一章 セツカと時の鎖
十五年ぶりに時の神子が儀式を行うということもあって、祭事会場には貴賓が多い。
舞台袖から見ているだけでも、
西国エンジュのマリア女王、南国サウザンのジギタリス王、そして東国イサナキのクレソン王がいるのがわかる。
そして各国の大使たちもいる。
もう、なんていうかそこまで呼ばなくてもと言いたくなる顔ぶれで恐れ多い。
フェンさんが舞台の中央に出て、開会の挨拶をする。
舞台中央に時の神を祀る祭壇が設えられていて、フェンさんが事前に決められた合図を送ってきたから進み出た。
歩調はゆっくり。背筋はまっすぐ伸ばし正面を見据える。
歩くたびマントがなびき風を受けて翼のようにひるがえる。
「私は時の神子時節司る者。時の神よ、フェンネル・クロノス陛下が治めるこの地ノーゼンハイムに恒久の平穏を。時の民に安らぎを与え給え」
右手には銀の杖を携え、神子だけが使える神の詞、神詞を宙に描く。
心から民の幸せを願い、杖を掲げる。
雲間から銀色の光が架け橋のようにさしてくる。
「時の神子、感謝しよう。そなたにも平穏なる日々が訪れるよう、私も祈ろう」
台本の台詞を口にしたあと、フェンさんが僕にだけ聞こえるよう、小声でくちずさむ。
「セツカくん。その神子装束のデザイナー、誰だかわかる? 世界で一番きみのこと理解している女の子なんだけど」
瞬間、頭に浮かんだのはリーンの姿。
うっかり声に出してしまいそうになり、必死に言葉を飲み込んだ。
滞りなく儀式を終え、拍手に包まれる中舞台袖に戻る。
「フェンさんもグルですか」
「グルだなんて人聞きの悪い。手紙を読めば全部わかるよ」
アイセがいうわけのわからないことと神子装束のこと、関連があるということか。
控室に戻って荷物の中からペーパーナイフを出し、手紙の封を切った。
便箋に記された日付は、僕が神子の役目を継いだ日。
ところどころ涙で滲んでいるけれど、見慣れた丸い文字で綴られている。
【ずっと、待っているから
だから、いつか帰ってきて
あなたが何ものであっても、かまわない。一緒にいたいよ。
ばかで、いじわるで、大好きなセツカヘ】
手紙を持つ手が震えた。
リーンは、一度決めたらてこでも動かない。
アーノルドさんが十五年エレナさんを待っていたように、リーンもきっと、何年何十年でも僕を待つ。
「ばかだよ、リーン……」
あの日突き放したことへの怒りや、責める言葉なんて一言も書かれてない。
ほんとうに馬鹿なのは、僕だ。
なぜ神官のみんなが僕の食べ物の好みや苦手なものを把握していたのか、
なぜ僕の神子装束が勇者の息子を模していたのか、
みんな、最初から全部、僕のために動いていた。
僕が真実から目をそらしてきただけで。
失ってから後悔しても、とりかえしがつかないって、知っていたのに。
エレナさんがアスターに謝れなかったように。
先代様がみんなに謝れなかったように。
気づけば走り出していた。
ただひたすらマーズの庭園に向かって駆ける。
会いたい、話したい。
ほんとうはずっと、会いたかった。
声を聞きたかった。
帰りたかった。
リーンのとなりにいたかった。
幼なじみでも主従でもなく、一番近い関係で。
この気持ちを忘れてしまえば、楽になれると思ったのに。忘れようとすればするほど苦しい。
息が苦しくなっても、ただ走り続ける。マーズ家を目指して。
旅立った日と変わらない、白薔薇の咲き誇る庭にリーンがいた。
「セツカ!」
「リーン」
リーンが胸に飛び込んでくる。
不用意に触れたら命を落とすかもしれない、それを知った上で僕を抱きしめる。なんて愛しい。
もう誰にも触れることはできない、一人で生きていくんだと、思っていたのに。
どれくらいぶりだろう、こうして誰かと触れ合ったのは。
「ほんものだ、ほんとうにセツカだ」
リーンも、ぎゅっと僕の背に手を回す。空色の瞳から、涙がとめどなく溢れている。
謝りたいことがたくさんある。
伝えたい感謝もたくさんある。
指先でリーンの涙をすくいとって、まっすぐリーンを見つめる。
「リーン、僕は……君が好きだ。本当は、ずっと、ずっと好きだった。まっすぐなところ、優しいところ、明るい笑顔、全部」
「私も、セツカが好き。セツカの持ってるもの、一緒に全部背負う。嬉しいのも、悲しいのも、全部分け合おう。あなたが好きでいてくれるなら、怖いものなんてなにもないから」
瞳を閉じて口づける。
僕も、もう恐れない。
時の神子が背負う罪もまるごと抱きしめて、一緒に背負うと言ってくれる。
リーンや、アーノルドさん、エレナさん。家族だと言ってくれる人が共に立ってくれるなら。
どんな暗闇の中にいたって、生きていける。
「おかえりなさい、セツカ」
