一章 セツカと時の鎖

 出立の朝。
 掃除が終わった自室を見渡す。
 もとより庭仕事用の服と私服が少ししかなかったから、生活感があまりない。

 がたのきている勉強机に、庭師になった日アーノルドさんからもらった本を置く。

 アスターさんの遺品だという、東国の言葉で書かれた植物図鑑。
「僕が生きて帰れなかったら、これをアーノルドに渡して」と妹さんに遺言を残していたという。


 白薔薇のページにはアスターの花で作った栞《しおり》が挟まれていて、アスターさんからアーノルドさんへのメッセージが書かれていた。

【君こそがエレナに相応しい。エレナと幸せになって】

 紙が栞の形に日焼けしていたから、本を譲り受けてから一度も開かなかったのかもしれない。
 同じページに栞を挟んで、白薔薇を一枝本の上に添える。

 アスターさんのメッセージが、アーノルドさんに伝わりますように。



 屋敷の門を出ると、アーノルドさんが見送りに来てくれた。
 アーノルドさんはうつむきがちに口を開く。

「……お前は旅の先で、俺を恨むかもしれない。俺は恨まれて当然のことをした」
「アーノルドさんは恩人です。身寄りのない俺をここまで育ててくれました。恨むなんて。時計のことを黙っていたのだって、俺を託した人から遺言を受けていたからでしょう」

 俺の言葉に、アーノルドさんは首を左右に振る。
 恨まれて当然だなんて、アーノルドさんらしくない。

「セツカの部屋はそのまま残しておく。もしも全てを知った上で、またここに戻りたいと思うなら、いつでも帰ってきてくれ」
「……はい。お世話になりました。貴方に育ててもらった恩はいつか必ずーーあ痛っ!!」

 容赦ないチョップが降ってきた。
 望んでいる言葉はそれじゃないってこと。

「いってきます、アーノルドさん」
「いってらっしゃい、セツカ」

 アーノルドさんに見送られ、十五年過ごした屋敷をあとにした。
 いつかまたここにくることが、あるだろうか。



 時の森はノーゼンハイムの北端にある。
 首都から北に向かう乗り合い馬車を何度か乗り継ぐことになる、のだが。

 
「なんでリーンがここにいるんだ!?」

 早朝の乗り合い馬車乗り場に、リーンがいた。
 庶民の女の子が着るような素朴な服。そしていかにも旅に出ますといった感じの大きな旅行かばんを抱えている。

「一人で探すより、二人で探したほうが早く見つかるでしょう。だから一緒に行くことにしたの。セツカの家族に、直接話をしようと思って」
「アーノルドさんの許可は……」
「父様は許可してくれたわ」

 許可してもらったのではなく、絶対に行くと言い張って押し切ったんだな。
 十五年一緒に育ったからリーンの行動パターンはよくわかる。

「俺を恨むかもしれない」ってこの事ですか、アーノルドさん。
 今すぐ屋敷にかけ戻ってアーノルドさんを問いつめたくなった。


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