ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜

「エウフェミア、オレと結婚してくれ!」
「すまないが少し考えさせてくれ」

 プロポーズから答えるまでの時間およそ二秒。
 風の速さで、サーディク二十回目のプロポーズは終わった。

 さっさと立ち去るエウフェミア。撃沈して座り込むサーディク。

 ファジュルが王になって後、二日に一度は見られる光景のため、もはや兵たちも慣れっこ。「アイツまたやってるよ」と話のネタにされる程度になった。
 通りすがりのオイゲンに鼻で笑われる。

「馬鹿なのかサーディク」
「いや、オレは本気だ!」

 拳を握り力説している。本気なのはけっこうだが、時と場合を全く考えていないため振られるのもやむなし、とオイゲンは思う。

「これからルゥルアの護衛の時間なんだから、話を聞いている暇なんてないに決まってんだろう」
「うぅ……ゴモットモデス」

 朝の出勤時間帯に言うのはただのアホだとくり返し言われ、サーディクは床とお友達になった。
 誰かがそんなサーディクの頭を叩く。

「勉学の時間だ。書類の読み書きができないと職務にも差し障るから、はやく文字を覚えてくれないか」

 ハキムが無表情にサーディクを見下ろしていた。ハキムは先日療養が終わり、無事復職した。
 サーディクはこのハキムの隊に配属されたため、時間通りに動かないとハキムがま捕まえに来る。

「ふぁい……」
「軍での受け答えは了解、だ」
「りょうかいです」

 傷心のサーディクにちっとも優しくしてくれない。
 ウスマーンは絶対、わかった上でサーディクをハキム隊に入れた。

「じゃ、俺は行くからせいぜい頑張れ」
「つめた!」

 オイゲンは別部隊所属のため、さっさと持ち場に行ってしまった。


 ハキムに引きずられるようにして、兵舎の空き会議室に放り込まれる。
 サーディクの他にも数名、スラム育ちの者が兵に志願したため、同じ会議室にいる。それからユーニスも当たり前のようにちょこんと兵たちの中に座っている。

「ようやく来たかサーディク」

 教官はアムルだ。アムルなら貧民に対する偏見がないからと、文字の読み書きを教える教官に抜擢された。教本を片手に板書する姿は、若かりし頃のラシードそっくり。

「──というわけで、我が国の文字はこの二十八種の文字を組み合わせて構成されている。書面で使うことが多い単語は優先して覚えるように。例えば……」

 みんな真面目にアムルの話に耳を傾け、手元の黒板に書いていく。サーディクも手持ちサイズの黒板を手に取り、アムルが大黒板に書いたものを模写する。

 この生活になって一月と少し。全く文字が読めない状態だったサーディクでも、書類を見るといくつかの単語を理解できる程度にはなってきた。

「アムル、みて。おれちゃんと名前書けるようになった」

 ユーニスが嬉嬉として黒板を持ち上げる。
 ミミズが這ったようなヘロヘロのそれを、まわりの者たちは微笑ましく見守る。

「上手いぞ、ユーニス。よく頑張ったな」
「へへへ。おれ、もうすぐお兄ちゃんになるんだから、これくらいとーぜんだ」

 ファジュルとルゥルアの子が生まれるのは、あと六ヶ月ほど先の話だ。ユーニスはいいお兄ちゃんになるつもりで今から張り切っている。 

 日が高くなるまでみっちりと勉強して、頭と目と指が疲れてきた。
 兵舎内にある食堂で食事を摂ったら夕刻まで中抜け。夕刻から夜まで見張りの任務につく。

 スラムでスリをやっていた頃よりずっと大変だけど、充実感のある日々だ。
 エウフェミアに思いが届かないのだけが残念でならない。

「ううーん。時間がだめなら朝以外で言わないとなのか……」

 パン片手に考え込んでいると、オイゲンが来た。彼もまたこの時間が休憩だ。
 自分の食べる分食事を受け取ると、空席だったサーディクの向かいに腰を下ろす。

「まだ言ってるのか」

 プロポーズ失敗のことを指していると嫌でもわかった。

「ははは。今日もだめだったぜ……。オレはこんなにもエウフェミアのこと好きなのに」
「空回りしてんな、ほんと。お前一方的に追いかけるだけでエウフェミアの気持ちを全然聞こうとしねーんだもん」
「でも、うかうかしてると他のやつにかっさらわれそうでさ」

