一章 セツカと時の鎖

 海鳥の鳴き声と波の音で目が覚めた。
 上体を起こして違和感を覚え、部屋の中にあるドレッサーに手をつく。

「なんだ、これ」

 昨日まで目にかからないかくらいだった髪が、鼻筋にあたる長さになっていた。
 襟足も首が隠れるほどに伸びている。

 人の髪が一晩でこんなに伸びるわけない。

 昨日こっそりと渡されたメモ、「時間を奪う悪魔」という文言が脳裏をよぎる。
 アイセは貴色を持たない普通の人だ。
 時間を操作するなんて、魔法でもないとできないだろう。

「ふぁ、セツカー。もう朝ー?」

 のそのそとリーンが上半身を起こした。バレないよう、急ぎ髪を持ち上げて帽子キャスケットをかぶる。 

「悪い、起こしたか」
「んー」

 夢半ばみたいで、両手を伸ばして俺の腰に抱きついてきた。

「よかった、夢じゃない。まだここにいる」
「……俺がいなくなる夢でも見たのか?」
「うん」

 リーンは安心したようにふわりと笑う。
 心臓の音がうるさい。
 顔が一気に熱くなる。
 どうしてこうも無防備なんだ。上着を着ていないから、服越しにリーンの柔らかさや体温が伝わってくる。

 寝ぼけているだけだから振り払うわけにもいかないし。

 しばらくその体制でいて、ようやくリーンもちゃんと目を覚ました。

「この状態で手を出さないとは」
「女の子の言うセリフじゃない」
「むー、私そんなに魅力がないわけ?」
「そういうわけじゃ……」

 だいぶ危なかったし己の良心と戦っていたとは間違っても口にできない。 


 軽く朝食をとってから調査の続きをするため町に出る。
 秋の朝だから日が高くなるまでに時間がかかる。

 まだ薄暗い中でも港の人たちはせわしなく働いていた。
 海には小さな漁船が何隻か浮かんでいる。

「海、きれいだね」  
「ああ」

 噴水広場に行くと、アイセは昨日と同じ場所で歌を歌っていた。
 噴水の前にはアイセ以外誰もいない。


 ノーゼンハイムの首都にも公園や広場はいくつかあるし、吟遊詩人や旅芸人が来ることも珍しくない。
 小さな子どもたちがその人のまわりに集まっている。


 朝早いから旅人があまりいない。歩いていても町の人だけ。
 だからこそ、これは異様な光景だとわかった。

 ツヴォルフの住人は、アイセに近寄らないようにしている?

 なぜ。そんなこと、本人に聞けるわけもない。

「いい朝だねぇ、せっちゃん」
「そうだな」

 会話が弾むでもなく、沈黙が続く。

「昨日さ、ボクのこと『金に困ってないはず』って言ったでしょ。よく見てるね。感心しちゃった」
「……貴族?」
「とは少し違う。ボクを育てたのが貴族ってだけ」

 アーノルドさんやリーンのように、貴色を持たない貴族もいるにはいる。貴族は魔法を使えない子が生まれると捨てるか殺すパターンが多いから、極端に人数が少ないだけで。

「その貴族はこのあたりで影響力の強い人だからね。ボクが頼めばあの扉を開けてくれる」

 どうりで、アルデバラン相手にも怯まないわけだ。あいつよりも上位の貴族とつながりがあるから。

「扉を開けるよう明日までには手配するから、きみたちは森を行くのに必要なものを揃えなよ。そんな軽装じゃ、樹海の藻屑になっちゃうから」
「……わかった」

 今は他に手がない。本当に開けられるなら頼ろう。

 旅人向けの用品を扱う店でいくつか品を見繕って、明日に備える。

 そして翌朝。
 アイセが言うように、本当に森に続く門が開いていた。

 きっとこの先に、俺とリーンの探していた答えがある。


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