暗愚な名君フェリクスの軌跡
「さ、お話をしましょうラーラ。貴女はいつどこでフェリクスと出会ったのかしら。こう言っては失礼だけど、接点がわからなくて」
向かい合わせに座り、王妃はお茶を飲みながら世間話をするような調子でラーラを促す。
フェリクスが宿に来ていたのはお忍びだったと聞いているから、どう話していいか迷う。
けれど嘘をついてもいいことはない。
正直に話すことにした。
「あとでフェリクス様とカイさんが怒られないです、よね?」
「あら、どういうことかしら」
「私の家はヒンメルで宿屋を営んでいます。フェリクス様は、カイさんと一緒に、何度かお食事にいらしていたのです。平民と変わらない服装をしていたのですが、所作が丁寧なので良家の方なのかと思っていました。気さくで、飾らなくて……王族なのだと打ち明けられて驚きました」
「フェリってばそんなことを……。ヒンメルで食事ができる宿屋というと、夕凪亭ね?」
「はい。両親と祖父母、兄と営んでいます」
「うちの王室で懇意にしている宮廷画家から聞いたことがあるわ。異国から渡ってくるときは必ず夕凪亭に部屋を取っていると」
王妃が、王城から離れた町の片隅にある夕凪亭を知っていた。それだけでラーラは幸せな気持ちだった。
王侯貴族の顔貌を絵画にするのが宮廷画家。
夕凪亭は港町にあるため、異国からの旅行者も多く訪れる。
その中にはもちろん宮廷画家もいる。
この国の貴人の絵を描く為であったり、港町特産の貝殻や土の顔料を買いにくる為ということもある。
「大陸からいらっしゃる方は、ヒンメルの貝殻から作る胡粉《ごふん》の白はとくに発色がいいから必ず多めに仕入れると、話してくださいます」
「まぁ。フリルや肌にきれいな白色をのせて描く女性画家がいるけれど、そう。貝殻で出る色なのね。描いてもらうことはあれど、顔料のことを気に留めたことはなかったわ。今度呼ぶときは聞いてみましょう」
フェリクスとの馴れ初め話をしていたのに、いつの間にか絵画の話に発展していた。
話し込んでいるうちに気づけばティーポットは空になり、侍女がすぐに次のポットを運んでくる。
王妃のカップにおかわりが注がれる。
「あら、もうこんなに飲んでいたのね。すっかり話がそれてしまったわ」
王妃はお茶に口をつける。
「出会ったきっかけはわかりました。ラーラはあの子のどこが良かったのかしら。親だから言いますが、あの子は無茶をするし、危なっかしいというか、古式ゆかしいものを嫌う傾向にあります。格式を重んじる者からは反感を買いやすいと思うのだけれど」
王妃の顔は、母親の顔だ。
長年育ててきた親だからこそ、息子の駄目なところも見える。
それを指摘して、ラーラに問いかける。
「私は、夢を応援すると言ってくれたフェリクス様の笑顔が好きです。差し伸べてくれた、剣だこだらけの固い手が好きです。国を良くしたいと願い、努力を惜しまない姿勢が好きです」
人前で口にするのは恥ずかしいけれど、ラーラは思うまま答える。
「貴女はもしこのまま正式な婚約者となったら、わたくしから直々に王族として外交するための教育を受けることになります。宿の家族と会う機会は年一回あればいい方になるでしょう。それでもやりますか」
「毎日そばにいるだけが家族ではありません。健勝であることがわかれば、それだけでじゅうぶんです。そして、私はまだアンネリーゼ様の通訳になってから日が浅いです。至らないところがあったら何なりとお申し付けください」
ラーラは頭を垂れる。
広い世界は知識の宝庫だ。
学べることがたくさんあって、胸が踊る。
知識欲が人一倍あるラーラ。
片隅の宿屋にいただけでは知り得なかったことに触れるたびに、送り出してくれた家族に感謝する。
じっとラーラを見つめ、王妃は苦笑した。
「わたくしの負けです。あぁ、貴女が地位や財産目当ての嫌な子なら文句の百や二百言って追い返せたのに。こんなにもフェリと似た気質の子では、駄目だなんて言えるわけないじゃないの」
旧友の娘と結婚させたいという計画がふいになってしまったことへの未練があるため、少々ひねくれた言い回しになったものの……王妃はフェリクスとラーラの婚約を認めてくれたのだった。