 エウフェミアはイズティハルはじまって以来、初めての女兵士だ。

 しかも王が指名して王妃の専属護衛に指名したから、出世街道の頂点。侍女たちから強くてカッコイイ憧れのお姉様として羨望の視線を浴びている。

 若い兵たちからも、強くて頼れる姉御として注目されている。エウフェミアいいな、と言っているヤツは両手足の指の数を超える。

 もともと兵として働く彼らに比べたら、貧民あがりのサーディクなんて足元の小石みたいなもんだ。

「脈なしなら絶対に嫌って言うだろ。エウフェミアだぞ? 考えさせてくれって言うならエウフェミアが返事をするまで待てばいいじゃねえか」

 さすが傭兵としての付き合いが長いだけある。オイゲンの言うことは正しい。

「そ、そうだな。オレ、焦りすぎていたみてぇだ」

 エウフェミアが返事をくれるまで待てばいい。そんな単純なことに気づけないなんて本当に馬鹿だ。


 それから七日、サーディクは結婚してくれと叫びたいのを我慢して、極力エウフェミアと会わないようにした。

「お前があのばかげた告白劇をやらないなんて、頭でも打ったのか?」と他の兵から心配されたのはどういう意味か考えるのは止そう。


 十日目には、ついにファジュルからも心配された。執務室の見張り番にまわされたとき、ファジュルが書類を片付けながら聞いてくる。

「サーディク。体調を崩しているのか?」
「え、オレはいたって元気なんだけど」
「ならいいんだが。ルゥルアも心配していた」

 ルゥルアにまで心配されるのは本当に何なんだ。エウフェミアがルゥルアの護衛をしているから、サーディクとエウフェミアのことはファジュルたちに筒抜けと思ったほうがいい。

「喧嘩をしているなら本人同士で解決してくれよ。仕事に支障が出ないように」
「喧嘩なんてしてねーって」
「サーディクのことだから、スラム時代の元恋人にでも詰め寄られてエウフェミアを巻き込んだのかと」
「ないない」

 サーディクはスラムにいた頃、女関係のトラブルでファジュルに助けを求めたのも一度や二度じゃなかった。
 疑られるのも無理はない。
 過去の愚かな自分に張り手を百発食らわしたい。

「ならなんであたしを避けてんだこの馬鹿!」
「あだ!!」

 背後から思い切りなぐられた。

 振り返るとそこにはエウフェミアと、ルゥルアがいた。

「なんでエウフェミアが怒ってるんだ」
「それはこっちが聞きたい。あたしが何をしたってんだ」

 エウフェミアがサーディクの襟首を掴んで、思い切り揺さぶる。
 
「あんだけ結婚しろ結婚しろと迫っておいて急にあたしを避けて。他に結婚相手が決まったならそう言えばいいだろ!」
「ま、まってくれよ、オレが結婚したい相手はエウフェミアだけだ。オイゲンが、告白のタイミングが悪すぎるからエウフェミアが答えるまで待てって言ったから……」
「はぁ!?」

 事の真相を知ると、エウフェミアはいきなり掴んでいた手を離した。床に投げ出される形になったサーディクはとっさに受け身を取る。 

「あたしが告白の返事をするまで会わないつもりだったってこと?」 
「そういうこと」

 サーディクが笑うと、エウフェミアが無言でサーディクの頭を叩いた。

「答えを聞いてもいいか、エウフェミア? オレの嫁さんになってくれないか」
「そ、それは……」
「はいって言うか頷くかすればいい。嫌ならもう仕事以外で話しかけないから」


 嫌なら嫌だとハッキリ答えるエウフェミアが、顔を真っ赤にしてだまりこむ。
 はいと言うのはプライドが許さないらしく、ゆっくり頷いた。
 どうしよう、エウフェミアがすごくかわいい。
 戦場を駆け回る凛々しさとはまた違った魅力を発見だ。

「へへ。これからも宜しくな、エウフェミア」
「う、うるさい!」

 

 ぱちぱちと拍手が聞こえて我にかえる。

「ようやく収まったか」
「エウフェミアおめでとう〜」

 国王夫妻からの祝辞をもらって、エウフェミアが声なき声をあげる。

「エウフェミアさん、契約式と披露宴はいつ挙げるのかしら。わたしもお呼ばれしていい?」
「ま、まってルゥルア。あたしが披露宴? あたしはずっと男連中に混じって傭兵やってたのに、そんな、そんな女の子らしいもの……似合うわけ」
「絶対に似合うわ。エウフェミアさんはとても綺麗だもの」

 ルゥルアに聞かれておろおろするエウフェミアがかわいすぎる。

「よかったなサーディク。エウフェミアならしっかり者だから、今みたいにお前が馬鹿やったときに止めてくれる」
「ハハ……返す言葉もねぇ」

 遠慮なしに拳で打たれた頭がまだ痛い。


 そんなわけで、ひと月後、サーディクはエウフェミアと正式に結婚することとなったのである。




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