二章 アイセと声無き少女

 海を渡り、数ヶ月ぶりにノーゼンハイム北部の港町ツヴォルフに降り立った。
 季節は秋。
 せっちゃんに出会ってから一年が過ぎようとしている。
 首都に戻るというフェンネルと別れ時の森に急ぐ。
 時の森は昨年と同じように木の葉が色づいて散り、踏み出すたびに枯れ葉が砕ける。

 のんびりと歩いていたら、突然上から音がした。
 風で枝が揺れたにしては大きい音が。上からひらりと落ちてくる緑色のなにかをとっさに掴んだ。

「なにこれ。リボン?」

 見上げた瞬間、大きなものが落ちてきた。

「いたたたた……ひ、人?」

 背中に何か乗っていて、押しのけるとそれは子どもだった。
 赤毛のショートヘア、安物のシャツにズボン。体はひょろひょろで見るからに栄養失調。黒っぽいマントを羽織っている。
 港町の子どもが遊びにはいって木登りして、落ちたんだ。
 落ちたショックからか気を失っている。

「やだなあもう。遊ぶなら町にしてよ。時の森神域は遊び場じゃないっての」

 どうしようこの子。港町まで届ける? ボクが? でも港町の連中ボクのこと嫌いだしなぁ。連れて行ったらぜったい悪魔が触るなとかなんとか言うよね。
 地面の上に転がっているのを見ていると、複数人の足音が聞こえてきた。

「いた! いましたあああ! 神子さまーー!」
「神子さまこっちです!」

 せっちゃんのとこの神官だ。
 名前はたしか、……なんだっけ。とりあえず神官の男二人だ。
 ボクに気づくと何度も頭を下げる。

「ありがとうございます愛の神子さま。見つけてくださったんですか」
「へ? もしかして保護してる子ってこの子?」

 神官の声を聞いて、せっちゃんもかけつけてきた。真っ白いロングコート、長い銀髪を背中に流している。

「よかった! 無事だったんだ。ジェイムズ、医者を呼んできてくれ。ヤマトはこの子を部屋まで運んで」

 せっちゃんの指示を受けて神官が子どもを背負う。
 時の遺跡に向かう道すがら、せっちゃんがほかの神官たちに声をかけて回る。どうやら神官総動員での大捜索だったらしい。人騒がせな子だ。

「来てくれてありがとう、アイセ。本当はノーゼンハイムの問題に巻き込みたくはなかったんだけど」
「べつにいいよ。この子、保護されてるのになんでうろちょろしてたの」
「わからない。この子が起きたら聞いてみないと」
「ボクが来るまでの間に名前くらいはわかったの?」

 この子ども、みたところ十才は過ぎている。ノーゼンハイムは十才からの就学だから、最低限の筆談くらいは可能だろう。
 そうしたらボクは必要なくない?

 言いたいことを察してか、せっちゃんは首を左右に振る。

「学校に行ってなかったらしい。この子がいた集落はノーゼンハイムの地図に載っていないんだ」
「それって……」
「この子がいたのは、流れ者が集まってできた場所。だからノーゼンハイムの住民戸籍に載っていない。一緒にいたお兄さんはしゃべることができたようだけど、この子を保護する段階で亡くなってしまったと聞いた」

 いくあてがない、帰る場所もない。
 せっちゃんは自分の境遇に重ねて、この子の未来を憂いていた。
 遺跡が見えてきた。
 遺跡に残っていた神官が部屋を用意していて、そこに子どもを運び込む。
 あたたかなふとんに寝かせて、神官が持ってきた石のカイロをふとんの足元に入れる。


「集落を襲撃した犯人の目的もわかっていないし、騎士団で保護するのが妥当だと最初は考えられていたんだけど、騎士相手にもひどく怯えていたんだって。アーノルドさんが時の森で保護するのがいいって判断してここに連れてきた」
「さすがに神子さまの管理する神域に侵入したら、新聞の片隅記事じゃすまないもんね」

 それからすぐ、ジェイムズが連れてきた医者が診察をして、体が冷えている以外問題はない、栄養が足りていないから滋養にいいものを食べさせるようにと言った。

 連れ帰って一時間もしないうちに、子どもは目を覚ました。
 見開いた両目は貴色。
 せっちゃんを見て何か言いたげに口をぱくぱくさせる。

「なに? どうしたのかな」
『みこさま。おなかすいた』

 お腹すいたの一言すら声に出せなくなっているのか。
 喉からはヒューヒューと風の音が出るだけ。泣きそうな顔をする。

「お腹すいたんだって、せっちゃん」

 翻訳してあげると、子どもはようやくボクの存在に気づいた。
 ボクを見るなり手負いの獣状態でふとんから飛び出して、頭を抱えて机の下に逃げ込む。

 初対面でこの反応、さすがに傷つくんだけど。

『神子さまにげて、このひと、犯人とおなじ月の色、あぶない、みんなが、兄ちゃん、助けてシオン兄ちゃん』
「同じって何? もしかして髪?」

 半狂乱になっている子どもをせっちゃんがなだめ、説得する。

「落ち着いて。この人がアイセだよ。僕の友だちだ。心を読む魔法を持っている。だから、僕たちに伝えたいことがあったら心で思って」
『ほんと、ほんとに危ない人じゃない?』

 子どもは震えながらボクを上から下まで見ている。
 しかたなく、吟遊詩人として旅しているときの営業スマイルで両手を広げる。

「ほら、おちびさん。ボクは両手からっぽっだし危なくないよ~」

 子どもはむっとして、左手に胸を当てながら心で文句を言う。

『あたしは、マーガレット。もう十四才。おちびさんちがう』
「マーガレットね。その見た目で十四? 年の割にはちっさ……ぎゃーーーー!!」

 ぜんぶ言い終える前にマーガレットが机の下から這い出てきて、跳び蹴りが決まった。



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