向かい合わせに座り、王妃はお茶を飲みながら世間話をするような調子でラーラを促す。
フェリクスが宿に来ていたのはお忍びだったと聞いているから、どう話していいか迷う。
けれど嘘をついてもいいことはない。
正直に話すことにした。
「あとでフェリクス様とカイさんが怒られないです、よね?」
「あら、どういうことかしら」
「私の家はヒンメルで宿屋を営んでいます。フェリクス様は、カイさんと一緒に、何度かお食事にいらしていたのです。平民と変わらない服装をしていたのですが、所作が丁寧なので良家の方なのかと思っていました。気さくで、飾らなくて……王族なのだと打ち明けられて驚きました」
「フェリってばそんなことを……。ヒンメルで食事ができる宿屋というと、夕凪亭ね?」
「はい。両親と祖父母、兄と営んでいます」
「うちの王室で懇意にしている宮廷画家から聞いたことがあるわ。異国から渡ってくるときは必ず夕凪亭に部屋を取っていると」
王妃が、王城から離れた町の片隅にある夕凪亭を知っていた。それだけでラーラは幸せな気持ちだった。
王侯貴族の顔貌を絵画にするのが宮廷画家。
夕凪亭は港町にあるため、異国からの旅行者も多く訪れる。
その中にはもちろん宮廷画家もいる。
この国の貴人の絵を描く為であったり、港町特産の貝殻や土の顔料を買いにくる為ということもある。
「大陸からいらっしゃる方は、ヒンメルの貝殻から作る胡粉《ごふん》の白はとくに発色がいいから必ず多めに仕入れると、話してくださいます」
「まぁ。フリルや肌にきれいな白色をのせて描く女性画家がいるけれど、そう。貝殻で出る色なのね。描いてもらうことはあれど、顔料のことを気に留めたことはなかったわ。今度呼ぶときは聞いてみましょう」
フェリクスとの馴れ初め話をしていたのに、いつの間にか絵画の話に発展していた。
話し込んでいるうちに気づけばティーポットは空になり、侍女がすぐに次のポットを運んでくる。
王妃のカップにおかわりが注がれる。
「あら、もうこんなに飲んでいたのね。すっかり話がそれてしまったわ」
王妃はお茶に口をつける。
「出会ったきっかけはわかりました。ラーラはあの子のどこが良かったのかしら。親だから言いますが、あの子は無茶をするし、危なっかしいというか、古式ゆかしいものを嫌う傾向にあります。格式を重んじる者からは反感を買いやすいと思うのだけれど」
王妃の顔は、母親の顔だ。
長年育ててきた親だからこそ、息子の駄目なところも見える。
それを指摘して、ラーラに問いかける。
「私は、夢を応援すると言ってくれたフェリクス様の笑顔が好きです。差し伸べてくれた、剣だこだらけの固い手が好きです。国を良くしたいと願い、努力を惜しまない姿勢が好きです」
人前で口にするのは恥ずかしいけれど、ラーラは思うまま答える。
「貴女はもしこのまま正式な婚約者となったら、わたくしから直々に王族として外交するための教育を受けることになります。宿の家族と会う機会は年一回あればいい方になるでしょう。それでもやりますか」
「毎日そばにいるだけが家族ではありません。健勝であることがわかれば、それだけでじゅうぶんです。そして、私はまだアンネリーゼ様の通訳になってから日が浅いです。至らないところがあったら何なりとお申し付けください」
ラーラは頭を垂れる。
広い世界は知識の宝庫だ。
学べることがたくさんあって、胸が踊る。
知識欲が人一倍あるラーラ。
片隅の宿屋にいただけでは知り得なかったことに触れるたびに、送り出してくれた家族に感謝する。
じっとラーラを見つめ、王妃は苦笑した。
「わたくしの負けです。あぁ、貴女が地位や財産目当ての嫌な子なら文句の百や二百言って追い返せたのに。こんなにもフェリと似た気質の子では、駄目だなんて言えるわけないじゃないの」
旧友の娘と結婚させたいという計画がふいになってしまったことへの未練があるため、少々ひねくれた言い回しになったものの……王妃はフェリクスとラーラの婚約を認めてくれたのだった。