弓親は机の上から書類を数枚集め、書類の束を机の上で整えると立ち上がった。
「じゃあ、僕は四番隊に書類を届けに行ってくるから」
「いってらっしゃーい」
「おー」
戸に向かって歩く背中へ俺と
なつめが気怠げに言葉を投げかけると、弓親は振り返る。
「サボったら、すぐに分かるよ」
「わーってるからさっさと行け」
眉を顰め、疑うようにこちらを見ている弓親を追い払うように、しっしっと手で払う。弓親は疑いの目を最後まで向けながら、執務室を出て行った。
弓親の足音が遠ざかるのを確認し、俺と
なつめは同時に各々"サボり"を始める。
俺は座っていた座布団を枕にし、仰向けに寝転がる。
なつめは傍らに置いていた瀞霊廷通信を書類の上へ広げ、何やらお菓子をボリボリと食べ始めた。
束の間の休息だ。鬼がいないうちに一眠りしようと瞼を閉じた瞬間、
なつめが声を上げた。
「あ! 今日、十五夜だよ!」
瞼を開くと、こちらを振り返っている
なつめと目が合った。
「だから、何だよ」
「何って、お団子食べなきゃ! 十五夜ってお団子を十五個食べる日でしょ?」
「……そうだったかァ?」
確かに"十五夜"と聞けば、頭には満月と山型に盛られた団子とススキが頭に浮かぶ。それだけ見れば、ただ団子を食べる行事だ。
「ほら、ここに十五個の団子を食べるって書いてあるよ」
なつめはそう言いながら俺に瀞霊廷通信を広げて見せる。そこには"十五夜"について特集が組まれていた。
なつめが指差す箇所の文字を追う。
──十五夜とは、一年で最も月が美しく見えると言われる日のことだ。別名「芋名月」とも呼ばれ、芋類の収穫などに感謝する行事でもある。収穫を神に感謝し、お供えとして「月見団子」と共に月を鑑賞する。「十五夜」にちなんで十五個の丸い団子を積み重ねるのが定番である。
恐らく檜佐木が書いたであろう文章には、確かに十五個の団子が話題に上がっていた。だが、『団子を十五個食え』などという話はどこにも書いていない。まあ、十五個の団子と一緒に月を鑑賞するならば、つまるところ十五個の団子を食べろということだろうが。
「食べるなんて、どこにも書いてねえぞ」
「十五夜にちなんで十五個の丸い団子を『食べる!』のが定番である」
なつめは指で文字をなぞりながらそう言った。
「お前は文字が読めねえほど馬鹿だったとはな」
まるで漢字が読めない幼児のようだ。もしくは、自分の思うままに事を進めようのする幼児だ。どちらにせよ言動が幼児であるのは確かだ。
「そうと決まったら行こっ! 弓親がいないうちに!」
そう言っているがここで行ってしまえば確実に弓親の帰宅には間に合わない。書類の配達に一時間も二時間もかかるわけがない。大目玉を食らうのは確実だ。
「だんご、だんごっ! おいし〜い、だんごっ!」
なつめはそんなことを言いながら俺の腹をぽんぽんと片手で軽く叩き、調子を取り始めた。
ふと、頭に自分の妹の顔が浮かび、「あいつがこんな風に育たなくて良かった」と心の底からそう思った。
「十五夜は〜、おだんごを、じゅ〜うごこ、じゅ〜うごこっ! 食べるんですっ!」
「その変な歌やめろ」
「だんご、だんごっ! おいし〜い、だんごっ!」
「本格的に両手で調子取り始めんのもやめろ」
*
変な歌が止む気配もなく、ついに俺の頭まで楽器にしようとしたところで、俺は観念して立ち上がった。団子を食べに行かなければ、この調子は止まらないだろう。「ったく、しゃあねぇな」と俺がぼやくと、
なつめは目を輝かせていた。そんなこんなで、俺たちは甘味屋へと訪れた。
「う〜ん! 美味しい!」
団子を一つ食べ、美味さに唸っている
なつめの傍らには一串に三つの団子が刺さっている団子が四つ盛られている。
なつめの手には団子が一串。みたらし団子、よもぎ団子、三色団子、あずき団子、ずんだ団子、と全て種類が違う。
「お前、本当にそれ全部食うのか?」
「もっちろん! 十五夜だもん!」
「ここで動けなくなっても、俺は置いて行くからな」
「大丈夫だもーん」
なつめはそう言いながら団子を食べ進める。俺も茶を煽りつつ、一串の団子を味わいながらゆっくり食べ進めた。
「あれさ〜、お月様かなあ?」
晴れ渡っている空を見上げながら咀嚼していた
なつめが空を指差した。
そこには夜の顔とは違う月が遠くで俺たちを見下ろしている。
「たぶんな」
なつめは一つ団子を口に入れ、咀嚼する。その間、会話は途切れてしまう。飲み込み終わったところで、また言葉を発した。
「『月が綺麗ですね』って告白するの一角知ってる?」
「ああ」
また、
なつめは団子を一つ食う。そこで再び会話が途切れる。口の中の物がなくなると、
なつめは口を開いた。
「それ言われたら何て返事したら良いんだろうね?」
