暗愚な名君フェリクスの軌跡

 グーテンベルク王国の王子フェリクスは王城の庭園にある東屋で、婚約者アンネリーゼ・バルテルとお茶会をしていた。
 侍女が用意してくれた紅茶を一口飲み、口を開く。

「聞いておくれリゼ。僕はついに妻にしたい人をみつけたんだ。今こそ、父上たちが決めた婚約を解消するときだ」

 この場にいるのはフェリクスとアンネリーゼ、それぞれの護衛だけだ。
 フェリクスの人となりをよく知る者しかいないため、婚約破棄宣言が出ても動揺する者はいなかった。

 アンネリーゼも紅茶で喉を潤しながら、笑顔を浮かべる。

「ようやくそのときがきたのですね、フェリ。わたくしもこの時を心待ちにしておりましたわ」

 フェリクスとアンネリーゼは、婚約者である以前に幼馴染みという関係にある。
 フェリクスの父である国王マクシミリアンと、アンネリーゼの父ラルフは学生時代からの親友であった。
 ラルフは騎士団に身を置き、国王の専属護衛をしている。
 それぞれに子が生まれたとき、「この子達が大きくなったら結婚させたいな」という話になるのは自然な流れだった。

 母たちも学生時代から続く仲の良い友で、「そうなれば私達親戚になるわね。楽しみです」などと同意した。

 本人たちが言葉を話せるようにならぬうちに、婚約は決定事項になっていた。

 フェリクスもアンネリーゼも、二人揃って、心底迷惑だと思っている。
 なんでも話せる姉弟みたいなものではあれど、そこに恋愛感情は一滴もまじっていない。
 お互いのことを嫌いではないが、親の期待という名の圧力は嫌いだった。

 これまでに何度も「婚約を解消させてほしい」と打診してきたけれど、照れているだけ、いっときの気の迷いだと言われてきた。

 ほんとうに、ほんっとうに迷惑だった。
 王侯貴族は政略結婚することが多い。結婚してから愛を育む夫婦だっている。
 それは承知しているが、選ぶ権利すらもらえないのは、人としての尊厳すら踏みにじられていると感じる。

 そんな扱い、愛玩動物の交配をするのと変わりない。


 だからフェリクスとアンネリーゼは結託し、親に内緒で長年【円満な婚約解消作戦】を練っている。
 フェリクスはアンネリーゼの恋を応援しているし、アンネリーゼもフェリクスに好きな人ができたら応援すると約束している。


「わたくしが好きなのはカイだと、何度言っても信じてくださらないのよ。お父様の頭には鉄鉱石でも詰まっているのかしら」

 アンネリーゼがため息をつく。
 カイはフェリクスの専属護衛だ。
 フェリクスの後方で警護にあたっていたが、アンネリーゼが世間話のように言った言葉に目をむいた。

「アンネリーゼ様。それは団長がお許しにならないのではないかと存じます。俺……あ、いや、わたしは平民、爵位を持ちませんので」
「あらあら、ここにはお父様も他の貴族もいないのですから、フェリと話すときのようにくだけた言葉でよろしいのですよ。ね、フェリ」

 アンネリーゼに話を振られて、フェリクスも頷く。

「そうだぞカイ。だれかに指摘されても、それは僕が命令したからだときちんと証言するから、楽にしてくれ。君にまで堅苦しい物言いをされたら息ができなくなってしまう。ほら、ここに座って一緒にお茶を飲もう」

 トントン、とフェリクスが自分の隣を叩く。人が四人座ってもまだ余裕ができるような長い椅子だから、カイが座る余裕は十分ある。
 だが、誰に見られるかわからないのに、護衛が主の隣に座って茶会に参加するなんて正気の沙汰じゃない。

「フェリクス様は俺を首なしデュラハンにしたいんですかね」
「僕がカイをクビにするわけないだろう。兵士団にいる爵位もちの者を護衛にしたら、一秒の休息も得られないんだ。肩が凝ってしまうじゃないか」

 カイは暗に、不敬罪でギロチンの刑にされかねないのですがと訴えているのだが、微妙に噛み合っていない。
 誰にも見られないのであれば従ってもいいのだが、ここは東屋。城壁に囲まれてはいるけれど、城の通路から見える。
 メイドなら見なかったことにしてくれるが、議員や士官は見逃してくれない。

