怪物の花嫁


 呪いを解くための同盟を組んだので、私はただの協力者としてここに住みます。

「私の部屋はどこですか。掃除したいです」
「三階の、階段を上がってすぐの部屋だ」
「わかりました」

 食事は……ああ、そうです。この人掃除を一切しないなら、絶対、料理もできないですよね。
 何を食べて生きているんでしょう。

「この様子だと、料理人が食事だけ作りに来る、なんてことはないですよね。入り口にあんなにほこりが積もっているんですもの」

「……この姿になってから、腹が空いたためしがないし、睡眠も必要なくなった。もう10年、なにも口にしていない。月一で父上が様子を見に来てくれるが、それ以外訪問する人間もいない」

「そうなんですね」

 アレクサンダーはともかく、私は普通の人間なので断食するわけにいきません。

 山野草でも煮込んでスープにしましょう。
 森の中なら野生のウサギやシカがいそうですし、肉に困りませんね。
 狩りは叔母に習いました。弓も猟銃も扱えますよ。


 一階の使用人部屋に掃除用具があったので、寝室の外に荷物を置いて掃除を開始しました。
 今日一日かけて、まずは私の寝室だけでも整えましょう。

 ちょっとテーブルにハタキをかけただけで舞い上がるホコリ。蜘蛛の巣もとって、窓を開けて外に出します。

 火をおこすためのマッチがある。
 ランタン用のオイルがある、生活用水を汲むための井戸もある。

 これなら最低限生活できます。


 床を掃いてモップで拭き、木目の輝きが見えました。
 店の掃除をいつもしていたので、慣れたものです。

 その間、アレクサンダーは廊下を右に左に行ったり来たり。じゃまくっさ……コホン。

「なにかご用ですか」

「俺はこの屋敷の主だ。俺がここにいるのは当然だろう」

「手伝わないならご自分の部屋に下がっていてもらえませんか。入り口に突っ立ってられると邪魔です」

「はぁ!? 妻が夫に対してそんな扱いして良いとおも……」

 文句たらたらなオオカミの手にぞうきんを押しつけます。

「自分の部屋に下がるのが嫌だというのなら掃除を手伝ってください。いくらなんでも、窓を拭くくらいできますよね」

 また怒鳴りそうになったけれど、アレクサンダーはしぶしぶ窓を拭き始めました。

 でも、窓ガラスを睨んですぐにぞうきんを投げ出してしまいました。

「やめた」
「なんでですか」
「お前の部屋が汚くても俺は困らん」

 たしかにアレクサンダーの部屋ではありませんが、腹立ちますねえ。
 結局、最後まで自分ひとりで寝室を掃除しました。

 馬車から降ろされた木箱に新品の寝具や服、しばらくの間の食料が入っていました。
 このぶんなら、動物狩りしなくてよさそうです。

 シーツを広げて布団をのせて、ようやく人間の住む部屋らしくなりました。
 この部屋以外は、まあ日々掃除していきましょう。

 お腹がすいてきたので、食材一式を確認して作れそうなメニューを考えます。
 芋、豆、マールー麦粉、トナリ羊の干し肉、それから調味料。

 今日は肉を使わないことにしましょう。
 芋と豆のスープくらいなら作れますね。

 調理場も掃除して豆スープを作りました。
 味見をしてみたらなかなか良いお味。さすが貴族様、食材は一級品です。

 私がスープを作る後ろで、やっぱりアレクサンダーは退屈そうに見ているだけ。

 28歳のでっかい子どもですね。

 食堂までは掃除しきれなかったので、キッチンで立ったままスープを飲みます。私、庶民ですし、立ち食いは気になりません。
 ハッ、隣に威圧感。
 アレクサンダーが私を見下ろしていました。

