊、読んでみたいです。言語の勉強に」

 どうしても頭が勉強から離れないお願いを聞いて、フェリクスは笑う。

「わかった。いい本を見繕って帰ってくるから、待っていて」
「はい」

 ラーラもフェリクスに笑顔を返す。
 出航の予定時刻になり、フェリクスとカイ、数名の使用人が船に乗り込む。
 アンネリーゼがカイに手を振り、カイは軽く会釈を返す。

 フェリクスとラーラは、しばらく別々の場所でがんばる。
 いつか隣に立つ日のために。


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