「ただいま、リーン」
セツカの章 END
アイセの章に続く
舞台袖から見ているだけでも、
西国エンジュのマリア女王、南国サウザンのジギタリス王、そして東国イサナキのクレソン王がいるのがわかる。
そして各国の大使たちもいる。
もう、なんていうかそこまで呼ばなくてもと言いたくなる顔ぶれで恐れ多い。
フェンさんが舞台の中央に出て、開会の挨拶をする。
舞台中央に時の神を祀る祭壇が設えられていて、フェンさんが事前に決められた合図を送ってきたから進み出た。
歩調はゆっくり。背筋はまっすぐ伸ばし正面を見据える。
歩くたびマントがなびき風を受けて翼のようにひるがえる。
「私は時の神子時節司る者。時の神よ、フェンネル・クロノス陛下が治めるこの地ノーゼンハイムに恒久の平穏を。時の民に安らぎを与え給え」
右手には銀の杖を携え、神子だけが使える神の詞、神詞を宙に描く。
心から民の幸せを願い、杖を掲げる。
雲間から銀色の光が架け橋のようにさしてくる。
「時の神子、感謝しよう。そなたにも平穏なる日々が訪れるよう、私も祈ろう」
台本の台詞を口にしたあと、フェンさんが僕にだけ聞こえるよう、小声でくちずさむ。
「セツカくん。その神子装束のデザイナー、誰だかわかる? 世界で一番きみのこと理解している女の子なんだけど」
瞬間、頭に浮かんだのはリーンの姿。
うっかり声に出してしまいそうになり、必死に言葉を飲み込んだ。
滞りなく儀式を終え、拍手に包まれる中舞台袖に戻る。
「フェンさんもグルですか」
「グルだなんて人聞きの悪い。手紙を読めば全部わかるよ」
アイセがいうわけのわからないことと神子装束のこと、関連があるということか。
控室に戻って荷物の中からペーパーナイフを出し、手紙の封を切った。
便箋に記された日付は、僕が神子の役目を継いだ日。
ところどころ涙で滲んでいるけれど、見慣れた丸い文字で綴られている。
【ずっと、待っているから
だから、いつか帰ってきて
あなたが何ものであっても、かまわない。一緒にいたいよ。
ばかで、いじわるで、大好きなセツカヘ】
手紙を持つ手が震えた。
リーンは、一度決めたらてこでも動かない。
アーノルドさんが十五年エレナさんを待っていたように、リーンもきっと、何年何十年でも僕を待つ。
「ばかだよ、リーン……」
あの日突き放したことへの怒りや、責める言葉なんて一言も書かれてない。
ほんとうに馬鹿なのは、僕だ。
なぜ神官のみんなが僕の食べ物の好みや苦手なものを把握していたのか、
なぜ僕の神子装束が勇者の息子を模していたのか、
みんな、最初から全部、僕のために動いていた。
僕が真実から目をそらしてきただけで。
失ってから後悔しても、とりかえしがつかないって、知っていたのに。
エレナさんがアスターに謝れなかったように。
先代様がみんなに謝れなかったように。
気づけば走り出していた。
ただひたすらマーズの庭園に向かって駆ける。
会いたい、話したい。
ほんとうはずっと、会いたかった。
声を聞きたかった。
帰りたかった。
リーンのとなりにいたかった。
幼なじみでも主従でもなく、一番近い関係で。
この気持ちを忘れてしまえば、楽になれると思ったのに。忘れようとすればするほど苦しい。
息が苦しくなっても、ただ走り続ける。マーズ家を目指して。
旅立った日と変わらない、白薔薇の咲き誇る庭にリーンがいた。
「セツカ!」
「リーン」
リーンが胸に飛び込んでくる。
不用意に触れたら命を落とすかもしれない、それを知った上で僕を抱きしめる。なんて愛しい。
もう誰にも触れることはできない、一人で生きていくんだと、思っていたのに。
どれくらいぶりだろう、こうして誰かと触れ合ったのは。
「ほんものだ、ほんとうにセツカだ」
リーンも、ぎゅっと僕の背に手を回す。空色の瞳から、涙がとめどなく溢れている。
謝りたいことがたくさんある。
伝えたい感謝もたくさんある。
指先でリーンの涙をすくいとって、まっすぐリーンを見つめる。
「リーン、僕は……君が好きだ。本当は、ずっと、ずっと好きだった。まっすぐなところ、優しいところ、明るい笑顔、全部」
「私も、セツカが好き。セツカの持ってるもの、一緒に全部背負う。嬉しいのも、悲しいのも、全部分け合おう。あなたが好きでいてくれるなら、怖いものなんてなにもないから」
瞳を閉じて口づける。
僕も、もう恐れない。
時の神子が背負う罪もまるごと抱きしめて、一緒に背負うと言ってくれる。
リーンや、アーノルドさん、エレナさん。家族だと言ってくれる人が共に立ってくれるなら。
どんな暗闇の中にいたって、生きていける。
「おかえりなさい、セツカ」
「ただいま、リーン」
セツカの章 END
アイセの章に続く