「なにかご用ですか」

「家の主を差し置いてお前だけ食べているのはおかしいと思わないか」

「お腹、空かないんですよね」

「腹は減らんがお前だけ食事をしているのは気に食わん」

「めんどくせーオオカミですね」
「なんだと」

 スプーンを持って飲めなさそうだから、カップに入れて渡します。
 アレクサンダー様は前足でカップの持ち手をつかんで、一息に流し込みました。

「せっかく作ったんだから味わってくれません」
「別に俺の勝手だろ」

 口に合わないと思うなら最初から食べないで欲しいです。
 開いた口の歯並びは人間のものに見えません。
 顔も前足も毛皮におおわれていて、どう見てもオオカミのそれですね。

 毛を剃ったら人間の部分が出てくるなんてご都合展開にはならないのでしょうか。

「あ、そうでした、呪いをかけた魔女の話をもう少し詳しく。大雑把にしか聞いてないので。魔女の話は呪いを解くヒントになりそうです」

 アレクサンダーは顔をしかめながら、ゆっくりと答えました。

「「これはお前の心の姿を映した魔法。真に人を愛し、真実の愛を得れば解ける」……だそうだ」

「つまり、俺様で身勝手が過ぎる醜い心が表層化したのが、今の姿ってことですか。人の心がないって。どうせその魔女さんに対してすごく無礼な振る舞いをして、お仕置きで魔法をかけられたんでしょうねえ」

「な、なぜわかった! その場にいたわけでもないのに!」

 想像つきますよ。
 私、会ってから一度も名前を呼ばれてませんし、失礼なことしか言われてないですもの。


「くっそう、あのババアめ! 絶対許さん! 見つけたら牢に放り込んでやる!!」
「そんな感じだから10年近くこのままだったのでは」
「うぐっ」

 大口開けてわめいていたけれど、前足で口を塞ぎました。

「俺に、どうしろと言うんだ」
「うーん……最善策は、その魔女さんに心から謝って呪いを解いてもらう。もしくは、聖人君子のような美しい心になるしかないですね」

「身分が下のものに頭を下げろと? なんで次期領主の俺がそんなことをしなければならない。上に立つ者は簡単に頭を下げてはいけないんだぞ」

「不必要なプライドを大事にしていたって、呪いは解けませんよ」

 この横暴な人が次の領主になるってすっごく嫌です。
 機嫌が悪いと重税を課しそうです。
 今の領主様にずっといてほしいです。

「結婚したって呪いが解けていないんだから、できることを一つずつやっていくしかないでしょう」
「ちっ。気に食わん」

 それがダメなんですよ、と言っても長年この性格だったようですし。
 残り1ヶ月でどうにかするしかないです。




 翌朝。
 私は起きてすぐ、キッチンに向かいました。
 軽く食べられるよう、支援物資に入っていた黒パンに焼いたベーコンを挟んで……と。誰かさんは物珍しそうに、私が料理するのを観察していました。ずっと観察しているのに、手伝ってくれないんですよね。


 朝食を終えたら掃除です。
 エプロンに三角巾をつけて、玄関ホールの窓を全開にします。

「玄関はお客様が最初に踏み入れる場所。だから今日は玄関ホールの掃除をします。はい、そこのアレクサンダー。ホウキ持って」

「呼び捨てするな。なんで俺にホウキを持たせる」

「1ヶ月後に離婚する予定とはいえ、今は妻。夫婦は対等です。様付けなんてしません。あなた、人間に戻ったときこんなホコリまみれの屋敷に貴族の令嬢を迎え入れるつもりですか? 外観を見た途端引き返しちゃいますよ」

