中の人にも祝福を!〜リアルで口下手すぎるライバーは、自分を変えたくて奮闘する〜
よし、今日は元気に挨拶。
いつもより1時間早起きして、洗面台の鏡の前で口角を上げる練習をした。
笑い慣れない人間の笑顔って変……。卑屈っぽいっていうのかな。
例えるなら、お代官様に揉み手で金色のお菓子を差し出す越後屋。
例えが古いって言わないでくれよ。おじいちゃんが毎日時代劇を見ていたから一緒に見ていたら覚えちゃったんだ。
コンビニで朝食のサンドイッチと牛乳を買って、いざ職場へ。
息を大きく吸ってから部署に入った。
「お、おはようございます!」
いつもより大きい声で挨拶できた。
古い事務机がずらりと並ぶ事務課に、僕の声がむなしく響く。
先に来ていたのは課長だけだった。
今年60歳になる課長は、ブルドックみたいに頬の肉がたれた人。分厚いガラスの眼鏡を指で押して、何度か瞬きした。
「ああ、おはよう。君、それくらいの声だせたんだね。いつもは蚊のような小さい声だろう」
見た目だけでなく、声まで小さいと思われていたのか僕、ハハハハ。
そりゃ空気になるよね、見えない上に声聞こえないんだもんね。
「えと、ちゃんと、普通の声で話せるように、なりたくて」
悪いことを言っているわけじゃないのに、怒られるような気がして……自然と視線が下に行ってしまう。
「そうかい。倉井さんはもう少し自信を持てるようにならないといかん。そんなに下ばかりみるんじゃないぞ。落とし物でも探しているのか?」
「あ、いえ……、なにも、探してないです」
心臓の音がうるさい。
自信が無いのはたしかに、仕事をする上でダメなのかもしれない、けれど。
なんだか今の自分を否定されている気がしてしまう。
「課長おはようございます! 倉井さんもおはよう」
同期の男性、田中さんが入ってきた。爽やかで明るい挨拶で、僕みたいに無理した挨拶じゃない。
「おはよう。今日も元気が良いねえ田中さん」
「おはよう、ございます、田中さん」
笑顔、練習した笑顔を作らないと。不自然じゃない、爽やかなやつ。
挨拶して、なにげない会話をして……
「倉井さん、これ今日の分ね。情報入力しといて」
「……はい」
もう雑談する空気じゃない。
僕は渡された紙のデータ入力に専念することにした。
仕事が終わってから、帰り道で一人反省会をする。
終業の時も挨拶をがんばってはみたものの、「え、なに。今月って挨拶強化月間だっけ?」と返されてしまった。挨拶月間でないと元気な挨拶できないと思われてるの、悲しすぎるだろーーー!
「はあ……なんで僕こんななのかなあ……」
がっくり肩が落ちてしまう。
演技でなく、クライスみたいな爽やか好青年になりたいよ。
「あれ、倉井? 倉井だよな」
路線バスから降りてきた青年が、気さくに話しかけてくる。
青年を見上げて、記憶の中を探る。明るい色の地毛と細い目元に見覚えがあった。
「もしかして、東堂 ?」
「そうそう。いやあ、成人式以来か?」
「うん。……背が伸びたね東堂。いいなあ」
高校の同級生、東堂だった。
クラスでも僕と同じ背の低い方で、160㎝無い仲間だった。卒業後にすこし伸びたみたいで、今や170㎝近くになっている。
僕もがんばって毎日牛乳を飲んでいれば、東堂くらいになるのかな。って、
「ああああ! そうだ。東堂。僕くらいのサイズの、良い感じの服屋を教えて!」
「……え?」
数年前まで僕とそう背が変わらなかった東堂なら、服も同じくらいのサイズのものを着ていたはずだ。
ウニの上下一枚だけじゃ、着替えがない。ウニor中学から着てるびろびろのTシャツ。
いくら洗濯してあるとはいえ、あの人私服毎日同じだよねって言われちゃう。
さすがに社会人としてまずい。
「どういうこと?」
「あ、ええと、……僕、私服が一枚しかないんだ。サイズ合うのがなくて。良い店知ってたら、教えてほしい」
