この気持ちに名前を付けるとしたら、それは。 今日はちかちゃんの誕生日。ケーキを焼いてみた。ちかちゃんは、甘過ぎるものが苦手だから甘さ控えめに。秋の季節にぴったりで美容にも良い抹茶のケーキ。我ながらとても美味しそうに作れた。二人分には少し多いから、残ったものは明日瑠璃くんにもお裾分けをしよう。最後に粉糖を振りかける。ネットに載っていた写真と遜色ない出来上がりに自然と笑みが零れた。
痛まないようにケーキを冷蔵庫にしまい、時計に目をやる。ちかちゃんが帰ってくる時間までまだ時間はある。夕飯を豪勢にして、ちかちゃんを驚かせよう。レシピアプリの表示を抹茶ケーキからハンバーグに切り替えた。
「よし!」
気合を入れて、少し緩んでいたエプロンの紐を結び直した。デミグラスソースのチーズインハンバーグにしよう。
ちかちゃん驚くかな、美味しく出来るといいな。
冷蔵庫、棚から材料を取り出しながらちかちゃんの反応を想像して口元が緩んだ。驚いてる顔、笑ってる顔。そして、辛くて苦しそうな顔が浮かんでしまった。わたしが好きと気持ちを伝えた時にする顔。
「………」
わたしはあと何度ちかちゃんの誕生日がお祝い出来るのだろうか。ずっと一緒にいたい。けど、いつちかちゃんにここから出ていけと言われてしまうのだろうか。わたしはここにいてもいいのだろうか。そんな考えがぐるぐるとわたしの中を巡り、気持ちは暗くなった。
ちかちゃんは他の人と幸せになって欲しいとわたしに言う。それは、わたしたちが血の繋がった兄妹だから。
大好きな人がそう願うならそうするべきなのかもしれない。でも、その時のちかちゃんの顔が辛そうで苦しそうだから、本心は別にあるのかもしれないと思ってしまう。ちかちゃんはそれ以外、何も言わないけれど。
ちかちゃん、あのね。もう聞き飽きたって言われてしまうかもしれないけど、わたしの『幸せ』はね。ちかちゃんとずっと一緒にいることなんだよ。別の男の人と結婚して、家庭を持って、子供が産まれて、家族ができて… それはわたしにとっては『幸せ』じゃないの。それでも、ダメなのかな。わたしがそう思ってるだけじゃ、ダメなのかな。
マイナスなことばかり考えてしまう。わたしはそれを振り払うように頭を振り、夕飯の準備に取り掛かった。
*
「できたっ!」
わたしは作り終え、テーブルに並べた夕飯を前に手を叩いた。デミグラスソースのチーズインハンバーグ、クラムチャウダー、ポテトサラダ。ポテトサラダに入れた人参をハート型に切り抜いてみた。我ながらとても可愛い。
ガチャと、玄関を開く音が聞こえた。
「ただいま」
ちかちゃんの声も聞こえてきて、わたしは玄関に小走りで向かった。
「ちかちゃん、おかえりなさい!」
「うん。ただいま」
靴を脱いでいる後ろ姿に声をかけると振り返ってもう一度ただいまと言ってくれた。
「あのね、ちかちゃん。見て欲しいものがあるの」
わたしはちかちゃんの腕を引いてリビングへ向かった。ちかちゃんは、どうしたの?と不思議そうにしていた。
「あ! そうだ! ちかちゃん、目を閉じてて?」
わたしはリビングの扉を開ける手を止めた。
「目を?」
「うん!」
ちかちゃんは首を傾げて、目を閉じた。わたしはそれを確認して、リビングの扉を開いた。ちかちゃんの腕を引いて、料理が並んでいるテーブルの前へと歩いた。
「ちかちゃん、目開けていいよ」
わたしがそう言うと、ちかちゃんはゆっくり目を開いた。宝石みたいに綺麗なちかちゃんの瞳がまん丸になった。
「ちかちゃん、お誕生日おめでとう」
「…これ
名前が一人で作ったの?」
