市場で助けを求めている子牛を助けたら、呪われた美少女だった

 ある日、農業市場で子牛をみつくろっていると、若い女性の声が助けを求めてきた。

『助けてください!』

 まわりにいるのは売りに出されている市場の子牛と鶏、販売業者のおじさんだけ。

 女っ気の少ない田舎町で暮らしているせいで、ついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのか、俺。

「大丈夫けー、ゲラルト坊」
「いい加減坊っていうのやめてくれよ。俺もう十五才だぞ。それよりも、今、女の声が聞こえなかったか?」
「んなわけねぇべ。ここにいんのはオラたちだけだ」

 業者のおじさんは首をかしげるのみ。

「幻聴だったかな?」
『お願いよ、助けて! そこの銀髪のお兄さん、あたしの声が聞こえてるでしょ!』

 幻聴ではなかった。
 声の主は目の前にいる子牛のうち、生後二ヶ月くらいに見える雌牛。55番の耳標《タグ》が嵌められている。
 顔のところだけ白くて、胴はほとんど黒い。
 その子牛とバッチリ目があってしまった。

『あたしはヘレナ。助けてほしいの』
「……助けるって、どうやって」

 子牛(?)は『ここから出してもらってから話すわ』と言う。

 実家の牛舎で飼う牛を増やそうって話で、俺は今日、父さんの代理で牛を買いに来た。

「おっちゃん。55番の子牛はいくらだ?」
「あぁー、そいつはまともに餌を食わねえし言う事聞かねえし、体当たりしてくるし、柵を壊して逃げようとする。このまま乳牛として売れねぇなら、肉にするしかないかと思ってたんだ。ゲラルト坊なら銅貨五十枚でいいぞ。ただし返品は受け付けねぇ」

 おじさんは片手の指を五本立てる。
 普通ならこのサイズの雌牛は銅貨百枚。
 銅貨五十枚なんて、破格も破格だ。
 このままだと肉にされる運命、そして助けてほしいという声を聞いてしまった以上、無視して他の牛を買う気になれなかった。

「わかった。55番を買おう」

 俺は牛の値段とは思えない金額を払って、ヘレナを外に出した。

 馬車の荷車にヘレナを乗せて、俺は手綱を握りしめ町への帰路につく。
 はー、絶対父さんに怒られる。
 うなだれる俺にヘレナが言った。

『助かったわ、ゲラルトさん。人間に戻れたら必ず恩返しするから』
「はいはい。恩返しね……って、人間!? お前が!?」



  町に帰ってすぐ、俺は牛舎にヘレナを連れて行った。この時間は牛の世話をしている。

『こんにちは、ゲラルトさんのお父さんお母さん。あたしはヘレナって言います』

 父さんも母さんもポカーンとしている。

「な、変わってるだろうこいつ。人間の言葉を喋るんだ」
「……ゲラルト。仕事のしすぎで疲れているのか?」

 父さんが神妙な顔でひどいことをいう。

「だめよレオン。息子を信じてあげないと。たまたま私たちに聞こえないだけかもしれないじゃない。魔法は、波長の合う合わないがあるの」
「魔法?」

 母さんの口から意外な単語が出てきた。
 王都にいるような貴族あたりなら、魔法という特別な力を使えるという噂を聞いたことがある。
 こんな田舎町に、魔法とやらを使える人間がいるはずもない。

「ゲラルト。私には子牛の啼き声にしか聞こえないけれど、あなたにはわかるのね。その子の言葉を通訳してくれる?」
「わ、わかった」

 何故か、母さんが牛に対して協力的だ。

『実はあたし、こう見えて人間なんです。ここの隣町に住んでいます。
一週間ほど前、貴族が黒いローブの人を連れて会いに来ました。
「おれの妾になれ。ならないなら、魔法で牛に変えてやる」と言われたんです』

 そのまま通訳して両親に伝えると、母さんの顔が険しくなった。

「つまり、求婚をお断りしたら本当に牛に変えられてしまった、というわけね」
「そうです」

 人間を牛にしてしまうなんて、魔法ってかなり恐ろしいものなんだな。
 そしてヘレナの心は人間のままだから、市場から逃げたいし牛の餌を食べる気になれなかったというわけか。

『魔法を解けるのは“真実の愛のキス”というものだけらしいです。でもあたしに恋人なんて居ませんし、親も親族も早くに亡くしたのでいません。その貴族に「元に戻してほしいならおれと結婚しろ」と迫られ、嫌になって逃げました。そしたらあの市場に野良の牛と勘違いされて捕まってしまいまして……』

