ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜

 今日はサーディクとエウフェミアの披露宴。
 マラ教に則って男女別の部屋で執り行われている。
 ルゥルアとイーリスも、エウフェミアの披露宴に参加している。

「おめでとう、エウフェミア。幸せになるんだよ」
「あ、ありがとう……」

 ナジャーに祝福され、照れるエウフェミア。
 薄く黄色みがかった白の布地にアラベスク模様の刺繍がされた婚礼衣装は、ナジャーが結婚する際着ていたもの。
 いつか娘が生まれたら使ってほしいと思って取っておいたものの、子は男のアムルだけ。だからぜひエウフェミアにと言ってくれたのだ。

 エウフェミアはいつも兵装をしているため、慣れないドレスに戸惑っている。

「うぅ、自分が自分じゃないみたい。こんなかっこう、どこかおかしくないか。あたしが着ても仮装みたいじゃ……」
「どこもおかしくないわよエウフェミアさん。とっても似合っているわ。サーディクだって『嫁が可愛すぎて困る』って舞い上がっていたじゃない」
「そう、か……」

 ほめ殺しされて真っ赤になる。
 イーリスは二人の横で、振る舞われた料理をせっせと口に運んでいる。

「ふぅ〜。誰にも咎められないでお腹いっぱい食べられるのって本当にしあわせ……。大口開けるなだの作法に則れだの、食べた気がしないもの」

 リスのように頬にお菓子を詰め込む姿を見て、誰が元お姫様だと思うだろう。ルゥルアは楽しげなイーリスを見て微笑む。

「そうね。わたしもファジュルも、毎日大変。イーリスさんの気持ちはよくわかるわ。貴族や他国の来賓があるときはきちんとした振る舞いをできるようにしなさいって」

 なにせ貧民暮らしが長いため、王族の作法などとは無縁。とくにファジュルは王になって以降、ラシードにより毎日作法の授業をされている。
 食事の作法から立ちふるまい、儀式などを行うときの言葉遣い。ルゥルアも体に負担のかからない程度に作法の勉強をしている。

 護衛をしているエウフェミアも、そばで見て知っているのでため息まじりだ。

「あれは見ている方も疲れるわ」
「そうよ。王族らしくなさいっていうのはとってもとーっても疲れるの! 平民バンザイよ」

 二人が大変さを理解してくれたので、イーリスはご機嫌だ。

「平民でも、最低限のマナーは守ってくださいませ。イーリスが無茶したら止めるようにとヨハン先生から言われております。頬に物を詰め込むのはお行儀が悪いですよ」
「そんなぁ」

 王族暮らしから開放されたからといって、無作法していいとは限らない。思わぬ方向から釘をさされて、イーリスは焼き菓子を取ろうとした手を引っ込める。

 こどもみたいな反応を見て、ルゥルアは微笑ましくなる。

「イーリスさんは今日のエウフェミアさんを見て『私も結婚したいな』なんて思わない?」
「そうね……。ガーニムに無理やり婚約者を決められたこともあるから、結婚に夢を持てないの」

 結婚と言われると嫌な思い出のほうが先に立つため、イーリスは自分が幸せな花嫁になる姿を想像できずにいる。
 【王女シャムス】の苦労を察してしまい、ルゥルアもエウフェミアもかける言葉が見つからない。

「あ。でも、ルゥルアやエウフェミアみたいに、頼れる人がいるのは素敵だと思うわ」

 二人がしんみりしてしまったのを察して、とっさにとりつくろう。

「そうね。イーリスさんも早く気づくといいね」
「気づくって、何に?」
「イーリスさんが気づいていないだけで、相手はもうそばにいると思うの」
「そう、なの?」

 ルゥルアに返されて、イーリスは首を傾げた。
 イーリスたちのやり取りを見て、ナジャーはクスクスと笑う。

 イーリスは王女だった頃、友だちが居なかった。
 王族とは人の上に立つものであり、誰かの隣に並ぶものではないと思って生きていたから。
 でも本当は、侍女や兵たちが名で呼び合うのを見ていて、気を許せる関係というのにとても憧れていた。

「そう。だから私はいま、すっごく幸せなの。ルゥルアとエウフェミアがいてくれて嬉しい」
「わたしも、イーリスさんとエウフェミアさんとお話するの楽しくて好きよ」

 にこにこと笑顔を交わすルゥルアとイーリス。それからエウフェミアに視線を向ける。
 何か期待されていると察して、エウフェミアは後ずさる。

「エウフェミアも楽しいって思ってくれていると嬉しいわ」
「ね、ね。エウフェミアは楽しい?」
「どうしても言わなきゃいけないのかい? あたしこういうの苦手……」

 ルゥルアとイーリスに左右からはさまれて、逃げ場をなくした。

「楽しそうな余興をしているじゃないか。あたしたちの出番はなかったかな」

 ヘラが楽器を抱えた女性を伴い会場にはいってきた。ヘラが連れているのは旅一座の仲間だ。
 ディーが「披露宴に出し物を」、ということでツークフォーゲル一座を呼んでいた。
 男性陣の披露宴は、ディーとヨアヒムが催し物をしている。

