マリオネットは契約結婚で愛を知る。

 静と優一が結婚してから、半年が経った。
 静はワードとエクセルの検定に合格したあと、さらにスキルを伸ばすため医療事務の通信講座を受講し、資格を取った。
 今はマンション近くの商店街にある個人病院、初田ハートクリニックで受付をしている。
 これまで受付をしていたネルが産休に入るため、ネルが復帰するまでの間の人を募集していたのだ。

 高校を出ていないから採用してもらえるか不安だったが、院長である初斗が「受付を任せるのは、学歴より人間性がいい人が重要だから」とその場で即決だった。

 ネルは産休に入るまで丁寧に教えてくれて、静は安心して業務を覚えることができた。初斗も基本はのんびりした人だけど、患者と真摯に向き合うから信頼は厚い。二人ともとても尊敬できる人だ。
 ここで働かせてもらえて良かったと心から思う。

 締め作業を終えて初斗に挨拶をする。

「初田先生、終わりました」
「お疲れ様でした。四ノ宮さん、気をつけて帰ってくださいね」

 帰る前にネルが二階から降りてきて、静にタッパーを差し出す。
 透明なタッパーに、牛すき煮が詰まっていた。作ったばかりのようで、パックはまだ熱い。

「静ちゃん静ちゃん、お疲れさま。たくさん作り過ぎちゃったから、おすそ分け。旦那さんと食べてね」
「ありがとう、ネルさん」
「明日から旅行でしょ。楽しんできてね」
「はい!」
「よかったですね四ノ宮さん。昼のニュースで、明日の東京は晴れマークでしたよ」

 初斗が両手の指で丸を作って笑う。
 明日明後日は休診日で、優一・祖父母と東京に行く約束をしている。

 四人で湯河原の喫茶店に行って以降、時間を見ては喫茶店めぐりをするようになった。
 そして静が、みんなで七月の休みを合わせて東京旅行しようと提案した。

 せっかく東京に行くのだから、日帰りでなく泊りがけであちこち巡りたい。
 祖母が行きたいのは東京タワーで、祖父が行きたいのは浅草。優一が行きたいのは秋葉原。日帰りなら弾丸ツアーと化すけれど、泊まりで行くなら問題ない。
 静は東京旅行自体が初めてだから、どこもとても楽しみだ。


 静の実家がどうなったかというと、やはりというかなんというか、売家になった。
 無職の二人にローンを払えるわけがなく、売却しても借金が残ったらしい。
 静はこの半年で資格を取り新しい仕事を始めたのに、母とキララはなにをしていたんだろう。短時間バイトでもいいから働いていれば、家を手放すなんていう結末は避けられたはずなのに。  

 母もキララも伯母も、「金の無心をしたり脅したりすれば警察のお世話になるだろう」と祖父に念押されて以降、一度も祖父母宅に来ないらしい。
 静のところにも、優一のところにも現れていない。
 今度こそ心を入れ替えて、真面目に働いていることを祈るだけだ。


 初斗とネルに見送られて、家路についた。
 七夕まであと少し。商店街は笹飾りと星の飾りが溢れている。
 日が長くなっているから、空はまだほんのり明るい。
 静は優一が先週の誕生日に贈ってくれた七部袖ワンピースを翻して歩く。
 

 チャイムを押すと、先に帰っていた優一が出迎えてくれる。

「おかえり、静。今日はおすそ分けをもらったって?」
「ただいま、優一さん。うん。メールで話しておいたとおり。旅行から帰ってきたら、お礼しないとね。ネルさんの牛すき煮、甘じょっぱくて好き」

 今回が初めてではなく、初田夫妻はこうしてちょくちょくおすそ分けをくれる。
 作りすぎたというのは建前で、ネルが静たちのために多めに作ってくれている気がしてならない。
 最初は遠慮していたけれど、もらってはお礼の料理を作り、お礼のお礼のお礼のお礼……というのを繰り返して今に至る。

「ご飯は炊けているし、サラダは冷やしてあるし、お味噌汁も温め直すだけにしてあるよ」
「いつもありがとう」
「いいんだよ。当番制じゃないんだから。僕が残業のときは静が作ってくれるじゃない」