「うん」
「……ありがとう」
ちかちゃんは目を細めて微笑んでいた。
「凄いね、
名前。すごく美味しそうだよ」
綺麗な手で頭を撫でられる。数度頭を撫でるとそのまま頬を優しく撫でられた。
何だかその手がいつもより優しくて柔らかいものだった気がした。
「ちかちゃん…?」
「美味しいそうな料理を見てたら凄くお腹が空いてきたよ」
「お夕飯にしよう、ちかちゃん」
わたしの言葉にちかちゃんはもう一度優しく微笑んで頷いた。
*
「まるで高級レストランだね」
「それは褒めすぎだよ、ちかちゃん」
「そんなことないよ、美味しい どんな高級レストランよりも美味しいよ」
ちかちゃんはチーズインハンバーグを食べながらそう言った。
「本当に褒めすぎ…。調子に乗っちゃうよ」
真っ直ぐ見つめるちかちゃんにわたしは恥ずかしくなって、俯いてしまう。
「…でもちかちゃんに、美味しいって、思って貰えるように頑張って作ったから…嬉しい」
伏せていた目をあげて、ちらりとちかちゃんの方をみるとしっかりと目が合ってしまい顔が赤くなるのを感じた。それにちかちゃんは気付いたのか声を抑えて笑っていた。
「…からかわないでよ、ちかちゃん」
「ふふ。からかってないよ」
「もう…。いいから食べよ?」
わたしは赤い顔を誤魔化すように言った。
それからわたし達は他愛も無い話をしながら食事をした。
*
わたしとちかちゃんはキッチンに並んで食器洗いと後片付けをしていた。
「ありがとう、ちかちゃん。もう大丈夫だからちかちゃんは座ってて? ちかちゃん、お誕生日なんだから」
「美味しい料理をご馳走してもらったから手伝うよ」
「だめなの!」
わたしはキッチンから押し出すようにちかちゃんの背中を押した。ちかちゃんはそれに笑う。
「じゃあ、お言葉に甘えて向こうに言ってるね」
「うん!」
「何か手伝うことあったら言ってね」
「ありがとう」
リビングのソファに座って、本を読み始めるのを見届けたわたしは小さな声で「よし」と呟く。残っていた食器を洗い、水切りかごに入れる。濡れた手をタオルで拭き取るり、冷蔵庫の扉を開いた。そこには夕方に作った抹茶のケーキが入っている。落とさないようにそっと冷蔵庫から取り出す。少しの不安と期待。そんな気持ちを抱えながら、リビングのソファに座っているちかちゃんのところへゆっくり歩いていった。
「ちかちゃん」
「ん?」
「お誕生日おめでとう」
こちらを振り返ったちかちゃんの目線に合うようにケーキを動かした。ちかちゃんは数回目をぱちくりさせて、そのケーキを見ていた。
「えへへ お誕生日ケーキです お抹茶は美容にいいみたいだから抹茶のケーキにしてみたの」
「これも
名前が作ったの?」
「うん」
「…すごい。僕が知らない間になんでもできるようになったんだね」
ちかちゃんは笑っているのに何故だかその声は少し悲しそうな寂しそうな声だった。
「あとね、まだあるんだけど…。ちょっとまっててね、ちかちゃん」
わたしはケーキをローテブルに置いて、自分の部屋に小走りで向かった。自分の部屋の机の上には、ちかちゃんへの誕生日プレゼントを置いている。それを手に取り、ちかちゃんの元へと戻る。
「ちかちゃん、これ…。あの…。高価なものじゃないけど…、お誕生日プレゼント…なんだけど…」
遠慮がちにそれをちかちゃんに差し出した。
「今日は沢山貰ってばっかりだね、ありがとう。開けてもいい?」
「うん」
ちかちゃんは受け取り、ラッピングを開けていく。
「腕時計だ」
「うん。それならお仕事とかでも使えるかなって…。ブランド物とかじゃないんだけど…」
