一章 セツカと時の鎖

 雪の日が減り、日差しがさす日が増えてきた。
 風の香りと日光のあたたかさから、春が近いことを肌で感じる。

 森でソレイユ先生と魔法の練習をしているとアイセが訪ねてきた。
 引いている馬の鞍に大きな荷物がくくられている。

「いらっしゃいませ、愛の神子さま」
「あ、頭を下げなくていいよ。せっちゃんに届け物があるだけだから」

 アイセが目を細めて笑う。

「まだ帰らないのかい」
「帰れないよ」
「せっかく鍵をもらったのに?」
「優しい人たちに、背負わせたくないから」

 アーノルドさん、リーン、エレナさん。
 いつでも帰ってきていいのだという優しさはとても嬉しい。
 けれど港町の人々は時の神子への恨みを忘れてはいない。
 僕を家族だと呼べば、マーズ家のみんなも憎しみを背負うことになる。
 罪と罰を背負うのは僕一人で充分。

 家族と思ってくれる人がいる、その事実だけでこうして立っていられる。


「強がり言っちゃって。本当は一人が寂しいくせに」
「神官のみんながいる」
「従者と家族は別物だよ」

 わざわざ痛いところを突いてくる。なんなんだ。
 神官のヤマトが出迎えに来る。

「愛の神子さま、ようこそおいでくださいました。陛下からお手紙でそろそろ到着されると存じておりました」
「きみたち、畏まらなくていいって毎回言ってるのに、律儀だねぇ。せっちゃん、そろそろ訓練は終わらせてこれを試着してみてよ」

 アイセが持ってきた荷物をヤマトが下ろし、馬を厩につなぎに行く。
 荷物はソレイユ先生が運ぶ。女性に荷物を持たせるのはどうなのかと思って口にしたことがあるけれど、「ご自分が主であることをお忘れですか」とたしなめられてしまった。

 従者に荷物を持たされるように見える主、なんて。傍から見たら従者にナメられているようにしか映らない。

 世の中って難しいと思う。

「愛の神子さまはそちらの部屋でお待ちくださいね。今コルネットがお茶の用意をしていますので」
「はいはいー」

 勝手知ったる我が家といったかんじで、アイセが僕の私室に入っていく。
 先生が衣装部屋で荷物をといて、中身を取り出す。

 アイセが届けに来たのは神子装束《みこしょうぞく》と呼ばれる、いわゆる礼服だ。

 貴族でいうなら舞踏会など公の場に出るときのドレスやタキシード。
 神子が生まれたら、その神子にあわせてあつらえる。

 だから神子によって全く違うものになるのだと聞いた。

 魔法を発動させないよう注意を払いながら袖を通す。
 ゆったりした真白な衣装に、天使の翼を模したマントがついている。
 頭には銀細工のサークレット。サークレットにアメジストの花が散らされている。両手の手首にも銀のブレスレット。

 勇者と神子のおとぎ話にでてくる天使みたいだ。

 勇者さまの息子は悪魔との戦いのさなか、父をかばって命を落とす。
 神子さまたちは神さまに祈る。
“神さま、どうか優しいこの子を助けてください”
 神さまは神子さまの祈りを聞き届けた。
 勇者さまの息子は天使となり還ってくる。
 そして勇者さまと神子さま天使さまが力を合わせて悪魔に打ち勝つ。


 この神子装束は、絵本の天使によく似ていた。


「神子さまの雰囲気にとてもよく似合っていますよ。特別なデザイナーにデザインをおこしてもらったと、陛下からのお手紙に書かれておりました」
「そう、なのか」

 姿見に映し出された自分が自分じゃないみたいだ。
 着たまま私室に行くと、紅茶を飲んでいたアイセが両手を叩き予想通りの反応をしてくる。

「天使さまみたいだー! いいなぁいいなぁ」
「そういうアイセにも神子装束あるんだろう? 見たことないけど。まさか今着ているそれとは言わないよな」

 今着ているものは緑色のローブ。似たようなものを着ている吟遊詩人は多い。
 話題を振った途端アイセの目が不自然に泳ぎだした。

「えぇー、ボクのは気にしなくていいよ。あんま着たくないし。着せ替え人形になったみたいで嫌なんだよね」

 リーンもよく同じことを言っていた。
 人形みたいに飾られるのは嫌いだって。

「お嬢ちゃんのこと苦手だけどそこだけは気が合うよ」
「……アイセは失言が多いから」

 初対面でバストサイズの話をして殴られたのは自業自得だ。

「ついでにこれ持ってきたから。代わりに読むね」

 僕の返事も聞かないうちに、アイセは手紙の封を開けて読み始めた。

「セツカくん五月末の平和祈願祭《へいわきがんさい》、祭事《さいじ》をヨロシクね」
「フェンさんが軽すぎる」

 国王陛下から神子へ、祭典に出るようにという指示書。のはずなのだが文体が自由すぎる。

「五月までには最低限魔法を使いこなせるようにならないとか……」
「魔法って本当は何年もかけて訓練するものなんだけどね。あちこちで国民の期待が高まってるよ。庶民から神子になれるなんて世界初だ! 庶民の希望の星だ! って」
「期待が重い」

 吟遊詩人として各地をまわったアイセの話だから間違いないだろう。

「神子って一応、国で一番偉い魔法士さまだからねぇ。でも他の神子って堅苦しいやつばかりだから、せっちゃんがゆるい人で助かるよ。四人しかいないのにボク以外全員カタブツだったら息が詰まっちゃう」

 南国サウザンの命の神子、東国イサナキの自然の神子にも就任後挨拶の親書を出したが、たしかに返ってきた書面は硬い文章だったように思う。

 几帳面さと厳格さが文面ににじみ出ているような。

「そうそれ。とくに自然のおっさんはボクら四人の中では最年長なんだけど、いっつもこんな顔してんの」

 アイセはわざと眉を寄せて渋面を作ってみせる。

「神子の仕事をこなすなら、いずれ自然の神子殿ともお会いする日が来るんだろうな」
「それはないんじゃない? フェンネルとあいつすごく仲が悪いから極力二人が会わないようまわりも気を使ってるんだ」

 人当たりのいいフェンさんが他国の重役を毛嫌いするって、なぜ。

「フェンネル本人が言わないなら言わないよ。ボクは聞こえちゃってたけど聞こえないふりした。あんなに怒ってるフェンネル見たことなかったもん」
「そうなのか」

 国を背負う重役同士だから、できれば友好状態のほうが望ましいのだけど、僕はフェンさんと自然の神子殿の間にある事情を何も知らない。

「フェンネルこそ、一人で全部背負わないでボクらに話せばいいのにね」
「そうだな」 

 僕のために助言をたくさんくれるけど、フェンさん自身は人の助けを求めない。
 僕はもっと頑張って、フェンさんに頼ってもらえるくらいになろう。

 一方が寄りかかるだけじゃ、支え合う相棒とは言えないのだから。


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