 当番にすると負担になるでしょう、と最初に静が言ったから、静たちは今でも“できる方が作る”というスタイルでやっている。


 笑いあって夕食をいただき、片付けをしていると、祖母から静のスマホに電話がきた。

『静ちゃん、お仕事終わった時間よね。いま電話して大丈夫だったかしら』
「うん。大丈夫だよ、おばあちゃん。夕ごはんも食べ終わって、これからゆっくりしようかなっていうところ。どうしたの?」
『東京の気温って何度くらいなのかしらね。まだ肌寒いようなら上着を持っていったほうがいいわよね』

 優一を見ると、優一はすぐに検索して答える。

「予報では、旅行の間は三十度前後だって。上着はなくても問題ないかな。むしろ、日差しが強いから日焼け止めをするようにって出ているよ」
『あら、調べてくれたのね優一。ありがとう。じゃあ日傘を持っていかないと』

 電話の向こうで祖母が笑い、祖母の後ろでは祖父がそわそわしているのがわかる。

『オレにもかわってくれ、イヨ。オレも静と優一と話したい』
『はいはい。静ちゃん、和男さんがお話したいって』
「はーい」

 電話を受け渡しする音が聞こえて、祖父がコホンと咳払いをする。

『あー、そのー、元気にしているか、静。優一』
「うん。私たちは元気だよ。おじいちゃんとおばあちゃんも元気?」
『元気だとも』

 祖父の後ろから、『二週間前にも会ったばかりでしょうに』なんて、祖母の笑い声が聞こえてくる。
 なんでもいいからとにかく静たちと話したくてしかたなかったのがわかって、静も優一も笑顔になる。

「おじいちゃん、おばあちゃん、明日は予定通り九時に迎えに行くからね。寝坊しちゃだめだよ」

 優一が言うと、祖母がカラカラ笑う。

『もちろんよぉ。わたしたち、楽しみすぎて今日だって五時に目が覚めちゃったんだから』
「早すぎだよー。ちゃんと休まないと、観光中に寝落ちしちゃうかもしれないだろ」
『そうしたら優一におんぶしてもらおうかね』
「おばあちゃん、僕はデスクワークなんだからね。さすがに二人をおんぶするような筋力はないよ」
『じょうだんだよ、じょうだん』

 ひとしきり笑い、また明日と言って電話を終える。


「東京旅行、喜んでもらえるといいね、優一さん」
「うん。おばあちゃんが新婚旅行で行ったって話していたから、一緒に行けたらいいなって思っていたの」
「絶対に喜んでくれるよ。楽しみすぎて前日に早起きしちゃうくらいなんだから」
「ふふっ。そうだね」

 後ろから抱きしめられて、静は優一の手に自分の手を重ねる。
 同じ指輪をした手。静の手よりずっと大きくて、頼もしい手。

「僕達も、おじいちゃんたちに負けないくらい長い時間を一緒に生きようね」
「うん。おじいちゃんおばあちゃんになっても、一緒にいたい。でも、私がいいお母さんになれるか自信はないの……」

 愛する人と、手がしわくちゃになるくらいの年月を一緒に生きられたら、こんなに幸せなことはない。
 何年後になるかわからないけれど、二人の間に子どもが生まれる楽しみより、不安が大きい。

 静は、子どもを慈しむ母親を知らない。
 母に愛されてこなかったから、正しい愛し方がわからない。

「僕も、父親を知らない。自分を愛してくれる父親の記憶がないから。知らなくても、実叔父さんのことを覚えている。静を最期まで大切にしていた、叔父さんのこと。あんなふうに立派な父親になれたらと思う。パソコンの勉強と同じでさ、最初からプログラミングできるような人なんていないんだ。少しずつ勉強して、成長する。子育てもきっとそうなんだよ」

 優一の言葉に、不安が薄れる。

「なれるかな。立派だって思ってもらえるような親に」
「なれるよ。だって静は、実叔父さんが自慢だって言っていた娘なんだから」
「……うん」

 ゆっくりと口づけされて、静は優一の口づけに応える。

 親のマリオネットとして生きてきた二人は、契約結婚という形で繋がり、恋をして愛を知る。
 もう、使われるだけのマリオネットじゃない。
 自分の意志で未来を選び、二人で、未来を作っていく。 



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