「ならお前一人でっゲフぁ!!!!」

 ついうっかり、毛むくじゃらな腹にハタキをたたき込んでしまいました。

「私に全部押しつけて、自分は何もしないならそこの銅像と同じです。人間に戻りたいんじゃないんですか」

「…………ホウキって、どうやって使うんだ」

「やる気になってくれましたか。よかった。私だってさっさと離婚して実家の仕事したいんですよ。異国のスパイスはうちくらいしか扱ってないんですから」

 背中を丸めて玄関を掃く姿は哀愁が漂っています。

 私も手すりや窓枠に積もったホコリをはらっていきます。

 3時間ほど本気で掃除しました。
 アレクサンダーは足を投げ出して座り込み、しっぽをだらんを床に垂らしています。

「もう嫌だ。つかれた。腹が減った」

「その姿になってからお腹がすいたことないって言ってませんでした?」

「知るか。とにかく腹が減ったんだ」

「そうですか。じゃあお芋の皮むきお願いします」

「は!? 俺は料理なんかしたことない。それにそんなの料理人がすることだ」

 また文句言ってますね。ほんと、自分でしなければ食材を生のままかじるしかないんですけどわかってるんですかね。

「手伝わないなら、私は私の分しか作りません。生のままのニンジンでもかじっててください」

「本当にやなヤツだな」

「お互い様です」

 しぶしぶ立ち上がったアレクサンダー。

「お前、ばあさんみたいになってるぞ。料理の前に髪を拭け」

「わっぷ」

 頭の上にばさっとハンカチを落とされました。
 窓に顔を映してみると、私の肩に掛かる髪はホコリをかぶって真っ白。
 たしかにこのままでは料理にホコリが入ってしまいますね。素直に受け取ってホコリを拭います。

「ありがとうございますって、あれ!?」

 アレクサンダーは私を待たず、さっさと食堂に歩いて行ってしまいました。

 あらら、オオカミな後ろ姿……背中が昨日より小さくなってる?

 昨日は天井近くまでケモミミがあった気がするんですが、今は窓枠の上辺の高さになっています。
 オオカミってパン生地みたいに伸び縮みするものでしたっけ。


 気を取り直して、キッチン外の出入り口に座り、芋の皮むきを実演します。
 私は実家で毎日やっていたのでお手の物です。

「いいですか。包丁はこう持って、刃を指で押さえながら芋を回します」
「ぬぬぬ……」

 初挑戦のアレクサンダー。皮を分厚くむきすぎて、食べる部分がなくなりました。

「もうやめる」
「大丈夫、見込みはありますよ。1個で諦めないでください。私も5歳の時には指ごと切っちゃってました」
「そうか? ふん。そうだろう。俺は学院で成績は良かったからな」

 とたんに元気になって次の芋をむき始めました。
 この人ほめられると調子にの……でなく、伸びるタイプですね。

 

 料理する前に食堂のテーブル一角だけ磨いたので、そこに料理を運んでいただきます。
 黒パンにスープ。今日は干し肉を入れたので昨日以上においしいです。

 お隣の椅子にふんぞり返っていたアレクサンダーは、難しい顔をしながら食べています。

「つかぬ事をうかがいますが、あなたの味覚はオオカミよりなのでしょうか。それとも人間より? 場合によってはオオカミ向けの食事を用意しますよ。たぶん本に載っていると思うので」

「野ネズミを皿にのせるつもりなら、違うと言っておこう」

「そうですか。人間的な味覚なんですね」

 アレクサンダーが動くたびに、ごわごわした毛がゆれます。あ、毛玉。それになんだか臭い。
 全体からじわじわと、濡れたまま1ヶ月放置した服みたいな臭いがしています。

「お風呂はどうなさっていたんですか」

「入ってない。湯を沸かすやつがいないからな」

 まあそうなりますよね。
 トナリ王国は、庶民ですら週に1回はお湯を含ませた布で全身拭いて汗やアカを落とします。
 それを考えると、10年放置はなかなかチャレンジャーです。
 このひと、人間に戻ったとして、髪の毛ボサボサで肌は土気色、悪臭放ってそうですね。

「臭くないですか」

「お前、この俺が臭いだと!?」

「臭いです。獣臭ってレベルを超えて臭いです。自分で臭いなーってならないですか。オオカミって臭いに敏感ですし」

「嗅覚がないからわからん」

 次なるミッションはオオカミ子息をお風呂で洗うことに決定しました。
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