一章 セツカと時の鎖

 リーンもアイセのいらだちをしっかりと感じ取った。続きをどうぞ、と言われても固まってしまっている。
 
「お、お客様、火傷はされていませんか」

 店員が走ってきて、青ざめた顔でテーブルを拭く。それを無視してアイセは窓枠に肘をのせて、冷たく言う。

「ノーゼンハイムではまだ悪魔碑文なんて名前で教えてるんだ。ばっかみたい」
「あ、それセツカも同じこと言って、スイレン先生と大喧嘩したよね。父様まで学校に呼び出されて大騒ぎ」

 リーンが旅行鞄をあさり、くしゃくしゃになった紙を取り出した。
 テーブルの上で手のひらを使いシワを伸ばすと、碑文解読レポートだった。

「……嫌なこと思い出させるな。スイレン先生は頭が固すぎなんだよ。俺が碑文を訳して読み上げたら“嘘をつくな!”って怒られてさ」

 あのときの喧嘩は、今思い出しても不服だ。

「く、ははは。“俺は他のやつと違ってこれが読める”そういうこと言うやつに限って、デタラメなんだよな」

 隣のテーブル席に陣取っていた双黒の男が席を立ち、俺の肩に手を乗せてきた。

「こんなところで会うなんて奇遇だなぁ雪人形。今ここで読んでみろよ。おれが判定してやるから。捨て子のお前にできるなら、赤子にもできるって」

 会いたくなかった。学生時代にさんざん嫌がらせしてきた同窓生だ。

「おい。人形の分際でアルデバラン家のラナンキュラス様を無視する気か?」

 無視したら、今度は胸ぐらを掴まれた。
 貴族相手に何か反論すると、次こそ大怪我かもしれない。

 アルデバランもそれをわかっているから、俺を馬鹿にする。

「お嬢ちゃん、それ貸して」

 アイセはリーンの持っていたレポートをひったくると、歌うように読み上げた。


ーー姫にかけられた術を解く方法はふたつ。ひとつは私が解呪の歌を歌うことーー
 はい、せっちゃん残りの行を訳して」

 俺が訳したのと一言一句違わない。
 アイセから手渡された紙を見て、碑文を読む。

「ーーしかし「術を解くのは許さない」とセリ王子が私の喉を潰しました。もう、歌うどころか、声を出すことすらできない。だから、もうひとつの方法をーー

 ここで終わっている。さぁ、ラナンキュラス・アルデバラン様。貴方様の判定を聞かせていただけますか?」
 
 丁寧に問いかける俺のあとに続き、アイセが笑う。

「一つ教えてあげるけど、ノーゼンハイムで発表された【碑文を最初に解いた人】ってのはボクだから。五才のとき。きみは今、二十才かそこらのようだし、もちろん解けるよね?」

「なんだと!? 誰に物を言っている。吟遊詩人ふぜいが! おれの父は王都の議会に名を連ねているんだ。父上の力があればお前らなんか、この国にいられなくーー」

 氷魔法を紡いで脅しをかけようとするアルデバランだったが、アイセは作り物めいた笑顔をはりけたまま、アルデバランの肩を掴んだ。

 一、八メルテを軽く超える上背のアイセに掴まれたら、体格が同等の者でないと振り払えない。

「誰に対して物を言っている。脅しで魔法なんて使わなくても、ボクは言葉一つでお前の一族ごと国外追放できる。家名を覚えておくぞ、アルデバラン」

 アイセの声は底冷えするほど冷たくて暗い。まるでいくつもの戦場をくぐり抜けてきたかのような重みと凄みがある。

「……ま、ま、まさか、お前」

 アルデバランは腰を抜かし、這いつくばるようにしてレストランを出ていった。


image
ツギクルバナー
image
16/40ページ