マリオネットは契約結婚で愛を知る。

 祖父が入院した先は、静の父も入院していた総合病院だった。
 四年しか経っていないから、内装はほぼ変わっていない。多少観葉植物が増えたくらいだ。
 受付の看護師は静を覚えていた。

「あら、あなたは……保坂さんのところの」
「お久しぶりです。あのときは父のために手を尽くしてくださって、ありがとうございました。父も感謝していました」

 深々と頭を下げてお礼を言う。

「昨夜、祖父が倒れて入院したと聞いたのでお見舞いに来ました。203号室の四ノ宮和男かずおに面会したいです」
「四ノ宮さんの……そうなのね。お孫さんがお見舞いしてくれたら、とても喜ぶと思うわ」

 受付表に二人分名前を書いて、病室に向かう。
 ベッドは四人部屋の窓際で、祖父は横になっていた。
 静と優一に気づくと破顔する。

「おお、優一。来てくれたのか。もしかして、その子が静かい」
「うん、そうだよ。静。この人が僕たちのおじいちゃんだよ」

 昔から似ている似ていると言われていたけれど、会って納得した。
 祖父の目元は静とそっくりだ。
 この年齢になって初めて祖父との対面。
 母は、実の葬儀に祖父母を呼ばなかった。
 二人を呼ばないことにより“娘婿の葬儀を欠席する非常識な人間”に仕立て上げたかった意図が潜んでいたことを、静は知らない。

 静は緊張しながら歩み寄る。祖父は点滴をしていない方の手を静に伸ばし、握手する。

「はじめまして、おじいちゃん。静です。あ、これ、お見舞金です。足しにしてください」

 優一と二人で出し合ったそれを、祖父は涙を拭いながら受け取った。

「気遣ってくれてありがとう。優しい子だな。やっと会えた。そうか、そうか。ちっこくてかわいいな。ほれ、静。頭をなでてやろう」
「おじいちゃん、静はもう二十一歳なんだから、そんな幼い子みたいな……」

 優一が苦笑するけれど、静は屈んで祖父の手が届くようにする。
 かさかさで骨ばった手は、温かくて力強い。
 目が熱くなり、涙が頬を伝った。

「おじいちゃん、大丈夫? いきなり倒れたって聞いたから……」

 静が聞くと、祖父はからからと笑う。

「イヨが焦って方々に連絡しちまったみたいですまんなあ。ただの虫垂炎だよ。医者の話じゃ、点滴投薬で効果がなかった場合に手術になるけど、そうでないなら点滴十日もすればよくなるってよ」
「そっか、すぐ治るなら、よかった」

 命に関わるような深刻な状況じゃなくてよかった。安堵で泣いてしまった静に、優一がハンカチを渡す。お礼を言って涙を拭う。
 優一は病室の中を見回して、首を傾げる。

「電話でおばあちゃんもお見舞いにきているって聞いていたんだけど、外出中かな?」
「優一と静が来るって聞いて、張り切って下の売店に行ったからな。もうすぐ戻ってくるよ」
「ええぇ、張り切ってるって……。おばあちゃん、何する気だろう」

 疑問の答えはすぐにわかった。
 パンパンに膨らんだ買い物袋をさげた老婦人が入ってきて、静を見るなり抱きついてきた。
 息ができないくらいぎゅうぎゅうに抱きしめられて、頬ずりされて、静はギブアップした。

「ああー! あなたが静ちゃんね。なんてかわいらしいのかしら。もう、かわいくてかわいくて食べちゃいたいくら……」
「く、く、くるし……」
「おばあちゃん、離してあげて。静が目を回しちゃうよ」

 ようやく解放されて、ふらふらになった静を優一が支える。
 祖母は白髪混じりで柔和な顔立ちの人で、どことなく優一に似ている。

「あんまり嬉しかったものだから、ごめんなさいね、静ちゃん。ワタシはイヨ。会えて嬉しいわ、静ちゃん」
「わたしも、おじいちゃんとおばあちゃんに会えて嬉しい」

 一度も対面したことがなかったから、今さら受け入れてもらえるか不安だった。
 祖父も祖母も、心から静と会えたことを喜び、歓迎している。
 不安が溶けて消えていく。

「せっかくお見舞いに来てくれるんだから、なにかおもてなししようと思ったんだけど、静ちゃんが好きなものを知らないから。一通り買ってみたの。どれが好きかしら」

 祖母がベッドのオーバーテーブルに、買ってきたものを広げていく。
 鮭おにぎりにあんぱん、ホットドッグにカップ味噌汁、チョコチップクッキー、塩せんべい、キャンディ。飲み物も緑茶に紅茶、スポーツドリンク、サイダー、オレンジジュース……よく一人でこれだけ運べたなと感心してしまうくらいたくさん出てくる。

