ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜

 スラムでは、反乱軍の仲間たちが王国軍の侵攻をおさえていた。
 剣と槍がぶつかり合う音と怒声が響きわたる。
スラム奥に避難していた者たちは身を寄せ合って震える。

 ルゥルアはラシード、ナジャー、ヨハン、ユーニス……戦いに参加することのできない仲間と祈っていた。ファジュルたちならきっと勝てる。
 スラムを守るために戦ってくれている者たちも、誰一人欠けることのないようにと願う。

 不意に、ドン、という乾いた音が三発響いた。
 剣戟の音とは全く質の違う音。空から聞こえてきたような。
 まわりにいる人たちもハッとして空を見上げる。
 少し間を置いてまたドン、ドン、ドンと三回鳴る。
 空には音源のものか、小さな煙の塊が音の数だけ浮いている。

「王国軍で使われている号砲だ」

 ラシードが空を見上げながら言う。

「この数は王国軍の降伏を意味する。勝ったんだ、ファジュルが」
 
 それを聞いて、不安で沈んでいた人たちの顔が一気に喜色で満たされる。
 ある人は肩を組み、ある人は歌い、ある人は涙する。

「やったんだ!」
「ファジュルが勝った! 反乱軍の勝利だ!!」
「これで、私たちは人としてこの国にいられるのね!」


 ルゥルアも胸がいっぱいで、目頭が熱くなる。
 ユーニスが両足でとびはねて、ルゥルアのまわりをまわる。
 
「よかったね、ルゥルア姉ちゃん! ファジュル兄ちゃん帰ってくるよ!」
「そうね、ユーニス。よかった、本当に」

 ヨハンも喜びスキップする人たちに手を取られ踊りの輪に放り込まれている。

 スラムに押し寄せていた兵たちも敗北を知り、退いているようだ。剣戟の音はいつしか止み、人々の喜びの声だけがスラムを満たした。

 ほどなくして前線に出ていた反乱軍が帰還する。

「ふふふ! オレって強いから楽勝だったぜ」
「すごいよサーディク! 惚れ直しちゃった。またウチと付き合わない?」
「だめよ、サーディクはワタシの旦那様になるんだから!」
「いいえ、わたしと!」

 サーディクのかつての恋人たちが、よりを戻そうとサーディクにすり寄っていく。
 反乱軍結成のとき、「勝ってハーレムを作るぜイエーイ」と息巻いていたので、目標達成じゃないだろうか。

「ふぅん。良かったじゃないサーディク。ハーレムでも作れそうね」

 エウフェミアにいつもより格段に冷たい視線を送られ、サーディクが震え上がった。
 王国兵と戦うときですらここまで怯えない。

「聞いてよルゥルア〜。サーディクってばおっかしいんだよ! 勝ったってわかった途端エウフェミアに抱きついて結婚してくれー! ってプロポーズしてさぁ。エウフェミアが答えを保留している間にこの事態」
「……うーん。サーディクらしいね」

 ディーが状況説明しながらケラケラと笑う。
 他人の修羅場が笑いのタネになるタイプらしい

「オレにはエウフェミアだけって言ったのも口だけのようね。プロポーズもお断りするわ」
「だーー! 待ってくれー!」

 足早に立ち去るエウフェミア、真っ青になるサーディク。過去の女遊びが原因なので、サーディクは半泣きだ。

「ごめんサーヤ、シヴァ、クタイバ。オレはエウフェミアと結婚したい。だからもうきみたちと付き合えない」

 深々と元恋人たちに頭を下げて、エウフェミアを追っていった。
 ディーが二人を目で追い、笑いをかみ殺しながら聞いてくる。

「くっつくと思う? 振られると思う?」
「あのね、ディー。人の恋路を笑うのは良くないわ。本人たちが解決する問題よ」
「うへぇー。姉貴みたいなこと言わないでよ、ルゥルア」
 
 こうやって人の惚れたはれたをネタにするたび、ヘラに怒られているんだなというのが今の一言で察せられた。このぶんだとディーは、一生お姉さんに頭が上がらない気がする。


 みんなが喜んでいるなか、外に続く道がひときわ騒がしくなった。

「おかえり」「やったな!」「ありがとう!」と誰かをねぎらう声がそこかしこから飛んでいる。


 期待に胸が踊る。人々の輪が割れて、ルゥルアの前に道ができる。そこを待ち人がかけてくる。

「ルゥ!」
「ファジュル!」

 ファジュルが両手を広げ、ルゥルアを抱きしめる。ルゥルアもファジュルの背をぎゅっと抱く。
 温かい。触れ合う肌を通して鼓動の音がしっかりと聞こえる。
 ファジュルが生きている証だ。
 嬉しくて涙があふれる。

「ファジュル、おかえりなさい。怪我はない?」
「ただいま、ルゥ。俺もみんなも、かすり傷程度だ。……それに、ガーニムも」

 ガーニムの名前が出で、まわりにいた人たちが耳をそばだてたのが感じ取れる。

「どう、なったの?」
「玉座を退いてもらうことに決まった。イスティハールの家から除籍したから、もう彼は王族ではない。平民だ。ガーニムに子が生まれても、その子に継承権がいくことはない」

