六畳一間の魔王さまの日本侵略日記

 魔王はおばあさんに連れられて、【のどかそう】という表札がついた古い木造家屋に入りました。
 築五十年は経つのであちこちガタがきています。
 歩くたび床がギシギシ悲鳴をあげる。たたみの匂いも初めて嗅ぐもの。
 もともとが巨体だったため、人の家の中というものに初めて入った魔王は、わくわくしていました。

「これを着るとええ」

 アイロンがけされ畳まれていたアロハシャツ。ジャージのズボンには大家《おおや》と刺繍が入っています。

「ふむ。着る、とはどうすればよいのだ」
「なんてこった。頭を打ったショックで服の着方も忘れちまったってのかい。かわいそうに……」

 おばあさんがほっかむりにしていた手ぬぐいを外して、あふれる涙を拭います。
 忘れるもなにも、服を着たことがないからほんとうに着方がわからないのです。見た目が三十半ばの男性なので、服を着たことがないなんて誰も思いません。

 おばあさんに教わりながらどうにかこうにか服を身につけて、ようやく露出狂ではなくなりました。

『魔王さまよくお似合いです!』

 ケルベロスも似合うと言いたげに吠えます。そこらの若者が見たらクソダサい組み合わせですが、魔王はこの服装が気に入りました。

「あいさつが遅れたな、登呂さん。おれは大家《おおや》トメというんらよ。このアパートはおれんちの管理してるもんらすけ、落ち着くとこがねんなら空いてる部屋を貸しちゃる。家賃は働けるようになってからでええでの」
「おお、住んでもいいのか。助かる」

 この集落唯一の診療所で赤ちゃんを診てもらい、健康体だと太鼓判を押されました。
 医者の老人、石谷《いしや》は魔王の診察もします。

「登呂《とろ》さん、あんたも大事ないかね」
「儂はなんともないぞ」
「んだが、記憶喪失になっているのだから、どこか強く打っているのかもしれねえろ」

 聴診器をあてられ色々質問され、看護師が針のついた透明な筒を持ってきました。

『ぎゃあああぁ、魔王さまに何をする気だ人の子! まさかそれを魔王さまに刺そうなんて、やはり人間は我らのて』
「さっきから外のインコがうるさいねえ。君、ちょっと窓閉めて」

 看護師がピシャンと窓を閉め、中の様子を伺っていた爺やが追い出されてしまいました。

「安心するとええ。わたしの注射はちっとも痛くないので有名だすけな」
「ぬわあああぁああああ!!!!」

 めちゃくちゃ痛かったと、のちに魔王は語ります。
 
 あれこれ検査を終えて、のどか荘に戻る頃には夕方になっていました。



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