「あー、そうだよな。紳士服の店って基本Mサイズからしかないもんな……。俺が行ってたメンズカジュアルが好みに合うかは分からないけど、いいぜ。今日は休みで時間があるし、案内する。そこであんまり合わないっていうなら、他にも候補がある」
東堂は久しぶりに会った同級生 の頼みを、めんどくさいなんて言わなかった。
そりゃ女子にもてるわけだよな。学生時代も毎日のように、病弱な子のサポートをしてあげてたし。
憧れるな、こういうとこ。
「ありがとう」
駅ビルのテナントに入っている店に連れて行ってくれた。
店内に並んでいるのは、ミリタリー系ファッションだった。迷彩柄だったりアーミーな感じだったり。
サイズは僕でも着ることができる。
すごくかっこいいけれど、問題は凡人な僕にこんなかっこいい服が似合うかどうかだ。
サマーセールと書かれているラックにつるしてあったジャケットを一枚とって胸の前に当ててみる。
「……こういう服が、似合うようになりたいな。じっさいは、服に着られてるけど」
「そう言うなよ倉井。誰にどう評価されるかじゃなくて、自分が好きかどうかで選べばいいんだよ。俺も高校の時それ、着てたけどさ、すっごい笑われたぜ。「チビなのにかっこつけてる」って。俺が好きで着てんだからいいじゃんかっての」
誰にとは言われなくてもわかる。東堂は女子の一人にやたらつっかかられていたから。
あの子、同窓会で東堂に告白してフラれてたっけ。意地悪いことを言うのは、好きの裏返しだったらしい。
僕もチビチビ連呼されたら根に持つから、東堂の気持ちはわかる。
「僕が着たいかどうか、かぁ」
そこのマネキンが着ているような、黒のカーゴパンツにジッパーつきパーカーが似合うようなかっこいい男に。うん。こういうかっこいいのってすごく憧れていた。スポーツドリンクのCMに出るような若手俳優も、こういう感じの洒落た服を着こなしている。
「うん。僕、こういう格好が似合うように、なりたい」
自信があって、背筋を伸ばしていて、かっこよくて、挨拶もさわやかで。
猫背気味な僕とさよならしたくて、東堂お勧めのものを数着購入した。
すぐに着たいと言ったらタグを丁寧にとってくれた。洗濯の注意事項が書かれているからと、捨てずに袋に添えてくれる。気配りが行き届いた店で、すごく気に入った。
服が詰まったショップバックを抱えて店を出る。
「ありがとう、東堂」
「いいってことよ。喉渇いたし、帰る前にそこでなんか飲もうぜ」
「あ、うん」
駅前の自販機で麦茶のボトルを買って、ベンチに並んで腰掛ける。
すっかり日が暮れて、空に星がまたたいている。薄くかかる雲を見上げて、東堂が聞いてくる。
「倉井はたしかパソコンの学校に行ったんだったよな。今ってなにしてんの?」
「事務員。東堂は、消防士、だったよね」
「ああ。訓練訓練で毎日筋肉が痛い」
「あはは」
数年前まで同じ教室で机を並べていたのに、全然違う未来を歩いている。
ふと、ゆっちと話していたことを思い出して、聞いてみる。
「デアル教授って覚えてる?」
「ああ! いたいた。最高記録30回だったな。1分半に1回は「で、あるからしてー」って言ってる計算になるぜ」
「すごく似てる」
東堂が教科書を持つポーズをとり、デアル教授のものまねをする。
先生の本名なんてすっかり忘れているのに、あだ名のほうだけ覚えている。僕らって悪い生徒だ。
こうして友達と話すなら、怖くないのにな。
職場となるとどうしても、足がすくんでしまう。
機嫌を損ねたらどうしよう、嫌われたら明日から仕事していけない。
そんな不安でいっぱいになってしまう。
「そうだ、ライン教えてくれよ。俺だいたい休みのとき暇してるからさ、よかったらどっか行こうぜ」
「あ、うん。よろしく」
スマホを出してQRコードを表示して、アカウント登録を済ませる。
帰りの電車が入ってきて、東堂と別れホームに駆け込む。
帰ったら配信しなきゃ。
挨拶作戦1日目は失敗しちゃったけれど、東堂と話せたからか、なんだか足取りが軽い。