 俺がそのまま伝えると、難しい顔で腕組みをしていた父さんは母さんに言った。

「ゲルダ。この子はしばらくここに置こう」
「そうね。私も連絡の取れる知り合いにつてがないか、手紙で聞いてみるわ」

 両親はヘレナを保護することに決めたようだ。
 しかし本当は人間とはいえ、見た目は牛。まごうことなき牛。

「よし、ヘレナは子牛の部屋で寝ろよ、今は牛なんだし」
『そんな、あたしの言葉がわかるのはゲラルトしかいないのに!!』
「でも俺、牛舎で寝泊まりするわけにはいかないし、あったかい布団で寝たいし」
『ひどいわーー!!』

 嘆くヘレナを、メェメェ(大人牛になる前はメェメェいう)啼いている子牛たちの寝床に放り込んだ。


 あくる早朝、いつもどおり牛の世話をするため牛舎に行く。

 父さんと母さんはもうとっくに仕事を始めていた。

「ゲラルト。|初乳《しょにゅう》を搾っといたから、子牛たちにやってくれ」
「はいよ」

 初乳というのは子牛を産んで間もない母牛から出る乳。出荷はできない代物で、子牛の体作りに必要な栄養素が豊富だ。
 二つのバケツになみなみと注がれているが、一頭あたり少なくとも五キロは飲む。余ることはほぼない。

「ほら、お前たち飲め」

 子牛専用の桶に移して、飼っている五頭の子牛たちに与える。
 あれ、見知らぬ六頭目がいるな。
 プルプル震えながら声をしぼりだす。

『あたし人間よ!? そんなに飲めないわよ!?』
「あ、忘れてた。ヘレナはここに入れたんだった。でも何も食わないと体を維持できなくて、たぶんもとに戻る前に死ぬぞ」

 牛に変えられたのが一週間前だったか。
 ほぼ飲まず食わずでいたせいなのか、ヘレナは他の子牛よりひとまわり痩せていて小さい。

「牛乳なら人間も飲めるものだし、飲め」

 餓死か飲むかの二択を突きつけると、ようやくヘレナはバケツに頭を突っ込んで牛乳を飲みはじめた。

 体が牛だと食事も牛に寄せられるのか、他の子牛と変わらない量を飲み干した。

『悔しいけれど美味しいわ……』
「そりゃ、うちの牛乳はこの町の自慢だからな」

 俺が生まれる前は家が数軒しかないひなびた村だったらしいが、今では八百屋やパン屋が立ち並ぶ区画もあるし、小さいながらも学校がある。そこそこの町だ。

 全部の子牛が牛乳を飲み終えたのを確認して、飲み水を入れ替え、寝藁を敷きかえる。
 それからブラッシングだ。ヘレナ以外の子牛の毛を鉄ブラシで整える。こまめにブラシをかければ血行が良くなり毛づやも良くなる。

「お前に魔法をかけた人間、もっと詳しい情報はないのか? どこの貴族かわかれば雇った魔法使いを見つけて、魔法を解かせることもできるかもしれないだろ。俺は魔法ってものを詳しく知らないけどさ」
『そうですね……』

 鼻先を牛乳で真っ白にしながら、ヘレナは言う。

『シュメッターと名乗っていたのですが、その方の衣服、右肩にチョウチョみたいな刺繍があったような』
「シュメッターっていう名前で、右肩に蝶みたいな刺繍?」
『ええ』

 母さんが遠方にいる知り合いに聞くって言ってたし、このことも伝えておこう。
 ブラッシングが終わると、子牛たちはメェメェなきながら俺に鼻を押し付けて、顔をなめてくる。

『ゲラルトは慕われてるのね。その子達、ゲラルトはいつも優しくしてくれるから大好きって言ってるわ』
「牛の言葉がわかるのか」
『そうね。今は牛だからかしら?』

 心は人間のままでもだんだん牛に近くなっている、のだろうか。牛でいる時間が長すぎると人間に戻れなくなる、なんてことはないよな。不安になる。
 魔法の知識があればそういうこともわかったんだろう。

 子牛の世話を終えて母さんに伝えると、母さんはすぐに手紙をしたため、郵便屋に託してくれた。
 知り合いにヒューゴという第一人者がいるから、早ければ一週間以内に答えがわかるそうだ。

 素人に魔法のことはわからないし、母さんの知り合いの第一人者とやらを頼るしかない。



『外を見たいわ。この町の中を見せて』

 手紙を出してから二日目。ヘレナはずっと牛舎の中にいることに退屈して外出を希望した。
 仕方ないから、放牧の名目で外に出す。
 とたんに町のじいさんばあさん、ガキンチョにかこまれる。

