「
名前ー」
「はーい!」
執務室に松本副隊長が現れ、わたしの名前を呼んだ。手を上げながら返事をすると、同じように副隊長も手を上げた。わたしと違うところと言えば、その手に書類を持っていたことだった。
「これ、十一番隊にお願い」
「承知致しました!」
急いで駆け寄り、副隊長から書類を受け取る。
十一番隊宛ての書類は、みんなが配達を避けている。理由はもちろん、血の気が盛んな十一番隊のみんなが怖いから。自ら進んで十一番隊に近寄る一般隊士は、両手で数えられる人しか──両手もいないかもしれない。だから、十番隊では十一番隊第五席・綾瀬川弓親を兄に持つわたしの元へ十一番隊宛ての書類が必ず回ってくる。今日もみんながほっと胸を撫で下ろすのが伝わってきた。
作業をしていた机の上を軽く片付け、副隊長から手渡された書類を持ってわたしは十一番隊へと向かった。
*
十一番隊の門の前に立つと、座り込んで会話をしていた二人の隊士がわたしの方を見上げた。するとすぐに直立して、深々と頭を下げる。
「
名前嬢、お疲れ様です!!」
一言一句、声を揃えて挨拶をしてくれた。大きな声に思わず肩が小さく震えてしまう。この挨拶は初めてではないが、やっぱり慣れない。
「お、お疲れ様です……!」
わたしも急いで頭を下げて、挨拶を返す。するとさらに二人の頭が下がったように見えた。
「
名前嬢! 今日はどんな用でこちらへ?」
「綾瀬川五席なら只今外出中です!」
二人は頭を下げたまま、相変わらずの大きい声だった。
「そうなんだ……ちかちゃんいないんだ……」
仕事で十一番隊に来たけれど、ちかちゃんに会えることに心が元気に跳ねていた。だけど、ちかちゃんに会えないとなるとすぐにその元気さは何処かへと消えてしまった。
「書類を届けに来たんですが、一角さんはいますか?」
「はい! 斑目三席はいらっしゃいます!」
二人は顔を上げると門の両側に別れて立ち、後ろで手を組むとまた頭を下げた。
「お邪魔します……」
少し足早に門をくぐり、敷地内に踏み入れる。三歩目のところでわたしは後ろを振り返る。
「あの……!」
声を掛けると二人は同時に頭を上げ、わたしの方を真っ直ぐ見つめた。
「あ、ありがとうございました! お仕事頑張ってください!」
もう一度頭を下げて、隊舎へ小走りで向かった。
「……
名前嬢って、すっげえ可愛いよなあ」
「俺もああいう可愛い妹が欲しかったなあ……」
*
「
名前嬢! お疲れ様です!」
隊舎内を歩くとすれ違う隊士のみんなから門番の二人と同じように挨拶をもらった。
いつも十一番隊隊士の人に会うと今みたいな挨拶をしてくれるが、自分はちかちゃんの妹というだけで何も凄いことはない。尊敬されるような強さも、権威もない。ただ、妹という肩書きがあるだけで兄のちかちゃんと同じように敬う態度で接してくれる。気後れしてしまうが、違う隊の人には傲慢な態度をとることが多い十一番隊隊士の人がこうして歓迎してくれるのは素直に嬉しい。
(一角さんは道場の方かな?)
執務室と道場の分かれ道。一角さんが恐らくいるだろう道場の方へと向かって歩こうとしたところで声を掛けられた。
「
名前ちゃん。弓親なら今、ここにはいねェぜ?」
振り返ると探していた一角さんだった。いつものように斬魄刀を肩に担いでいる。
「一角さん! 一角さんを探してたんです!」
「俺を?」
「はい! 門番をしていた方にちかちゃんは今いないって聞いたので、一角さんを探していたんです。書類をお届けに来ました」
一角さんに駆け寄り、持ってきた書類を差し出す。
「確かに」
受け取った一角さんは書類をひらひらと風になびかせた。松本副隊長から渡された書類は無事に十一番隊へと届いた。
「悪ィな。弓親がいりゃァ良かったんだけどな」
「いえ! 一角さんに会えて良かったです」
「弓親に何か伝えておくことあるか?」
「えっと。じゃあ……お仕事頑張ってね、とお伝えください」
「あいよ」
一角さんは笑った。戦う時に見せる笑顔ではなく、妹の志乃ちゃんに見せる"お兄ちゃん"
の笑顔だった。
「それでは、わたしはこれで失礼します」
「おう。じゃあな」
手をひらひらと振られ、わたしも遠慮がちに手を振り返して一角さんと別れた。
*
十番隊へと帰るために十一番隊の門に向かっていると、中庭に短冊が飾られている笹があった。色とりどりの短冊と飾りに誘われて、自然と足がそちらへ向かった。
短冊には文字が書いてあり、みんなそれぞれの願い事が込められていた。先に目が付いた桃色の短冊には、『お腹いっぱい金平糖食べたい!』と書かれてあった。きっとこれは、やちるさんの願い事。可愛い願い事に頬が緩む。
その横にあった黄色い短冊には、『強ェ奴と戦いたい』と書かれてあった。書き慣れていない字で書かれたそれは、やちるさんとはまた違った可愛らしさを感じてしまった。これは恐らく更木隊長。更木隊長が短冊にお願い事を書くのは簡単に想像できなかった、がやちるさんに言われて書いたのだろうと思うと、可愛いと思ってしまう。
(ちかちゃんは、何て書いたんだろう……?)
