二章 アイセと声無き少女
目が覚めると、光が差し込む大聖堂の自室だった。
ここは愛の神子のお膝元、エンジュ王都だ。
大聖堂というのは、愛の神の加護を受けた場所。
白亜の石で作られた建物には天使の彫像がある。
聖堂のホール部分は首が痛くなるほど天井が高くて、パイプオルガンの音がよく響く。
自室は大聖堂の奥まった部分にある。
日当り良好で眠気を誘ういい部屋だ。
開けっ放しの窓から潮風が吹き込んできて、カーテンが大きく踊っている。
机には山積みの書類。
床には旅先で見かけるたびに購入した楽譜の山。
ボクはいつもどおり机に突っ伏して寝ていたところだ。
日の高さから考えて、まだ昼時になっていない。
書類仕事するなんてめんどうくさいから、夕方までもう一寝入りしよう。
あくびを一つしてもう一度夢の世界に旅立ーー
「寝るなうつけ者が!!」
スパン!! とでかい音が部屋の中に響きわたった。
いつの間にかハリセンを構えたマリアが、ボクの横に立っていた。
エンジュの現女王マリア・アスクレピオス。
金色の髪を結い上げ、髪と同じ金の瞳を吊り上げて腕組みをする。
女にしては背が高く、胸は平ーーささやか。
露出のないロングドレスを見事に着こなしている。
「神子。そなたには神子の自覚がないのか。なんだこの放置された書類の山は! 手付かずのこれ、三ヶ月前の日付じゃないか!」
「ああああぁ! 痛いよマリア! ハリセン使うのやめてよ!」
「ほう。こっちのほうが良かったか」
マリアは左の拳を右てのひらに打ちつけて口角を上げた。
なんでこんなに男勝りなんだよこの人は!
見た目は知的なのに脳筋。
「やはりそなたには、お目付け役の神官をつけたほうがよさそうだな。この部屋、足のふみ場もないじゃないか」
「神官んん〜? いるわけないでしょーが、悪名高い愛の神子に仕えたい人間なんて」
先代愛の神子は、二十年以上前ノーゼンハイムとの間に起こった戦の元凶とされている。
だからボクに代替わりした今も、愛の神子は悪の象徴として、自国の国民からも嫌われている。
ボクは心を読む魔法士。
相手が考えていることがそのまんま聞こえるから、国民から憎まれているのは自意識過剰でもなんでもない、事実だ。
ただし、マリアは除く。
この人は愛の神子を憎むどころか、
今現在『まったく。どうしたら真面目に仕事をするんだこの子は。サボり癖は子どもの頃のフェンそのものだな。妙なところばかり似てしまって』などと考えている。
ボクの魔法を知った上で気味悪がらない、珍しい人間だ。
「フェンネルのバカと一緒にしないでくれる? 似てないから」
「頭がいいなら今すぐ仕事をこなせ。この机に乗った山を今日中に片付けろ」
「うぇえ、これを一日で? ……ざっと百枚以上あるんだけど」
マリアの眉間にシワが刻まれる。
今マリアの中で考えられている選択肢が、ゲンコツ・ビンタ・ハリセンの三択。
基本脳筋なのはなんなのさ。
せっちゃんのとこのお嬢ちゃんと絶対気が合うだろうねー、すぐ拳が出るんだもん。
「神子。そなた、いま失礼なことを考えたな」
「か、考えてないよ?」
「そなたは顔に出る。魔法などなくてもまるわかりだ」
ニッコリ微笑んでいるマリア。
笑いながら怒ってるよ。いっそ怖いよ!!