「あれまぁゲラルト。牛を放牧地の外に散歩させてるなんて珍しいのぅ」
『牛じゃなくてヘレナです』
「兄ちゃん、この牛なでてもいい?」
『牛でなくヘレナです。力任せになでるのはやめなさ、いたた』

 他人にはメェメェとしか聞こえないからやめとけ。思っても、でかい独り言にしかならないから言葉を飲み込んだ。

 三日目には背中がかゆいからブラッシングしてほしいと言うし、牛乳ももう少し多めに飲みたいと言う。なんだかヘレナのワガママに付き合わされるのに慣れてきた。

「ヘレナ。人間に戻れたらまず何をしたい?」
『そうね。まずはあたしを保護してくれたあなたとご両親に恩返しをしたいわ。何をしてほしい?』

 まだ恩返しなんて言ってる。

「べつに礼が欲しくて助けたわけじゃないから、お前の好きに生きろよ」
『じゃあ、あなたのお嫁さんになってここの仕事を手伝うなんてのはどう? この村に年頃の女の子が少ないから、嫁のきてがないんじゃないかって大人牛たちが言っていたわ』

 牛にまで嫁の心配されてるのか、俺。


 四日目、もうそろそろ来てもいいんじゃないか。
 もとに戻れる方法、ヘレナを牛にした魔法使いは見つかっただろうか。


 五日目。
 うちに貴族が来た。
 田舎に似合わない豪奢な馬車から、老紳士が降りてきた。
 その後から剣士と、目深にフードをかぶった人物が降りてくる。
 ヘレナから魔法使いの特徴を聞いていたから、警戒してしまう。

「なんだあんた」
「わしはヒューゴ・ハリエラという。ゲルトルート……お主の母から名前を聞いてはおらんか」
「……じゃあ、あんたが第一人者?」

 聞き返すと、ヒューゴさんは白いあご髭をなでうなずく。

「うむ。シュメッター家に確認したら血相変えておった。牛にされた娘の言うことはまごうことなき事実じゃな。締め上げたら魔法使いの名を吐いたので連れてきた」

 よくよく見れば、ローブの人物、魔法使いは手首を拘束されている。一言もことばを発しないのは、猿ぐつわをかまされていたからだ。

 犯人の貴族を締め上げたって、何したんだこの爺さん。
 詳しく知らないほうがよさそうだ。

 牛舎に案内すると、母さんが持っていたかごを取り落とした。

「お父様!」
「ゲルトルートや。元気そうじゃな。レオンくんも」
「はい。このとおりレオンと、息子と元気にやっております」

 母さんが庶民らしからぬ優雅な動作でお辞儀をする。
 父さんも深々礼をしている。
 うちの両親なんなんだ。

「あいさつはよい。牛にされたという子のところに案内してはくれぬか」
「こっちだ」

 わからないことは考えるだけ無駄だな。
 ヒューゴさんたちを子牛小屋に連れて行く。

『きゃーーー! いやーーーー! あの魔法使いよ、間違いないわ!』

 小屋の中でヘレナが暴れ回る。

「落ち着きなさいお嬢さんや」

 ヒューゴさんに猿ぐつわを外された魔法使いは、ゼェゼェ荒い息を繰り返す。

「早く人間に戻せ。何か下手な真似をしたらグサリだ。わかっているな」

 剣士が魔法使いの背中に剣先をあてがう。

「無理だ」

 震えながら、魔法使いは言った。

「聞こえなかったのぅ。今なんと言った」
「む、無理なんだ。この魔法を解くのは、『真実の愛のキス』だけ。娘と相思相愛の人間が口づけしないともとに戻らない。これはそういう呪いだ。シュメッターは自分なら解けるから問題ない、かけろとーー」

 
 うっかり。ついうっかり、見ず知らずの魔法使いをぶん殴ってしまった。
 魔法使いは地面に転がって咳き込む。
 右の拳がイテェ。
 ぎろりと睨まれたが、殴ったことに対する罪悪感は微塵もわいてこない。


 ヘレナが最初に言っていたことは一言一句間違いないことだった。
 ヘレナに恋人はいないし家族ももういない。じゃあ誰が、ヘレナをもとに戻せるっていうんだ。
 誰が、牛相手に恋愛感情抱いてくれるっていうんだ。


