ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜
誘拐犯と呼ばれ囚われていたのは、見知った人。
ファジュルが幼い頃に何かと世話を焼いてくれた、リダという男だった。
公開処刑が行われる場は人が溢れ、集った人々がリダに石を投げつけていた。
無実で囚われた挙句に罵声を浴びせられるリダの姿を見て、いたたまれなくなる。
いても立ってもいられず、ファジュルは仲間の制止をふりきって飛び出してしまった。
集っていた住民たちは争いの気配を感じて逃げていく。この場に残っているのはファジュルの仲間と兵、兵に囚われたリダ。
そして、高見からこちらを見下ろしている国王夫妻。
あれが、ファジュルの両親を奪った男。
ファジュルはガーニムの姿を目に焼き付ける。革命を目指す以上は、必ず対峙しなければならない相手だ。
「兵の相手は私たちに任せて、ファジュル様はリダさんを逃してください」
「ああ」
ウスマーンは今のままではリダを戦闘に巻き込むと判断し、突き飛ばした。縛られたままのリダは受け身を取ることができず、地面に転がる。
「リダ!」
ファジュルは駆け寄り、リダを拘束している縄を短剣で切り落とす。
「すまない、ファジュル。わしのせいでお前さんたちが危険な目に……ラシードじいさんになんて詫びたらいいか」
「そんなのどうでもいい。ここは俺達がなんとかするから、逃げてくれ。あんたも、王族の誘拐なんてしていないのに罪を着せられて殺されるなんて御免だろう」
ファジュルだけでなく、サーディクもヨハンも、早く逃げろとリダを急かす。
リダはためらいながらも、走り出した。
「誘拐犯が逃げるぞ。追え!」
高見からガーニムの罵声が飛び、幾名かの兵がリダを追う。
「させません」
「オレらがちゃちゃっと片付けるから早くいけよ、リダ!」
ヨハンとサーディクが兵たちの前に立ちはだかる。普段から荒事をしているサーディクは自信満々。ヨハンも慣れた手つきで木剣を構える。
その構えを見てファジュルは理解する。
ヨハンはもともと、ヨアヒムの一座に居た者。
ディーと同じ剣舞を身に着けていてもおかしくはない。
「罪人を庇い立てするなんて、お前らも誘拐犯の一味か!」
「こいつらもまとめて捕らえよう。姫様を閉じ込めるか何かしているのだろうから、居場所を吐かせないと!」
剣を抜きながら、兵たちは言葉を交わし合う。
見当違いなことを言う兵たちにサーディクが呆れる。
「誘拐じゃなくて家出だっていってんだろうが。ホントに学校行ってた人? 微塵も学校行ってないオレよりバカなのは何なんだよ」
「無駄ですよ、サーディク。人は自分に都合の悪いことは聞こえないものです。理解力と学力は必ずしも同一ではありません」
「……がくりょ……どう? あー、先生が何言ってるかわかんねー」
ヨハンが兵たちに向き合ったまま、やれやれと息をつく。
「これが終わったらラシードさんから習うといいですよ」
「勘弁してくれよー」
軽口を叩きながらも、二人は兵の剣を軽くあしらう。
ファジュルとアムルは、ウスマーンと数名の兵を相手にしていた。
数日前から剣術を習い始めたばかりのファジュルと、日々鍛錬を積んでいる兵では分が悪すぎる。
ファジュルは刃を受けるしかなく、主にアムルが兵と戦っていた。
少し前まで兵として城にいたのだ。今戦っている兵は知らぬ相手ではない。アムルに対して憤っていた。
「目をかけてやっていたのに、失望したぞ。まさか罪人を庇うなんて。やはり罪人の子は罪人か」
「父さんは罪人ではない。ガーニムに濡れ衣を着せられただけだ」
「王を殺した上に王子を連れて逃げるような卑怯者を信じろと?」
「城にいたらファジュル様の命も危なかったから逃したまで」
剣を交え、言い返すアムルの表情はこわばっている。
ファジュルがスラムの外を知らなかっただけで、ラシード親子はずっとこんな風に国民から逆賊呼ばわりされて生きてきたのだ。
いつか必ず、その汚名をすすがなければ。
「アムル。リダはもうじゅうぶん遠くまで逃げたはずだ。俺たちも引こう」
「ファジュル様……」
アムルの腕を引き逃亡しようとするファジュルの前に、ウスマーンが立つ。