ゲンコツ一つ落とされ、泣きながら書類を片付ける羽目になった。
マリアが隣で腕組みしながらずっと監視してるから逃げられない。
「ううぅ。マリアはボクのお目付け役を探すより、さっさと結婚して王位を継ぐ人を育てたほうがいいと思う」
「またその話か。フェンが結婚するまでは結婚しないと何度言わせる」
「またそれだ。フェンネルも同じこと言う」
九年戦争が終わったあと、
ボクがセリを処刑したから、アルテミス王家の血は絶えた。
戦争で疲弊した国を立て直すため、セリの妻にされていたマリアはエンジュの王になった。
終戦後二十年以上経ち、国は平穏な姿を取り戻した。
アルテミス家に王の資質を持つ人が生き残っていたなら、マリアはその人に玉座を任せ、フェンネルの妻になる道を選んでいただろうに。
戦場に立っていた人しか知らない。
戦争が終わる日、ボクは戦場で全てを見ていた。
セリは当時まだ七才だったボクを戦場に放り込んだ。
ノーゼンハイム騎士団には、アルテミス王家の血を引く青年がいた。
たしか、アスターと呼ばれていたっけ。
アスターのいる部隊は最前線、セリのいる船に乗り込んできた。
セリの炎に右腕を焼き落とされて亡くなってしまった。
ほんの短い時間の対面だったけれど、彼の心はまっすぐだった。
命が消えゆく瞬間彼の心にあったのは、自分を死に追いやったセリへの憎しみではない。
家族を思う気持ちだけ。
『父様を信じて生きていた、幼かった日の自分に戻りたい。家族の、みんなのもとに、帰りたい』
彼ほど、エンジュの国王にふさわしい心根の人はいなかった。
書類に目を落として考えていると、慌ただしい足音が聖堂内に響いた。足音はどんどんと近づいてくる。
「チビ! いるか!!」
扉を破らんばかりの勢いで飛び込んできたのは、フェンネルだ。遅れてその護衛が追ってきた。
「チビチビ言うなって言ってんだろうがフェンネル!」
「それはいいから、早く時の森に。お前の力が必要なんだ!」
「はぁ!?」
前回力を貸せと言われたのは、先代時の神子が死んだときだ。
まさか、せっちゃんが町の人間に襲われるか何かして、神子が代替わりした?
嫌な考えが頭の中をめぐる。
「フェン。落ち着いて話せ。何があった」
「あ、あぁ、マリアもいたのか。ちょうどよかった」
フェンネルは三回深呼吸して、まっすぐボクを見た。
「ノーゼンハイム南部の雑木林に集落があってね。そこが何者かに襲撃されて滅びた。唯一生き残った女の子を時の森で保護している。……事件のショックからか、その子は声を失っているんだ」
事件の詳細を聞き出すのは、心の声を聞き取れるボクにしかできない。
そういうことだった。
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ここは愛の神子のお膝元、エンジュ王都だ。
大聖堂というのは、愛の神の加護を受けた場所。
白亜の石で作られた建物には天使の彫像がある。
聖堂のホール部分は首が痛くなるほど天井が高くて、パイプオルガンの音がよく響く。
自室は大聖堂の奥まった部分にある。
日当り良好で眠気を誘ういい部屋だ。
開けっ放しの窓から潮風が吹き込んできて、カーテンが大きく踊っている。
机には山積みの書類。
床には旅先で見かけるたびに購入した楽譜の山。
ボクはいつもどおり机に突っ伏して寝ていたところだ。
日の高さから考えて、まだ昼時になっていない。
書類仕事するなんてめんどうくさいから、夕方までもう一寝入りしよう。
あくびを一つしてもう一度夢の世界に旅立ーー
「寝るなうつけ者が!!」
スパン!! とでかい音が部屋の中に響きわたった。
いつの間にかハリセンを構えたマリアが、ボクの横に立っていた。
エンジュの現女王マリア・アスクレピオス。
金色の髪を結い上げ、髪と同じ金の瞳を吊り上げて腕組みをする。
女にしては背が高く、胸は平ーーささやか。
露出のないロングドレスを見事に着こなしている。
「神子。そなたには神子の自覚がないのか。なんだこの放置された書類の山は! 手付かずのこれ、三ヶ月前の日付じゃないか!」
「ああああぁ! 痛いよマリア! ハリセン使うのやめてよ!」
「ほう。こっちのほうが良かったか」
マリアは左の拳を右てのひらに打ちつけて口角を上げた。
なんでこんなに男勝りなんだよこの人は!