「わぁ。ヘラさんが演奏してくれるのね。そういえば一度も見たことがないわ。楽しみ」
「なら期待に答えないとね。披露宴だから恋の曲がいいかな。リーン、あれでいこう」

 ヘラは一座の女性と共に披露宴会場の真ん中に立ち、シタールという弦楽器をかき鳴らしながら歌う。楽士の女性は横笛を吹く。

 跳ねるような軽やかなメロディー。ときにゆったりと、切ない響きを混ぜる。
 みんなうっとりと聞き惚れて、曲が終わると賛辞が飛び交う。

 エウフェミアもすっかり聞き惚れていた。

「あたしは剣舞のほうが得意なんだけど、さすがに披露宴に剣を持ち込むのは縁起悪いからね。楽しんでもらえたかい、花嫁さん」
「あ、ありがとう。こんないい曲を聞いたのは初めてだ。楽士というのはすごいんだな」
「それは何よりだ」

 日が落ちる頃宴がおわり、解散となる。
 ルゥルアも侍女が迎えにきて、城に戻った。
 今日のエウフェミアは護衛でなく花嫁なので、このあとはサーディクと暮らす夫婦用の寮に帰ることになっている。

 いつもは勇ましいのに、披露宴会場を出るエウフェミアは緊張で震えている。
 イーリスはそんなエウフェミアの横顔を見上げて聞く。

「エウフェミア、怖いの?」
「……わからない。あたしは気づいたらもう戦場でナイフを握っていたから。結婚して家庭を築く日が来るなんて、考えたこともなかった。たくさんのものを斬って生きてきたあたしが、普通に生きることなんてできるのかな」

 不安を口にする今のエウフェミアは、戦士ではない。イーリスとなにも変わらない少女に見える。

「あのね、ルゥルアが言っていたの。一人ではできないことでも、力を合わせたらなんとかなるって。エウフェミアはひとりじゃない。サーディクが一緒に家庭を築いてくれるでしょ」

 女としての幸せを得られるなんて思っていなかったエウフェミアに、唯一声をかけてきたのがサーディクだ。

 お調子者で、みんなに笑顔を振りまいて、エウフェミアとは真逆に位置する人間。反乱軍に参加しなかったら一生言葉をかわすこともなかっただろう人種。最初はすごく苦手だった。

 けれど、戦場でエウフェミアをかばい、マフディに立ち向かった姿を見て、少しだけ見直した。
 さらに「マフディを殺したのは自分だから、エウフェミアを罪に問わないでくれ」とファジュルに頭を下げた。
 ただのお調子者のバカではなかった。

 気づけばいつもエウフェミアの視界に入ってきて、エウフェミアのことを知りたいといろんなことを聞いてくる。
 サーディクに会うまでは任務のことしか考えてこなかったのに、余計なことを考える時間が増えた。

 これまで、女らしくない自分の格好を気にすることもなかったのに。
 普段のエウフェミアをかっこいいと言って褒めるし、今みたいなドレスを着たらスゲー可愛いと褒めちぎる。
 サーディクがいると、悩んでいるのが馬鹿らしく思えてくる。
 心が乱れるのと同時に、何故か安心も覚える。

「……そう、ね。サーディクがいると退屈はしないと思う。あたし一人だと笑うこともないから」

 エウフェミアはこれから訪れるであろう賑やかな結婚生活を想像して、口元を緩める。

「エウフェミア、嬉しそう。私もそんなふうに誰かを思える日が来たらいいなぁ」
「大丈夫だよ、イーリスなら」



 イーリスは家路を行くエウフェミアの背中を見送る。
 自分もそろそろ帰らないと、ヨハンが心配する。イーリスは父と一緒に開拓中のスラムで暮らしているため、夜道は暗い。

 ランタンでも借りてくれば良かったかなと考えていたところ、背後から軽やかな足音が近づいてきた。
 振り返らなくてもわかる特徴的な足音だ。

「イーリス。こっちは終わったから一緒に帰ろー」
「ディー」

 ディーの手には灯りをともしたランタンがある。
 ゆらゆらゆれる灯りのなか、二人で家路をいく。
 男性陣の披露宴では、サーディクが浮かれすぎて転んだ、なんて話を面白おかしく語りだす。

 ふとディーの横顔を見上げ……そう、見上げている。
 出会ったとき同じ背丈だったのに、いつの間にかディーはイーリスより背が高くなっていた。声も少し低くなったような気がする。
 エリックの言っていたことを思い出してしまい、慌てて視線を足元にする。

「なに、イーリス。ぼーっとしてどーしたのさ?」
「な、なんでもない」

 ディーがダニエラと結婚してしまったら、イズティハルを離れて、もうこんなふうに夜道を送ってくれることもなくなる。そう考えて、イーリスは心のどこかで落ち込んでしまった。



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