一章 セツカと時の鎖

「すみません、課題、やってこなかったです」

 今日最後の授業は歴史。
 二十年前終結した、九年戦争の体験談を身近な人に聞いてレポートにまとめること。

 私の父様は戦時、騎士として最前線に立っていた。父様に聞けばその日のうちに終わったのだけど、聞きにくくて今日を迎えてしまった。

 スイレン先生は漆黒の瞳で私を見下ろして、けげんそうに眉をひそめる。

「なぜやってこなかった。アーノルドに聞けばいいし、あいつなら聞かれたら答えただろう」
「だ、だって……」

 ほかのみんな祖父さんに聞いてきたとか叔母さんから聞いたとか、もう提出していて、残るは私だけ。

「その、父様に聞いたら、ぜったい、アスターさんのことも、聞くことになっちゃうから……」

 アスターさんは……スイレン先生の息子さんだ。
 自分の息子が亡くなったときのエピソードを書かれるの、嫌じゃないかな。
 父様もきっと、語るのは辛いことだと思う。戦場で仲間たちを失ったときのことを話すなんて。

「変な気の回し方をするな」

 スイレン先生はため息まじりに、真っ白なままのレポート用紙を私に突き返す。

「……アスターの葬儀で、アーノルドは何度も僕とビオラに詫びた。“俺をかばったせいでアスターは死んだんだ。俺のせいだ”って。同じ船にいた騎士の話では、重傷の状態なのに、それでもアスターは立ち上がり、アーノルドを助けるため戦ったのだと。右腕は炎魔法で焼かれて、肩から先が人の形をとどめていなかった」

 スイレン先生は淡々と、日常会話をするようなトーンで語る。
 辛くないはず、ないのに。 

「僕はアーノルドに謝ってほしいなんて思ったことは一度もない。命を賭してでも、最後まで戦ったアスターを誇りに思う」
「スイレン先生……」
「アスターがアーノルドを守ったから、お前は生まれて今の時代を生きている。生きていることを誇りに思え」
「……はい」
「ほら、さっさと書け。書いて提出しろ」

 急いで今言われたことを書きとめる。

 スイレン先生は教科書を広げると、今の話なんて最初からなかったみたいな顔をしてみんなの顔を見渡す。

「五〇ページを開け。今日からは九年戦争中期のことに触れよう。トーマス。悪魔碑文あくまひぶんの項を一行目から読め」
「はい。九年戦争の発端は、エンジュの神子がノーゼンハイムの王子フェンネル・クロノス(現・国王)の婚約者であったマリア・アスクレピオスに偽りの愛の魔法をかけ、エンジュの王子セリ・アルテミスの妻としたことである。愛の神子は戦時中ノーゼンハイム騎士団に捕縛され、囚われていた牢に暗号を残した。これを悪魔碑文と呼ぶ」

 あてられて、トーマスが朗読をはじめた。
 私もレポートを書き上げてすぐ、五〇ページを開く。

「よし、そこまで。今日出す課題は、この悪魔碑文の解読を試みるものだ。クロノス王家の発表によると、解読に成功した者は一人しかいないとされている難題だ」

 黒板に向かうスイレン先生の背中を見ていたら、一瞬先生がこっちを見た気がして、涙がこぼれ落ちそうなのをごまかす。

 私は貴族だけど、魔法を使えない。
 魔法を使えないせいで他の貴族の子たちからバカにされるけど、先生が命を誇れと言うのなら、胸を張ろう。

 アスターさんが父様を守ってくれたから、私はここにいるんだもの。 



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