「『そうですね』で良いんじゃねえの?」
俺が返事を返したところで丁度、
なつめは団子を口に入れたところだった。咀嚼しながら、眉を寄せて不満ありげな顔をこちらへ向けている。飲み込むと口を大きく開いた。
「えー? でも、あれ『愛してるよ』って意味じゃん。それなのに『そうですね』は、他人事で冷たくない?」
「まあ、確かにな」
疑問が晴れなかった
なつめは、伝令神機を取り出すと何やら調べ始める。
「……へえー! 『死んでも良いわ』だって。なんか物騒だね。他にも『私にとって月はずっと綺麗でした』とか『星も綺麗ですよ』とかもあるらしいよ。ロマンチックだねえ」
いまいち興味が湧いてこない雑学を耳にしながら、茶を飲み干す。
なつめの皿に目を向けるとまだ三串残っている。まだここに長居することになりそうだ。店員に新しい茶を頼み、視線を感じて
なつめへ目を移すと何かを企んでるような顔でにこにこと笑っている。こういう時のこいつは、碌なことを考えていない。
「一角だったらさ、『月が綺麗ですね』って言われたらなんて言う?」
そらな、碌なことを考えていない。
「さあな。そんなもん、前もって用意してるわけねえだろ」
「じゃあ、練習! 一角もこういう時がいずれ来るかもしれないでしょ!」
「あったとしても何で今ここでお前に教えねえといけねえんだよ」
「いいじゃん、いいじゃん。笑わないから! はい。月が綺麗ですね。どうぞ」
手のひらで差され、
なつめは俺の発言を待っている。口を結んで拒否を示すが、
なつめは笑ったまま期待の眼差しを俺へ向け続ける。こうなったときのこいつは、止まらない。
俺は鼻でため息を溢し、
なつめから目を逸らしながら小さく口を開いた。
「……俺がお前の月になってやる」
口にした瞬間、少し恥ずかしさが込み上げてくる。こんな言葉を口にするなんて柄じゃないと思うが、
なつめの期待するような視線に逆らえなかった。
「ひー! なにそのかっこつけー! サブイボ、立っちゃった! あはは!」
なつめの笑い声が弾け、つい眉を顰ませてしまうが、
なつめの反応にどこか安心してしまう自分もいた。
「確かに一角に月はハマり役かも! ピカピカ光ってるもんね! どこが、とは言わないけど」
「ギャーギャーうるせえなァ! 俺の頭を見ながら笑ってたら、言ってるのと同じだろうがッ! 第一、こういうのは弓親に聞け!」
腹を抱えながら大袈裟に笑い始めた
なつめを一喝するが、余計に笑い声が大きくなるだけだった。「笑わない」って言わなかったか、こいつ。信じた自分が馬鹿だった。
「確かに弓親だったら全女子がキュンキュンするようなこと言いそう。なんかすっごいやつ」
歯が浮くような臭い台詞を吐く弓親が頭に浮かび、今度鳥肌が立ったのは俺だった。なんてものを想像させるんだ。いや、弓親を話題に出したのは俺か。
「……お前は何て言うんだよ」
「うーん。そうだなあ〜」
頭の中のものを消し去るために
なつめへ話題を振ると腕を組み、あからさまに考える動作をとった。そして、またあからさまに何かを思いついたように広げた左手を、拳にした右手で叩いた。
なつめは俺と目を合わせると唇の両端を上げ、白い歯を見せながら笑った。血色の良い柔らかそうな両頬がふっくらと膨らむ。
「──明日も、明後日も、明々後日も、ずーっと、ここで一緒に月を見ようね」
目を離さず、ゆっくり紡がれたまっすぐな言葉がまるで自分へ向けられたもののように感じた。
どくりと心臓が強く唸り、体温が上がる。
「……長えよ。もっと短くまとめろ」
「えー! 別に文字数制限とかないじゃん!」
文句を垂れながら
なつめは、団子を口に含んだ。
「そこに載ってるのも、そんなに長くねえだろ」
なつめが手に持っている伝令神機の画面を指先で突きながら言うと、不服そうな表情で俺を見ていた。
「ほーらんなけろさー」
「口の中、無くなってから喋れ。汚ねえもん見せんな」
「きひゃないって、いわないれよー! おみひぇのひとにひふれーでよ! おいひーのに!」
「それをてめえが汚くしてんだ」
なつめは片手で口元を隠しながら不満そうに俺へ訴えてくる。腑に落ちてなさそうな顔で団子を咀嚼し、口の中が空になると団子をまた口に含んだ。言い返す手持ちの言葉がなくなったのだろう。
「さっさと食え。早くしねえと弓親が来るぞ、ここに」
「わかってますー」
──こいつもいつか誰かにそんなことを言われる日が来るのだろうか。
そんなことが頭によぎってしまうのは、普通では考えられない“真昼間の月見”などに興じているせいだ。
俺の心境など何も知らない
なつめは、ペースを崩すことなく団子を美味そうに食っている。傍らの皿には、団子があと一串残っていた。
終