「そんなこと気にしないでよ。
名前が僕のために選んでくれたことが嬉しい。ありがとう、大事にするよ」
優しく微笑んでちかちゃんはわたしの頭を撫でる。
「ちかちゃん、あのね」
「どうしたの?」
「時計のプレゼントはね…?『同じ時間を共有したい』っていう意味があるんだって…」
もしかしたらちかちゃんはそうは思ってないかもしれないけど。傷つくのが怖くて、あまり期待しすぎないようにどうしても自分のことを否定してしまうもう一人の自分がいる。思わず拳に力が入る。ちかちゃんは何も言わずにそのわたしの手を優しく握る。
「わがままかもしれないけど、来年も再来年もその先もずっとちかちゃんのお誕生日お祝いさせて欲しいの…」
泣いたらだめ。そう思うと余計ゆらゆらと視界が揺れた。
「わたしの事、好きじゃなくていいから…。お祝いさせて欲しいの。ずっと会えなくて、お祝いできなかったから、ちかちゃんにこれから先も『おめでとう』って伝えたいの。 ……好きって伝えることを許して欲しいの」
最後の方は声が震えてしまって、涙も頬をつたっていた。
『どうして来たの、帰って』
『だめだよ、
名前』
『僕は
名前のこと好きじゃない』
『
名前には幸せになって欲しい。でもそれは僕じゃないよ』
過去にちかちゃんに言われた言葉が頭の中に響いた。自分勝手に想いを伝えたのに、ちかちゃんがなんて言うかが怖い。
「
名前、愛してる」
「………え?」
突然思いがけないことを言われた。聞き間違えではないだろうか。そんな気持ちをちかちゃんは悟ったのか、もう一度その言葉を繰り返した。
「
名前、愛してる」
先程よりも優しい声でわたしが聞き逃さないようにゆっくりと繰り返した。
「……」
その言葉の意味を理解したわたしの頬に次々と涙が流れた。
「…隠したかった。隠しておくべきだった。でももう隠しきれないほど気持ちが大きくなりすぎたみたい。
名前、愛してるよ」
ちかちゃんは苦く笑う顔でそう言った。
「僕の気持ち受け取ってくれる?」
困ったように眉に皺を寄せて、眉尻を下げながら笑いちかちゃんは硬い声でそう言った。そして、わたしの手を掬い、て手の甲にキスを落とす。
否定する理由なんて何処にあると言うのだろうか。
「それは、わたしのセリフだよ」
嗚咽混じりにしかわたしは話せなかった。ちかちゃん、ちゃんと聞き取れただろうか。
「ちかちゃんのこと… ずっと、ずっと… 好きだったの」
「うん、知ってる」
「ちかちゃんだけが、わたしの全てなの。だから、…だから、他の人と幸せになって、なんてもう言わないで」
「うん。酷いこと
名前に沢山言ったね。ごめんね、沢山傷つけて…。それなのに、僕のことずっと好きでいてくれてありがとう」
聞いたことないぐらいちかちゃんの声はとても優しくて穏やかだった。触れていた手にちかちゃんが指を絡める。
「ちかちゃんと一緒にいる事がわたしの幸せなの」
ぎゅっとその手に力を篭めると応えるようにちかちゃんも力を篭めた。
「ちかちゃん以外の人と結婚して、子供が生まれて、家族ができるのが幸せっていうならわたしはそんな幸せいらないよ。幸せじゃなくていい。そんな幸せよりちかちゃんといる方がわたしにとっても何よりも幸せなことなの」
ちかちゃんはわたしの涙をぬぐい、優しく腕の中に閉じ込めた。わたしが落ち着くまでそうしてくれた。何度も好きだ、愛していると囁いてくれた。
そして、わたしたちはその日、初めてキスをした。
ちかちゃん、あのね。
今日のことをわたしは、ずっと忘れないよ。
終