「あのハンカチを姫様本人に渡されたのなら、姫様が逃げた理由や逃亡先を知っているのでは?」
「あいつが姫であることを捨てたのは、こういことを平気でする男の道具になりたくないから。ガーニムに国を任せておきたくなかったからさ。あんたならわかるんじゃないか」
無実の人間を罪人に仕立てて処刑する。ウスマーンはその片棒を担がされているのだ。
まっとうな神経を持っているなら、シャムスの気持ちを理解するだろう。
「……ここは見逃します」
ウスマーンはファジュルにしか届かないほど小さな声で告げると、一歩引いた。
「大将、なぜ!? 彼らは誘拐犯を逃がそうとしているのですよ!」
ウスマーンの様子に兵たちは取り乱した。
敵を前に、わざわざ剣を引いたのだ。無理もない。
「この青年が、もし本当に崩御されたアシュラフ陛下のご子息だった場合、私たちは不敬罪で捕縛される側になるぞ」
「で、ですが、ガーニム陛下の仰るとおり、王族であるという言葉が嘘という可能性も…………」
「ほう。彼が王族だった場合、お前が責任を取りここにいる全員分の罪を被ってくれると?」
「は!? いいいいい、いやまさかそんな」
イズティハルにおいて、不敬罪は一族ごと牢屋送り。自分の行動一つで家族まで牢屋に入る可能性に思い至り、兵の顔から血の気が失せた。
王族の生まれが初めて役に立った、ファジュルは内心ため息をつく。王族であるがゆえにガーニムに陥れられたのだから、皮肉なものである。
ファジュルの中に流れる血は、利にも害にもなる。
「それに、私の記憶が確かなら、彼の持つ短剣は、アシュラフ陛下が身につけていたものと同じ。陛下が亡くなられたときに、王子とともに行方がわからなくなったものだ」
「……まさか、でも、うう、ぼくはどうしたら」
何が本当で誰の発言が嘘なのか、兵は混乱している。ファジュルの目から見てもわかるくらいに、剣筋に迷いが生じていた。
他の兵も、王族殺しの罪を背負うかもしれないことを恐れ、剣を振り下ろせなくなっている。
「アムル、今のうちに」
「はい」
ファジュルは、聞こえないだろうがウスマーンに小声で礼を言い、サーディク、ヨハンと合流して処刑場から逃亡する。
おそらく、このあと彼らはガーニムから責められる。誘拐犯 を取り逃がしただけでなく、ファジュルまで逃したのだ。
彼らがガーニムから受ける処遇を考えると足が重くなる。
それでも、ここで捕まって殺されるわけにはいかない。
ファジュルは処刑場にいた僅かな兵相手にも、まともに立ち回れなかった。アムルがいてくれなかったら、ウスマーンが見逃してくれなかったら、とっくに命を落としていた。
改めて、自分が未熟だと思い知る。
革命を起こしたいなんて口だけ達者で、実力が伴わないことの愚かさを思い知る。
ウスマーンがイズティハルの大将である限り、再び剣を交えるだろう。
戦時での冷静さ、指揮能力、本気で命のやり取りになった場合、ウスマーンより手強い相手はいないと思う。
ファジュルたちは追手がないことを確かめ、夜を待って拠点に戻る。
荒野を歩く道すがら、ファジュルは視線を落とす。
「すまない。俺がもっと冷静であったなら、みんなまで危険に晒すことはなかった」
「何言ってんだよファジュル。あそこで飛び込まなけりゃリダのおっさんはクビと胴体がおさらばしてたぞ」
「だが、他にやりようがあったんじゃないかと考えてしまって」
ファジュルが後先考えずに処刑場に突っ込んだために、みんなは兵と剣を交えることになった。
リダを助けられたことはいいが、見逃してもらえなかったら全員あの場で捕まっていた。
ファジュルは顔を上げ、アムルに頼む。
「アムル。俺は強くなりたい。今のままじゃ駄目だって思い知った。剣術をもっと学びたい」
「はい。貴方が望むのなら、私はいくらでも剣を教えましょう」
「オレも。一人であれくらいの数やっつけられなきゃ、革命なんて夢のまた夢じゃん」
ファジュルとサーディクが決意を新たにして、ヨハンは目を細める。
「ファジュル様、忘れないでください。確かに貴方は旗頭ですが、僕たちはみんな自分の意志で剣を取った。だから戦いで死んでも、貴方を恨もうなどとは思いません。くれぐれも、自分を責めないでください」
「覚えておく」
