一章 セツカと時の鎖

 セツカの誕生日から二日。
 朝食の席、ジーナが空のグラスにオレンジジュースを注ぎながら口を開いた。

「お嬢様、来週からは新しい庭師が庭園の手入れをします。明日、一度挨拶に来るのでお伝えしておきますね。お嬢様より十才ほど年上の女性で……」
「新しい、庭師? なにそれ。なんでセツカがいるのに新しい人を雇うの?」
「セツカは今週限りで辞めるんです。だから新しい庭師が来るんです」
「やめる?」

 今聞いたことが信じられなくて、ジーナに聞き返した。
 音を立てず、クロスの上にグラスが置かれる。

「そもそも、あんな、どこの生まれともわからない者を引き取ったことがおかしいのです。アーノルド様がお優しい人なのは理解しておりますが、孤児院に預ければよかったものを」
「馬鹿なこと言わないで。父様がそんなことできるわけないじゃない!」

 私の父様は、孤児院の出身。
 家族がいない孤独を誰より知っている父様が身寄りのないセツカを見つけて、自分が育てようと決めたのは必然だと思う。

 父様がセツカをクビにするわけない。セツカが自ら辞めると言わない限り、セツカがここからいなくなるなんてことありえない。
 

「食事の場で大声を出さないでください。お行儀が悪いですよ、お嬢様」

 ジーナはセツカの事を毛嫌いしていたから、いなくなって清々するって顔をしている。
 もう口をきく気にもなれない。
 ジュースを一息にあおって、テーブルに叩きつける。

「ごちそうさま」

 ジーナじゃ話にならない。セツカに直接聞かないと。
 急いで庭園に出てセツカの姿を探す。
 まさか、もういないなんてこと、ないよね。
 私はまだ何も伝えられてないのに。

「セツカ! いないの? セツカ!」

 庭園を隅々まで駆けて、使用人の通用口付近で見慣れた背中を見つけた。
 小ぶりの花に声をかけている。

「もうすぐ君たちとお別れなんだ。ごめん。探さなきゃいけないものがあるんだ」

 お別れなんて、そんなのいや。セツカが自ら辞めたいと言ったなら、引き止めたい。

「セツカ! 辞めるってなに! どういうこと!?」
「……聞いたんだ」
「誰かに辞めろっていわれたの? 私がその人に物申してやるわ。セツカは必要だって!」

 セツカが俯くのに合わせて、銀色の髪がサラサラと揺れる。

「そうじゃない。アーノルドさんに、これをもらったんだ。俺の過去を知る手がかり」

 セツカの手には、不思議な懐中時計が握られていた。

「もしかしたら記憶が戻るかもしれない。家族のこともわかるかもしれない」

 セツカはずっと、知りたがっていた。過去のこと、家族のこと、忘れてしまった自分のこと。

 行かないでと言うのは、セツカに過去を諦めろと言うのと同じこと。

「だから、俺は行かなきゃいけないんだ」
「……ごめん。セツカは、ずっと帰りたがっていたのに。私、何もわかってなかった」

 今私にできることは、行かないでって言うことじゃない。ずっと一緒にいてほしいけど、セツカの道を遮っちゃいけない。
 胸が痛い。目の前がにじんでる。

「見つかると、いいね」
「……ありがとう、リーン」

 セツカはこれまで見てきた中で、一番きれいに笑った。



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