「誘うならせめて、私室での茶会のときにしてほしいなー、なんて」
「嫌だよ。私室でリゼと二人になったら何を噂されるかわからないじゃないか。それに僕と会うという口実がないと、リゼはカイと会えないだろう。カイはリゼのこと嫌い?」
「そ、そんなわけ、ないじゃないですか。けど俺、兵士団の階級はまだ少尉だし……」
「僕達は階級が高い人とお茶を飲みたいんじゃない。カイとお茶を飲みたいんだよ」

 フェリックスとアンネリーゼ表向きは婚約者だ。
 その状態なのにアンネリーゼがカイと二人で会おうとすれば、婚約者がいるのに他の男に熱を上げる不届者になってしまう。
 苦肉の策が、ひと目のある東屋でのお茶会だった。
 それぞれの護衛がそばにいるから、二人きりではないという証明にもなる。

「カイさんの負けですね。このエマも、主の命令があったときちんと証言しましょう」

 アンネリーゼの護衛、エマもまた平民出身だ。
 バルテル伯爵家で雇っている。バルテル領の地方にある自警団に所属していたのを見つけ、気に入って引っ張ってきた。
 アンネリーゼもいついかなるときも気を抜けない空気を嫌う気質なため、他に人がいないときは普通に接してほしいとエマにお願いしていた。
 肩の力を抜けるのは、この四人でいるときだけだった。

 自分の首が明日も繋がっていることを祈りながら、カイは長椅子に腰をおろした。
 すかさずアンネリーゼが、カイの前にティーカップと茶菓子の皿を用意する。

「どうぞ召し上がれ。今日のクッキーはうちの料理人が焼いてくれたものを持ってきたの。カイに食べてほしくて」
「は、はい、光栄です」

 カイはアンネリーゼのことを憎からず思っている。
 憎からずどころか、嫁になってほしいくらいに惹かれているし、もしもアンネリーゼに婚約者がいなくて身分が釣り合っていたなら「結婚してくれ」と花束を抱えて突撃をしている。
 残念ながら相手は伯爵令嬢であり、カイは平民。素敵なプロポーズと夫婦生活は妄想で終わっていた。

 緊張しながら食べたクッキーはバターの香りがよく、噛みしめると小麦の旨味が口いっぱいに広がる。

「本当だ。すごく美味しい」
「バルテル領特産の黒小麦とはちみつを使っているんです」
「俺、バルテル麦のパンが好きでよく食べます。地元の食堂でも出ていて、トーストが絶品なんです。パンは素材が良くなきゃあんなに美味しくならない」
「まあ、嬉しい」

 領地が褒められて、アンネリーゼも笑顔になる。
 

「そうだ、フェリ。貴方が見初めた女性というのは、どういった方なのです? もうお話はしているのかしら」
「あ、えと、まだ告白もしていなくて……。相手はたぶん、僕が王子だっていうことも知らないんだ」
「ええっ!? ……ということは、お相手は」

 フェリクスは夜会で欠席したことがないから、結婚適齢期の女性貴族なら皆フェリクスの顔貌を知っている。

「ああ。お察しの通り。その子の名前はラーラ。港町ヒンメルにある宿屋、夕凪亭の娘さんなんだ」

 次期国王フェリクス・ウーリヒ・グーテンベルクの心を射止めたのは、平民の娘だった。

「港町ヒンメルっていうと、カイの出身地よね。カイはその女性を知っている?」
「もちろんですアンネリーゼ様。夕凪亭を紹介したのは俺ですから。夕凪亭はヒンメルで五十年続いている老舗なんです。さっき言ったパンが美味い店は夕凪亭のことですよ」
「そうそう。カイが夕凪亭のランチを食べたことがないなんて人生半分損してるって言うものだから。最初に行ったのが半年前だ。カイの服を借りて、お忍びで。あんなに才能に溢れて、輝いている人を見たことはなかった」

 フェリクスは瞳を閉じて、ラーラと会ったときのことをゆっくりと語り出した。

 
 
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