翌朝から、ファジュルは前よりもっと剣術の時間に身を入れた。
せめて、自分の身を自分で守れるように。仲間の手を煩わせないように。
ファジュルが幼い頃に何かと世話を焼いてくれた、リダという男だった。
公開処刑が行われる場は人が溢れ、集った人々がリダに石を投げつけていた。
無実で囚われた挙句に罵声を浴びせられるリダの姿を見て、いたたまれなくなる。
いても立ってもいられず、ファジュルは仲間の制止をふりきって飛び出してしまった。
集っていた住民たちは争いの気配を感じて逃げていく。この場に残っているのはファジュルの仲間と兵、兵に囚われたリダ。
そして、高見からこちらを見下ろしている国王夫妻。
あれが、ファジュルの両親を奪った男。
ファジュルはガーニムの姿を目に焼き付ける。革命を目指す以上は、必ず対峙しなければならない相手だ。
「兵の相手は私たちに任せて、ファジュル様はリダさんを逃してください」
「ああ」
ウスマーンは今のままではリダを戦闘に巻き込むと判断し、突き飛ばした。縛られたままのリダは受け身を取ることができず、地面に転がる。
「リダ!」
ファジュルは駆け寄り、リダを拘束している縄を短剣で切り落とす。
「すまない、ファジュル。わしのせいでお前さんたちが危険な目に……ラシードじいさんになんて詫びたらいいか」
「そんなのどうでもいい。ここは俺達がなんとかするから、逃げてくれ。あんたも、王族の誘拐なんてしていないのに罪を着せられて殺されるなんて御免だろう」
ファジュルだけでなく、サーディクもヨハンも、早く逃げろとリダを急かす。
リダはためらいながらも、走り出した。
「誘拐犯が逃げるぞ。追え!」
高見からガーニムの罵声が飛び、幾名かの兵がリダを追う。
「させません」
「オレらがちゃちゃっと片付けるから早くいけよ、リダ!」
ヨハンとサーディクが兵たちの前に立ちはだかる。普段から荒事をしているサーディクは自信満々。ヨハンも慣れた手つきで木剣を構える。
その構えを見てファジュルは理解する。
ヨハンはもともと、ヨアヒムの一座に居た者。
ディーと同じ剣舞を身に着けていてもおかしくはない。
「罪人を庇い立てするなんて、お前らも誘拐犯の一味か!」
「こいつらもまとめて捕らえよう。姫様を閉じ込めるか何かしているのだろうから、居場所を吐かせないと!」
剣を抜きながら、兵たちは言葉を交わし合う。
見当違いなことを言う兵たちにサーディクが呆れる。
「誘拐じゃなくて家出だっていってんだろうが。ホントに学校行ってた人? 微塵も学校行ってないオレよりバカなのは何なんだよ」
「無駄ですよ、サーディク。人は自分に都合の悪いことは聞こえないものです。理解力と学力は必ずしも同一ではありません」
「……がくりょ……どう? あー、先生が何言ってるかわかんねー」
ヨハンが兵たちに向き合ったまま、やれやれと息をつく。
「これが終わったらラシードさんから習うといいですよ」
「勘弁してくれよー」
軽口を叩きながらも、二人は兵の剣を軽くあしらう。
ファジュルとアムルは、ウスマーンと数名の兵を相手にしていた。
数日前から剣術を習い始めたばかりのファジュルと、日々鍛錬を積んでいる兵では分が悪すぎる。
ファジュルは刃を受けるしかなく、主にアムルが兵と戦っていた。
少し前まで兵として城にいたのだ。今戦っている兵は知らぬ相手ではない。アムルに対して憤っていた。
「目をかけてやっていたのに、失望したぞ。まさか罪人を庇うなんて。やはり罪人の子は罪人か」
「父さんは罪人ではない。ガーニムに濡れ衣を着せられただけだ」
「王を殺した上に王子を連れて逃げるような卑怯者を信じろと?」
「城にいたらファジュル様の命も危なかったから逃したまで」
剣を交え、言い返すアムルの表情はこわばっている。
ファジュルがスラムの外を知らなかっただけで、ラシード親子はずっとこんな風に国民から逆賊呼ばわりされて生きてきたのだ。
いつか必ず、その汚名をすすがなければ。
「アムル。リダはもうじゅうぶん遠くまで逃げたはずだ。俺たちも引こう」
「ファジュル様……」
アムルの腕を引き逃亡しようとするファジュルの前に、ウスマーンが立つ。
「あのハンカチを姫様本人に渡されたのなら、姫様が逃げた理由や逃亡先を知っているのでは?」