 継承争いで両親と祖父を失ったからこそ、ファジュルは余計な争いが起きる前に取り決めをした。

「良かった。ファジュルが殺す道を選ばなくて、わたし、なんだかすごくホッとしているの」

 ガーニムがスラム救済の法案を無かったことにした。だからスラムは荒廃したままだった。
 だからといって、ガーニムを殺したところで、貧民が全員裕福になるわけではない。

「……マッカがガーニムとともに有りたいと言ったから。彼女が支えているなら、ガーニムはもう無謀なことはしないと思う。ウスマーンは複雑そうだったけれど、妹が自らの意志で決めたのなら引き離すことはできないって」

 マッカを救うために戦ったウスマーンには、なんとも言えない思いがあるだろう。
 マッカは、ガーニムのそばにいることを望んだ。

「俺たちも勝つためとはいえ、何人も王国兵を屠った。だから、ガーニムが何人も殺してきたことを責める権利はない。経緯がなんであれ、俺もガーニムも、人の命を奪った事実は変わらない」
「……うん」

 同じ殺すことでも、なんのために殺したのか理由が全然違うと慰める人もいるだろう。
 それは言い訳だ。殺された人の家族からすれば、人殺し以外の何者でもない。

「だからせめて、俺は王になって背負う。彼らの死を無駄にしないために」

 これからファジュルは国政の側に立つ。そしてルゥルアも。
 スラムの人々に視線をうつして、ファジュルは微笑む。

「みんな、本当にありがとう。ここからイズティハルの新しい時代を始めよう。人が平等に生きられる国にしよう」

 あたりが大きな拍手と歓声に包まれる。
 オイゲンはスラムの人とハイタッチする。

 ディーが片手を上げてファジュルに願い出る。

「それじゃあへーか! ボク、ハインリッヒさんとこに伝令にいきたいー! 早くこのこと伝えないとでしょ。ボクが行っていいよね。ね! お城のラクダを借りていい?」
「伝令に行ってくれるのはありがたいが、陛下と呼ぶのはやめろ。まだ戴冠式も何もしていないのに」
「ええー、じゃあなんて呼べばいいのさ」
「……これまで通りじゃだめなのか」

 王様になっても、ファジュルはやっぱりファジュルのままだ。ラシードが、そんなファジュルの前に膝をつく。

「いい加減観念してください、陛下。背負うと決めたのでしょう? ならば陛下と呼ばれること、仕えられることに慣れてください」
「たのむから言質を取らないでくれ、じいさん」

 
 立場は変わっても、ファジュルとラシードのやり取りは『貧民ファジュルと祖父のラシード』。
 そんな様子にみんなも笑い出す。

 笑いの起きる輪の中に、ラクダを引いたイーリスが飛び込んできた。

「ファジュルさん、ファジュルさん! 私、ラクダを連れてきました。私がハインリッヒ領への伝令になります!」

 一人飛び跳ねはしゃぐイーリス。ファジュルがだめと言っても裸足で駆け出して行きそうだ。

「え、だめだよイーリス。イーリスは道がわからないし、女の子一人で送り出してもらえると思っているの? ボクが行くからここで伯父さんと負傷者の手当てしててよ」
「そうですよ、イーリス。戦ってくれた方たちを労うのも大切な仕事です」
「うぅ。……せっかく旅に出られると思っていましたのに……」

 意気込んでいたのに、残れと言われて意気消沈。キラキラ輝いていた笑顔が暗くなる。ヨハンに慰められても暗い顔だ。

「全くもう。旅に出るのは戦争の後始末が片付いてからいくらでもできるでしょ。お土産買ってきてあげるから元気だしなよ」
「おみやげ、ですか」
「そ。ルベルタでしか見られないもの買ってくる。それならいいでしょ」

 途端にイーリスが笑顔になる。

「私、来賓の貢物以外でなにかをもらうのは初めてです。たくさん買ってきてくださいね」

 イーリスはずっと王女として暮らしていたため、ご機嫌うかがいの貢物ならいくらでももらう機会があったらしい。
 個人的な贈り物をもらうことがない。だからお土産への期待値がどんどんと上がっている。

「わぁ……そんなに期待されても、たいしたもの買えないって。ボクってば、責任重大? 余計なこと言っちゃった?」

 ディーは苦笑しながらも、ラクダの背に乗ってルベルタに向けて発った。

「俺たちも行こう、ルゥ。まだガーニムと話し合わないといけないことがたくさんある」
「うん」

 ここからが本当の革命。
 貧民という身分を廃し、誰もが人として扱われる国に変える。
 いまお腹の中にいる我が子が、明るい未来を送れるように。

 ルゥルアはファジュルに手を引かれ、並んで歩き出す。

 これからも、こうして手を取り合って困難を乗り越えて行こう。ずっと、一緒に。




image
image
60/70ページ