人の願い事を覗き見るのは少し悪いことのように感じてしまったが、ついつい目で探してしまう。
少し高いところに紫色の短冊があった。
(あれ、かな……?)
文字は短冊が裏返っていて見えなかった。表をこちらに向けるために、わたしは背伸びをして手を伸ばした。
「
名前も短冊書いて行く?」
急に声を掛けられ、伸ばした手を引っ込める。慌てて後ろを振り返ると、いつの間にかちかちゃんがいた。
「ち、ちかちゃん……! お帰りなさい……!」
「ただいま」
ちかちゃんは綺麗に微笑んだ。
「
名前は短冊もう書いたの? これ鉄さんから貰った笹なんだけど、十番隊にも飾ってあるんじゃない? 乱菊さんがこういうの好きそうだし」
確かに十番隊にも短冊や飾りで彩られた笹はある。願い事を好きに書いて良いと言われていたが、自分の本当の願いなんて短冊に書ける事ではない。何にしようかと考え込んでしまって、まだ書いてはいなかった。
「うん。十番隊にもあるよ。でも、わたしはまだ書いてないの」
「じゃあ、書いて行きなよ。丁度、お菓子もあるしね」
ちかちゃんはそう言って、取っ手のある白い紙箱をわたしに見せるように持ち上げた。これを買うために外出中だったみたいだった。
「でも、早く仕事に戻らないと」
「みんなが嫌がる十一番隊に来たんだから、少しぐらい休憩して行っても誰も文句なんて言わないはずだよ」
「ちかちゃん、何でそのこと知ってるの?」
「乱菊さんがよく言ってるんだ。みんなが嫌がる十一番隊関係の仕事は、
名前がいるから助かってるって。僕らにしたら失礼な話だけどね」
肩をすくめるちかちゃんに思わず小さく声を漏らして笑ってしまった。
*
誰もいない執務室に通される。机の上には先程、わたしが一角さんに渡した書類が置いてあった。
ちかちゃんは白い紙箱を持って、給湯室へ向かった。暫くして、小皿とお茶を二つずつ載せた盆を持って、ちかちゃんが給湯室から帰って来た。
「はい。どうぞ」
目の前に置かれた小皿には天の川のような綺麗な夜空をした青い寒天が乗っており、二層になっている羊羹だった。
「わあ! 綺麗! 本当にわたしも食べても良いの?」
やちるさんにお願いされて買いに行っていた、とちかちゃんは教えてくれた。
「
名前のためにも買ったから大丈夫、って言っただろう? 気にしなくて良いよ」
ちかちゃんは優しく笑いながらお茶を一口飲んでいた。
「短冊は書けた?」
「あ、うん」
ちかちゃんを待ってる間に短冊に願い事を書いた。条件反射にちかちゃんへ短冊を手渡した。その後で、直接見られるのは恥ずかしかったかもしれないと思ったけど、ちかちゃんの手から奪うことはできるわけがなかった。
「自分のことは書かなかったんだね」
自分の勘違いでなければ、ちかちゃんは嬉しそうに笑っていた。
「じゃあ僕も」
ちかちゃんは、そう言って短冊を一つ手に取るとサラサラと筆を走らせた。
「ちかちゃんも書いてなかったの?」
「書いてるけど、大したことは書いてなかったからね。一枚しか書いてはいけないなんて決まりはないだろ?」
書き終わった短冊がわたしの短冊に並べられる。
──ちかちゃんが怪我しませんように。
──
名前の笑顔が絶えませんように。
互いのことが願われた短冊に胸がドキドキと音を立て始めた。
「……ありがとう、ちかちゃん」
わたしと目が合うと優しく笑うちかちゃんの笑顔は、一角さんと同じ"お兄ちゃん"の笑顔だった。
我儘なわたしはその笑顔に胸がギュッと苦しくなった。
終