「優一の好きな焼きプリンもあるわよ〜。昔はよく「おばーちゃん作ってー!」っておねだりしていたじゃない」

 祖母の言葉を聞いて、同じ病室にいた患者たちが笑い出す。
 優一はあたりを見て、恥ずかしさのあまり声をうわずらせる。

「や、やめてよおばあちゃん。それ、僕が幼稚園のときでしょう! 何歳になったと思ってるのさ」
「いくつになっても孫は可愛いもんさね」
「まったく……」

 文句を言いながらも、プリンの蓋を開けてスプーンを持つ。説得力皆無だ。

「これこれ優一。食事制限されているオレの前で食うんでねえ」
「あ、つい。でもほら、もう蓋を開けちゃったし」

 言っている間に食べきった。普段より子どもっぽい優一の姿に、静も笑ってしまう。
 隣のベッドのおじさんが楽しそうに声をかけてくる。

「羨ましいねえ四ノ宮さん。お嫁さんを連れてお見舞に来てくれるなんて、いいお孫さんじゃないか」
「ははは。そういうお前さんも、さっきまで美人の嫁さんに世話されていたじゃないか。いいねえ若いもんは」

 入院して一晩しか経っていないのに、もう病室内の人と友達になっているようだ。
 ふと気になって、静は聞いてみる。

「あの。お母さんと姉さんは。伯母さんも、もう来たんですか」

 きっと二人も、昨夜倒れて入院したという連絡をもらっているはず。ばったり遭遇してしまうことを予想していたけれど、会わなかった。もうとっくにお見舞いに来て帰ったあとなのか、それとももうすぐ来る予定なのか。

 祖母はそれまでの笑顔から一転、ため息をついて肩を落とす。

「…………三人とも、「見舞金も香典も出したくないから、遺産相続の話し合いになってから呼べ」、ですって」
「あああ、なんだか、ごめんなさい。お母さんと姉さん、そんなことを言うなんて」
「僕もそんなことを言う人が母親だなんて恥ずかしい……」

 外道としか言いようのない台詞を吐いたのが、自分の親。
 祖父と祖母も失望をあらわにする。

「もとより自分勝手な奴らだとは思っていたが、ここまでとはなぁ。もう我が子だと思わないほうがいいんだろう。あの年になって改心なんて無理だ。あいつらがそう望むなら、退院したら望みどおり遺産相続の話でもしてやろうか」
「……おじいちゃん、本気?」

 病を労る気が皆無で、金だけよこせなんて随分勝手な言い分なのに。
 心配する優一に、祖父は大きく頷いてみせる。

「公正証書遺言というのがあるだろう。公的機関に遺言書の作成を依頼して、遺してもらう。死後、遺言書に記載された分配方法が優先される」
「死後、なんて……縁起でもないことを言わないでよ、おじいちゃん。まだまだ元気なのに」
「……いいえ、優一。和男さんなりに考えがあってのことでしょう。わたしは和男さんがそうしたいなら手伝うわ。これ以上娘たちの身勝手な振る舞いを看過できない」

 祖父と祖母がそう決めたのなら、静も優一もやめたほうがいいなんて言えない。
 最後に祖父はまた静の頭をなでて、目を細める。

「見舞いに来てくれて嬉しかったよ。静、優一。幸せになりなさい」
「うん。おじいちゃんとおばあちゃんも。早く退院してね。また会いたい」
「もちろんだとも」
「静ちゃん、これ全部あげるから、持っておいき。どれが好きだったかあとで教えておくれ。そうしたら、次に会ったときに、好きなもんを作ってあげられるだろう」
「ありがとう、おばあちゃん。おばあちゃんとおじいちゃんも、好きなもの教えてね。退院したら、お祝いでなにか作るから」

 静は渡されたたくさんの食べ物を優一と半分ずつ持って、病室をあとにする。
 次に会うときを楽しみにして、家路についた。
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