一章 セツカと時の鎖

 店内が騒然となり、店に迷惑がかかるからすぐに店を出た。
 レストランから離れ、アイセは腹を抱えて笑う。 

「あっはは。貴族と言っても所詮はこどもだね。さっきの見てたでしょ、あんなに偉そうにしてたのにただの吟遊詩人相手にあんなに怯えちゃってさぁ」
「演技だったの? よかった。私はてっきりどこかの王族なのかと。私、王族を殴っちゃったのかなって……」

 アイリーンはホッと息をつく。
 俺の記憶では、二十代の王子がいる国はない。
 ノーゼンハイムのフェンネル陛下は未婚だし、エンジュのマリア女王陛下も再婚はしていない。他の国も、王子はいても年齢が合致しない。

「ちょっと荒っぽい方法だったけど、助けてくれてありがとう、アイセ。助かった」
「わー、ボクにお礼を言う人なんて育ての親以外で初めて会ったよ」
「大げさすぎやしないか」

 親以外の人からお礼を言われたことがないなんて、さすがにないだろう。
 アイセは俺の帽子にポンと手を置くと、視線を海の方に動かす。

「海岸沿いに行ってみようか。あのあたりの宿は古いから、町の中心地より安いんだ。きみたち、見たところ宿をまだ取ってないでしょ」
「そうね。セツカ、行きましょ。宿を取らなきゃ」

 リーンは意気揚々、俺の右手を引っ張る。咎めてくる使用人はここにはいない。
 俺はもう庭師ではないし、リーンは今、庶民と同じ服を着ている。

 リーンが楽しそうだからいいか。

 歩くにつれて波の音と潮の臭いが近くなる。
 アイセおすすめの宿は海が目の前にあり、石段を降りれば砂浜がすぐそこだ。
 
 海に日が沈んでいくのを眺めていると、なんだか違和感を覚えた。

「どうしたの、セツカ。感動しすぎて声が出ない?」
「いや、日は海に沈むんじゃなくて、海から昇るものじゃなかったかなと思って」

 口にして違和感の正体に気づく。

「なんだか、アーノルドさんに拾われる前は朝日が昇る海を見ていた気がする。海のにおいも、波の音も、ずっと前から知っている」
「スイレン先生が授業で言ってたけど、日が昇る海を見られる国はエンジュだけだよね? イサナキ国の東側は山に囲まれているから」
「そうだな」

 俺は拾われる前、記憶をなくす前はエンジュで暮らしていたんだろうか。
 かつて敵国だったエンジュの、海辺が近い町で。

「せっちゃん、お嬢ちゃんも。海を見たいなら部屋を取ってからでもいいじゃない」
「わかった」

 幸い、部屋はいくつか空いていた。
 宿の主人に何泊するか聞かれ、リーンと相談する。

 何日滞在することになるかわからないが、調査を続けるなら数日取ったほうがいいか。

「シングルルームを二部屋で……」
「いえ、ツインを三泊」

 リーンが俺の言葉をさえぎって指を三本立てる。

「リーン。なんで同室にするんだ」
「そのほうが安いじゃない。旅費は抑えたほうがいいわ」

 シングル一泊三〇〇ジェム、ツイン一泊五〇〇ジェム、家族部屋八〇〇ジェムと書かれた料金表を指差す。
 もしかして男として認識されてないんじゃないか、俺。 

「前も言ったけど、付き合ってもいない男と二人部屋に泊まるのはよくない」
「じゃあ今からセツカと付き合えば問題ないわね。プロポーズしてくれていいのよ?」
「な……」

 間髪入れず切り返された。
 俺達の会話を聞いていた宿の主人が笑いをかみ殺している。 

「そ、それでお客さん。部屋はどうするんだい?」
「……ツインルームでいいです」

 リーンに勝てる日は一生来ない気がする。


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