ゆっちはどうだっただろう。
帰ったら聞いてみよう。
いつもより1時間早起きして、洗面台の鏡の前で口角を上げる練習をした。
笑い慣れない人間の笑顔って変……。卑屈っぽいっていうのかな。
例えるなら、お代官様に揉み手で金色のお菓子を差し出す越後屋。
例えが古いって言わないでくれよ。おじいちゃんが毎日時代劇を見ていたから一緒に見ていたら覚えちゃったんだ。
コンビニで朝食のサンドイッチと牛乳を買って、いざ職場へ。
息を大きく吸ってから部署に入った。
「お、おはようございます!」
いつもより大きい声で挨拶できた。
古い事務机がずらりと並ぶ事務課に、僕の声がむなしく響く。
先に来ていたのは課長だけだった。
今年60歳になる課長は、ブルドックみたいに頬の肉がたれた人。分厚いガラスの眼鏡を指で押して、何度か瞬きした。
「ああ、おはよう。君、それくらいの声だせたんだね。いつもは蚊のような小さい声だろう」
見た目だけでなく、声まで小さいと思われていたのか僕、ハハハハ。
そりゃ空気になるよね、見えない上に声聞こえないんだもんね。
「えと、ちゃんと、普通の声で話せるように、なりたくて」
悪いことを言っているわけじゃないのに、怒られるような気がして……自然と視線が下に行ってしまう。
「そうかい。倉井さんはもう少し自信を持てるようにならないといかん。そんなに下ばかりみるんじゃないぞ。落とし物でも探しているのか?」
「あ、いえ……、なにも、探してないです」
心臓の音がうるさい。
自信が無いのはたしかに、仕事をする上でダメなのかもしれない、けれど。
なんだか今の自分を否定されている気がしてしまう。
「課長おはようございます! 倉井さんもおはよう」
同期の男性、田中さんが入ってきた。爽やかで明るい挨拶で、僕みたいに無理した挨拶じゃない。
「おはよう。今日も元気が良いねえ田中さん」
「おはよう、ございます、田中さん」
笑顔、練習した笑顔を作らないと。不自然じゃない、爽やかなやつ。
挨拶して、なにげない会話をして……
「倉井さん、これ今日の分ね。情報入力しといて」
「……はい」
もう雑談する空気じゃない。
僕は渡された紙のデータ入力に専念することにした。
仕事が終わってから、帰り道で一人反省会をする。
終業の時も挨拶をがんばってはみたものの、「え、なに。今月って挨拶強化月間だっけ?」と返されてしまった。挨拶月間でないと元気な挨拶できないと思われてるの、悲しすぎるだろーーー!
「はあ……なんで僕こんななのかなあ……」
がっくり肩が落ちてしまう。
演技でなく、クライスみたいな爽やか好青年になりたいよ。
「あれ、倉井? 倉井だよな」
路線バスから降りてきた青年が、気さくに話しかけてくる。
青年を見上げて、記憶の中を探る。明るい色の地毛と細い目元に見覚えがあった。
「もしかして、
「そうそう。いやあ、成人式以来か?」
「うん。……背が伸びたね東堂。いいなあ」
高校の同級生、東堂だった。
クラスでも僕と同じ背の低い方で、160㎝無い仲間だった。卒業後にすこし伸びたみたいで、今や170㎝近くになっている。
僕もがんばって毎日牛乳を飲んでいれば、東堂くらいになるのかな。って、
「ああああ! そうだ。東堂。僕くらいのサイズの、良い感じの服屋を教えて!」
「……え?」
数年前まで僕とそう背が変わらなかった東堂なら、服も同じくらいのサイズのものを着ていたはずだ。
ウニの上下一枚だけじゃ、着替えがない。ウニor中学から着てるびろびろのTシャツ。
いくら洗濯してあるとはいえ、あの人私服毎日同じだよねって言われちゃう。
さすがに社会人としてまずい。
「どういうこと?」
「あ、ええと、……僕、私服が一枚しかないんだ。サイズ合うのがなくて。良い店知ってたら、教えてほしい」