『そんな、あたし、もう人間に戻れないの? そんなの嫌よ。なんであたしだったのよ!』

 悲痛な叫びは誰にも届かない。
 母さんいわく、波長が合わない、魔法を使えない人間には子牛がないているようにしか聞こえないから。

「シュメッターは、魔法適性のありそうな娘なら庶民でもなんでもいいと。自分の家に魔法使いが産まれるようにしたかったらしい」
『ふざけんじゃないわよ! あたしは! こんな目に遭わされるために生まれてきたんじゃないわ!』

 ヘレナの頭突きが魔法使いの腹にヒットした。

『ごめんなさいゲラルト。人間に戻って恩返しするどころか、あたし、死ぬまでここを離れられないかもしれない』

 喋ることすらできない、牛の姿で人間として生活するなんて不可能。
 貴族の、恋愛感情すら伴わない身勝手に巻き込まれて一生牛のまま。そんなのあんまりだろう。

「牛の一頭が増えたくらい、うちは負担でも何でもない。だからここにいればいいさ。そのうち他に方法が見つかるかもしれないだろう、諦めるなよヘレナ」

 俺はかがんでヘレナの頭を撫でる。

『ありがとう、ありがとうゲラルト』

 ヘレナは子牛たちがするようにすり寄ってきて、鼻先が口元に触れた。

 とたんに、まばゆい光がヘレナを包み込む。
 あたりから光が消えたとき、そこには人間の少女がいた。
 俺と同じか一つ二つ年上で、腰まで届く金髪。見開いた瞳は青。
 ……問題があるとすると、服を着ていない。

「あ、あたし、もとに戻れたの? 手が、足がある! 髪も、あたしの髪! あぁ、ありがとう、ありがとうゲラルト!」

 そのまんま俺に飛びついてきた。少女の声は間違いなくヘレナのもの。

「ちょ、ちょっと待てヘレナ! 服を着ろ、服を!」

 さすがに素っ裸の女の子に抱きつかれて平気な顔をできない。
 ヒューゴさんが羽織っていたマントをぬいで、素早くヘレナの肩にかけてくれた。

「ゲルトルートに言って服を用意させてくれ」
「かしこまりました、主様」

 すぐに母さんが服一式を持ってきてくれて、ヘレナは身支度を整えた。

 そして地面に転がされたままの魔法使いの頭をかかとで踏む。容赦なく、固いヒールでゴリゴリと。
 下手すると一生牛だったのだから、これでもまだ優しい報復だろう。

「そちらの方、ヒューゴさんだったわね。シュメッターは今どうなっているの?」
「事情聴取のため、騎士団の収容所に一時収監されておる」
「あたし、被害者として証言する権利はあるわよね。いきなり魔法をかけて牛に変えやがったドクズだって。この魔法使いも投獄してくれるのよね」
「もちろんだとも」
 

 実はこのヒューゴさん、俺の祖父なんだとか。
 母さんは貴族ハリエラ家の娘だったけれど、訳あって父さんと結婚するときハリエラ家を出て従兄弟に家督を任せた。
 たまに町に降りて俺たちが元気でやっているか確認するくらいで、望まれない限り口出しはしてこなかったそうだ。

「ごめんなさいね。ゲラルトが大人になったら話そうと思っていたの。私が貴族の生まれなんて言ったってピンとこないだろうし」
「……田舎の人間が知らないような変なことに詳しいなと思うことはあったから、むしろ納得した」

 納得はしたけれど、頭が追いついていない。

「ところで、あたしは今日からどこで暮らせばいいのかしら。まさかまた子牛の小屋に放り込んだりはしないわよね」

 初日に問答無用で子牛の寝床に投げ込んだことを根に持っているようだ。

「とりあえず家に帰ったらどうだ。隣町なんだろ。もとに戻れたら、恩返しなんて考えず好きに生きろって言ったろ」

 俺の答えが気に食わないのか、ヘレナは俺の胸ぐらをつかむ。背伸びして、口付けてくる。

「好きに生きろと言うのなら、前もって宣言していたとおりあなたの嫁になるわ。ここで一緒に働くの。だめなんて言わないわよね」
「……わかった、負けたよ。面倒見るって言っちまったからな」



 後にヘレナはシュメッターにされたことを証言し、徹底的に裁いてくれと訴えて、シュメッターと魔法使いは牢屋の住人となった。


 こうしてうちに、押しかけ女房がやってきた。
 よく笑いよく怒る、子牛みたいに元気に駆け回る少女だ。人間に戻れたあとも牛の声がなんとなくわかるらしく、体調不良をすぐに見抜く。

 どこで出会ったの、なんて人に聞かれたとき正直に答えるとみんなが驚く。
「市場で、牛と買い主として出会った」って。
 


END 
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