「あいつが姫であることを捨てたのは、こういことを平気でする男の道具になりたくないから。ガーニムに国を任せておきたくなかったからさ。あんたならわかるんじゃないか」
無実の人間を罪人に仕立てて処刑する。ウスマーンはその片棒を担がされているのだ。
まっとうな神経を持っているなら、シャムスの気持ちを理解するだろう。
「……ここは見逃します」
ウスマーンはファジュルにしか届かないほど小さな声で告げると、一歩引いた。
「大将、なぜ!? 彼らは誘拐犯を逃がそうとしているのですよ!」
ウスマーンの様子に兵たちは取り乱した。
敵を前に、わざわざ剣を引いたのだ。無理もない。
「この青年が、もし本当に崩御されたアシュラフ陛下のご子息だった場合、私たちは不敬罪で捕縛される側になるぞ」
「で、ですが、ガーニム陛下の仰るとおり、王族であるという言葉が嘘という可能性も…………」
「ほう。彼が王族だった場合、お前が責任を取りここにいる全員分の罪を被ってくれると?」
「は!? いいいいい、いやまさかそんな」
イズティハルにおいて、不敬罪は一族ごと牢屋送り。自分の行動一つで家族まで牢屋に入る可能性に思い至り、兵の顔から血の気が失せた。
王族の生まれが初めて役に立った、ファジュルは内心ため息をつく。王族であるがゆえにガーニムに陥れられたのだから、皮肉なものである。
ファジュルの中に流れる血は、利にも害にもなる。
「それに、私の記憶が確かなら、彼の持つ短剣は、アシュラフ陛下が身につけていたものと同じ。陛下が亡くなられたときに、王子とともに行方がわからなくなったものだ」
「……まさか、でも、うう、ぼくはどうしたら」
何が本当で誰の発言が嘘なのか、兵は混乱している。ファジュルの目から見てもわかるくらいに、剣筋に迷いが生じていた。
他の兵も、王族殺しの罪を背負うかもしれないことを恐れ、剣を振り下ろせなくなっている。
「アムル、今のうちに」
「はい」
ファジュルは、聞こえないだろうがウスマーンに小声で礼を言い、サーディク、ヨハンと合流して処刑場から逃亡する。
おそらく、このあと彼らはガーニムから責められる。
彼らがガーニムから受ける処遇を考えると足が重くなる。
それでも、ここで捕まって殺されるわけにはいかない。
ファジュルは処刑場にいた僅かな兵相手にも、まともに立ち回れなかった。アムルがいてくれなかったら、ウスマーンが見逃してくれなかったら、とっくに命を落としていた。
改めて、自分が未熟だと思い知る。
革命を起こしたいなんて口だけ達者で、実力が伴わないことの愚かさを思い知る。
ウスマーンがイズティハルの大将である限り、再び剣を交えるだろう。
戦時での冷静さ、指揮能力、本気で命のやり取りになった場合、ウスマーンより手強い相手はいないと思う。
ファジュルたちは追手がないことを確かめ、夜を待って拠点に戻る。
荒野を歩く道すがら、ファジュルは視線を落とす。
「すまない。俺がもっと冷静であったなら、みんなまで危険に晒すことはなかった」
「何言ってんだよファジュル。あそこで飛び込まなけりゃリダのおっさんはクビと胴体がおさらばしてたぞ」
「だが、他にやりようがあったんじゃないかと考えてしまって」
ファジュルが後先考えずに処刑場に突っ込んだために、みんなは兵と剣を交えることになった。
リダを助けられたことはいいが、見逃してもらえなかったら全員あの場で捕まっていた。
ファジュルは顔を上げ、アムルに頼む。
「アムル。俺は強くなりたい。今のままじゃ駄目だって思い知った。剣術をもっと学びたい」
「はい。貴方が望むのなら、私はいくらでも剣を教えましょう」
「オレも。一人であれくらいの数やっつけられなきゃ、革命なんて夢のまた夢じゃん」
ファジュルとサーディクが決意を新たにして、ヨハンは目を細める。
「ファジュル様、忘れないでください。確かに貴方は旗頭ですが、僕たちはみんな自分の意志で剣を取った。だから戦いで死んでも、貴方を恨もうなどとは思いません。くれぐれも、自分を責めないでください」
「覚えておく」
翌朝から、ファジュルは前よりもっと剣術の時間に身を入れた。
せめて、自分の身を自分で守れるように。仲間の手を煩わせないように。