「あー、そうだよな。紳士服の店って基本Mサイズからしかないもんな……。俺が行ってたメンズカジュアルが好みに合うかは分からないけど、いいぜ。今日は休みで時間があるし、案内する。そこであんまり合わないっていうなら、他にも候補がある」
東堂は久しぶりに会った
そりゃ女子にもてるわけだよな。学生時代も毎日のように、病弱な子のサポートをしてあげてたし。
憧れるな、こういうとこ。
「ありがとう」
駅ビルのテナントに入っている店に連れて行ってくれた。
店内に並んでいるのは、ミリタリー系ファッションだった。迷彩柄だったりアーミーな感じだったり。
サイズは僕でも着ることができる。
すごくかっこいいけれど、問題は凡人な僕にこんなかっこいい服が似合うかどうかだ。
サマーセールと書かれているラックにつるしてあったジャケットを一枚とって胸の前に当ててみる。
「……こういう服が、似合うようになりたいな。じっさいは、服に着られてるけど」
「そう言うなよ倉井。誰にどう評価されるかじゃなくて、自分が好きかどうかで選べばいいんだよ。俺も高校の時それ、着てたけどさ、すっごい笑われたぜ。「チビなのにかっこつけてる」って。俺が好きで着てんだからいいじゃんかっての」
誰にとは言われなくてもわかる。東堂は女子の一人にやたらつっかかられていたから。
あの子、同窓会で東堂に告白してフラれてたっけ。意地悪いことを言うのは、好きの裏返しだったらしい。
僕もチビチビ連呼されたら根に持つから、東堂の気持ちはわかる。
「僕が着たいかどうか、かぁ」
そこのマネキンが着ているような、黒のカーゴパンツにジッパーつきパーカーが似合うようなかっこいい男に。うん。こういうかっこいいのってすごく憧れていた。スポーツドリンクのCMに出るような若手俳優も、こういう感じの洒落た服を着こなしている。
「うん。僕、こういう格好が似合うように、なりたい」
自信があって、背筋を伸ばしていて、かっこよくて、挨拶もさわやかで。
猫背気味な僕とさよならしたくて、東堂お勧めのものを数着購入した。
すぐに着たいと言ったらタグを丁寧にとってくれた。洗濯の注意事項が書かれているからと、捨てずに袋に添えてくれる。気配りが行き届いた店で、すごく気に入った。
服が詰まったショップバックを抱えて店を出る。
「ありがとう、東堂」
「いいってことよ。喉渇いたし、帰る前にそこでなんか飲もうぜ」
「あ、うん」
駅前の自販機で麦茶のボトルを買って、ベンチに並んで腰掛ける。
すっかり日が暮れて、空に星がまたたいている。薄くかかる雲を見上げて、東堂が聞いてくる。
「倉井はたしかパソコンの学校に行ったんだったよな。今ってなにしてんの?」
「事務員。東堂は、消防士、だったよね」
「ああ。訓練訓練で毎日筋肉が痛い」
「あはは」
数年前まで同じ教室で机を並べていたのに、全然違う未来を歩いている。
ふと、ゆっちと話していたことを思い出して、聞いてみる。
「デアル教授って覚えてる?」
「ああ! いたいた。最高記録30回だったな。1分半に1回は「で、あるからしてー」って言ってる計算になるぜ」
「すごく似てる」
東堂が教科書を持つポーズをとり、デアル教授のものまねをする。
先生の本名なんてすっかり忘れているのに、あだ名のほうだけ覚えている。僕らって悪い生徒だ。
こうして友達と話すなら、怖くないのにな。
職場となるとどうしても、足がすくんでしまう。
機嫌を損ねたらどうしよう、嫌われたら明日から仕事していけない。
そんな不安でいっぱいになってしまう。
「そうだ、ライン教えてくれよ。俺だいたい休みのとき暇してるからさ、よかったらどっか行こうぜ」
「あ、うん。よろしく」
スマホを出してQRコードを表示して、アカウント登録を済ませる。
帰りの電車が入ってきて、東堂と別れホームに駆け込む。
帰ったら配信しなきゃ。
挨拶作戦1日目は失敗しちゃったけれど、東堂と話せたからか、なんだか足取りが軽い。
ゆっちはどうだっただろう。
帰ったら聞いてみよう。