一章 セツカと時の鎖

 遺跡の外に出ると、夜が明けたばかりだった。
 森の向こうの空が、紫からオレンジにグラデーションしている。

 神官たちは家族と一緒に帰宅の途につく。
 リーンもまた、エレナさんの手を取って上機嫌で腕を振り回している。

「ああ、良かった。母様が生きていたしセツカも無事だったし」
「ご機嫌ね、リーン」

 陛下がみんなより少し遅れて、ウルさんと一緒に出てくる。

「これでアーノルドくんの肩の荷も降りるね」
「ははは。アーノルドが僕に相談してくれてたら、協力できることもあったと思うのにな」
「すまないね。ボクが他言無用にとお願いしたんだ。だからアイリーンちゃんどころか本人ですら知らなっただろう」

 ウルさんは幼なじみに頼ってもらえなかったことで、不満そうに口をとがらせている。

「旅の先で俺を恨むだろう」とアーノルドさんは言った。

 もっと早く、幼い頃に知らされていたなら、責任の重さに押しつぶされていたと思う。
 僕もどこかに家族がいる普通の人なのだと、そう思って生きてこれた。

 恨むことなんてできない。


「君は、帰らないのかい」

 みんな家族と帰っていったのに、ただ一人だけ、僕のそばに残る神官がいた。

 金の瞳をした女性。普通に時を重ねていたなら、六十になるかならないか。
 女性は膝をついて深々頭を垂れる。

「神子さま。私は貴族の出身。先代様に魔法をお教えしておりました。あなたに救われたこの命、いかようにもお使いください」

 魔力をまともに扱えない今、魔法を制御するための師が必要不可欠。
 だからここに残ると、彼女は言う。
 

「ありがとう。貴女の名前は?」
「名は神官になるとき捨てました。好きにお呼びください」

 名を捨てるなんて、簡単にできることじゃない。
 それほどの何かが過去にあったのか、出会ってすぐ聞けるはずもない。
 だから考えた。

「では、ソレイユと。貴女の瞳は陽の光みたいだから。ソレイユ先生」
「……はい、神子さま」

 古の言葉で太陽を意味する。
 こんな状況の僕のため、ここに残ると決断してくれた貴き心根の人に相応しい名を。


 先に行っていたリーンが駆け戻って来た。

「何してるのセツカ。早く帰ろうよ。父様が待ってるわ」

 リーンが手を伸ばして来るのを避け、後ずさる。
 今触れたら、リーンの時が進んでしまう。

「ごめん、リーン。神子の役目を継いだから、ここを守っていかないといけない」
「なんで。全部終わったら帰るって、約束したじゃない」
「約束は破る。リーンは帰るんだ。あるべき場所へ」
「そんな。ここにはもうセツカの家族はいないんでしょ。一人ぼっちになるなんてやだよ」

 リーンが僕の手を取ろうとして、思わず振り払ってしまった。

 飛び退き、勢い余って触れた若木が一瞬にして大樹に成長する。

「触るな。いま、まともに魔法を制御できないんだ。迂闊に近づいたら、リーンの命が」

 時の神子の住まいが人里離れた森の奥にある理由が、今ならわかる。
 先代様の魔法も、町で暴走してしまったら、被害者は七人じゃすまなかった。

「陛下、ウルさん、エレナさん。リーンを連れて行ってください」
「セツカ……」

 幼い子のように泣きじゃくるリーン。触れたもの全て朽ちるから、ハンカチを差し出してやることもできない。

「ごめん、リーン。どうか、幸せに」

 先代の犯した罪を背負うのは、僕一人で充分。
 リーンは普通に生きて幸せになってほしい。

 だから、セツカとして生きた日々にサヨナラを告げよう。
 
 みんな立ち去り、この場に僕とアイセ、ソレイユ先生だけが残る。

「ボクも神子の先輩として教えられることがあると思うんだ。だからしばらくここにいるよ」
「……ありがとう、アイセ。ソレイユ先生」

 こうして、時の神子としての時間がはじまった。 



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