見た目は知的なのに脳筋。
「やはりそなたには、お目付け役の神官をつけたほうがよさそうだな。この部屋、足のふみ場もないじゃないか」
「神官んん〜? いるわけないでしょーが、悪名高い愛の神子に仕えたい人間なんて」
先代愛の神子は、二十年以上前ノーゼンハイムとの間に起こった戦の元凶とされている。
だからボクに代替わりした今も、愛の神子は悪の象徴として、自国の国民からも嫌われている。
ボクは心を読む魔法士。
相手が考えていることがそのまんま聞こえるから、国民から憎まれているのは自意識過剰でもなんでもない、事実だ。
ただし、マリアは除く。
この人は愛の神子を憎むどころか、
今現在『まったく。どうしたら真面目に仕事をするんだこの子は。サボり癖は子どもの頃のフェンそのものだな。妙なところばかり似てしまって』などと考えている。
ボクの魔法を知った上で気味悪がらない、珍しい人間だ。
「フェンネルのバカと一緒にしないでくれる? 似てないから」
「頭がいいなら今すぐ仕事をこなせ。この机に乗った山を今日中に片付けろ」
「うぇえ、これを一日で? ……ざっと百枚以上あるんだけど」
マリアの眉間にシワが刻まれる。
今マリアの中で考えられている選択肢が、ゲンコツ・ビンタ・ハリセンの三択。
基本脳筋なのはなんなのさ。
せっちゃんのとこのお嬢ちゃんと絶対気が合うだろうねー、すぐ拳が出るんだもん。
「神子。そなた、いま失礼なことを考えたな」
「か、考えてないよ?」
「そなたは顔に出る。魔法などなくてもまるわかりだ」
ニッコリ微笑んでいるマリア。
笑いながら怒ってるよ。いっそ怖いよ!!
ゲンコツ一つ落とされ、泣きながら書類を片付ける羽目になった。
マリアが隣で腕組みしながらずっと監視してるから逃げられない。
「ううぅ。マリアはボクのお目付け役を探すより、さっさと結婚して王位を継ぐ人を育てたほうがいいと思う」
「またその話か。フェンが結婚するまでは結婚しないと何度言わせる」
「またそれだ。フェンネルも同じこと言う」
九年戦争が終わったあと、
ボクがセリを処刑したから、アルテミス王家の血は絶えた。
戦争で疲弊した国を立て直すため、セリの妻にされていたマリアはエンジュの王になった。
終戦後二十年以上経ち、国は平穏な姿を取り戻した。
アルテミス家に王の資質を持つ人が生き残っていたなら、マリアはその人に玉座を任せ、フェンネルの妻になる道を選んでいただろうに。
戦場に立っていた人しか知らない。
戦争が終わる日、ボクは戦場で全てを見ていた。
セリは当時まだ七才だったボクを戦場に放り込んだ。
ノーゼンハイム騎士団には、アルテミス王家の血を引く青年がいた。
たしか、アスターと呼ばれていたっけ。
アスターのいる部隊は最前線、セリのいる船に乗り込んできた。
セリの炎に右腕を焼き落とされて亡くなってしまった。
ほんの短い時間の対面だったけれど、彼の心はまっすぐだった。
命が消えゆく瞬間彼の心にあったのは、自分を死に追いやったセリへの憎しみではない。
家族を思う気持ちだけ。
『父様を信じて生きていた、幼かった日の自分に戻りたい。家族の、みんなのもとに、帰りたい』
彼ほど、エンジュの国王にふさわしい心根の人はいなかった。
書類に目を落として考えていると、慌ただしい足音が聖堂内に響いた。足音はどんどんと近づいてくる。
「チビ! いるか!!」
扉を破らんばかりの勢いで飛び込んできたのは、フェンネルだ。遅れてその護衛が追ってきた。
「チビチビ言うなって言ってんだろうがフェンネル!」
「それはいいから、早く時の森に。お前の力が必要なんだ!」
「はぁ!?」
前回力を貸せと言われたのは、先代時の神子が死んだときだ。
まさか、せっちゃんが町の人間に襲われるか何かして、神子が代替わりした?
嫌な考えが頭の中をめぐる。
「フェン。落ち着いて話せ。何があった」
「あ、あぁ、マリアもいたのか。ちょうどよかった」
フェンネルは三回深呼吸して、まっすぐボクを見た。
「ノーゼンハイム南部の雑木林に集落があってね。そこが何者かに襲撃されて滅びた。唯一生き残った女の子を時の森で保護している。……事件のショックからか、その子は声を失っているんだ」
事件の詳細を聞き出すのは、心の声を聞き取れるボクにしかできない。
そういうことだった。
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